ログファイル >>
|
#113/200 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (iti@msi.) 01/ 1/29(Mon.) 21:10 ( 30)
教育について V 一久
★内容
第三章 評価は実績で 学位は知識を表すに過ぎないということ
前に述べてきたような国家試験を実施すれば、知識と学位が一致するようになる。
しかし、あくまでもこれは知識を証明するものに過ぎず、この者が実際の能力を持
っているかどうかは別の問題なのである。
学問も試験も、知識を教え試すものに過ぎない。そして、それでよいのである。
必要十分な知識があれば、ある程度は仕事をこなすことができる。それを超えた仕
事ができるかどうかは、実際にやらせてみなければ本人にもわからないのである。
医師国会試験に合格した者は、一般的な事例にならば対処できるであろう。それ以
外の紛らわしい事例に対処できるかどうか、これは個々人の才能と努力と経験と運
にかかっている。だから我々患者は、その医者の出身大学よりも、クチコミの評判
のほうを信用するのである。
このように、国家試験があっても個々の技量の差はなくならないが、それでも、こ
のような試験がない場合に比べれば、はるかにマシにはなっているのである。江戸
時代のように、基準のない状態では、そこにも名医はいるが、ヤブはとんでもなく
ヤブになる。
国家試験という基準があれば、ほぼ全員の医者が、名医とはいえぬまでも、ヤブで
はなくなる。中の下ぐらいの医術ならば、すべての医者に期待できるのである。
近代的生産というものはこういうもので、一定水準以上の品質の者を、計画的に大
量生産することをいう。
学位は知識をあらわすに過ぎない。それでよいのである。
[ ( タイトル一覧#112-93 | メッセージ#112 ) 次 << 降順 >> 前 ( メッセージ#114 | タイトル一覧#132-113 ) ]