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#2058/2100 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで *** コメント #2057 ***
★タイトル (********) 07/ 9/27(Thu.) 6:42 ( 26)
現実によくあること 一久
★内容
【現実にはどうか】
現実の場においては、有能ではあるが小人(人格的に問題のある人)の上司や先輩
に尋ねることを怠って事故がおきた場合、聞かなかった後輩や部下のほうが悪い
とされるのが常であろう。
しかし、この言い分は、論理破綻していることが荀子の言葉から判る。
このような要請は、つまるところ、有能な人間の人格的問題を不問にしておきながら、
有能でない人間に人格的に優れた者であれ、と言っているのと同じだからである。
嫌悪すべき相手にも丁寧に応対し、罵声に耐えて任務を全うしようとする者は、
君子である。部下や後輩に君子たれと強要していることになるのである。
逆に、「有能な小人」である上司や先輩に対しては、その小人ぶりを批判していない。
上司・先輩に小人で良いと言い、部下・後輩には君子たれと言う。倒錯の極みという
しかなかろう。
アメリカ軍では、「悪い兵隊というのはいない。悪いのはすべて指揮官である」と
言っているらしい。指揮官に君子たることを求め、もって兵隊をも感化することを
求めているのである。
アメリカ軍のほうが日本の社会よりも、よほど荀子の心に近いといえよう。
[ コメント数 1 読む(F2058) ]
#2059/2100 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで *** コメント #2058 ***
★タイトル (********) 07/ 9/28(Fri.) 20:49 ( 17)
能無き君子 一久
★内容
【現実にはどうか】
現実によくある例としては、こういうのもある。
人格的には申し分がないのだが、仕事ができない、熱心でないというタイプだ。
この場合、この人は君子とまではいかない、似非君子であるといえよう。似非
で終わってしまっている理由は、努力しようとしない、責任を負うことを嫌がる、
能力や才能に対するコンプレックスから来る自己逃避、などが考えられる。
ようするに、他人を積極的に傷つけるほどの「小人」ではないが、君子とまで
はいかない人である。能がなくても、努力しようとする君子になら、他人はついて
いくが、逃避する偽君子には、誰もついていかない。
このような人は、いわば「笑顔の小人」であるといえよう。