〜*〜 ロビー ちょっと 一息 気楽な話題で楽しんで 〜*〜

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#1725/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  05/ 4/16(Sat.)  21: 2  ( 49)
「僕が親日になった理由」 Kim Jin 著 夏目書房     一久
★内容

この本にいわく、

日本人だけが他と違う。

アジア人とも西洋人ともちがっている、のだそうな。

その典型的な例証として、友人と外食しようとするとき、日本人は
相手に対して「なにが食べたいか」と聞く。

だが、韓国人も他のアジア人も西洋人も、「自分がなにを食べたいか」
をまずいう。ということを挙げている。

なるほどそう言われてみれば確かにそうだろう。

この日本だけの特徴の根源にあるのは、「他人に対する気遣い」である
と著者はいう。そしてほれは高度な精神性なしにはできないものだと。

最近の日本人社会の乱れは、まさにそれが無くなって来たがゆえのもの
であろうから、我々からみれば彼の指摘は面映い限りではある。

ところで、この「他人に対する気遣い」は本当に日本独自のものなのだろうか。

私にはそうは思えない。

というのは、これは多分に人工的な道徳観に裏打ちされた風習であるように
思われるからである。

ではどこからきた風習か?

なんのことはない。それこそ中国・韓国からきた儒教的風習である。

日本には科挙はなかった。それゆえにこそ儒教の本質は失われることなく
日本人の習慣へ浸透していったのである。

逆に、中国や韓国では、虚礼のみ残って本質としての儒教は大衆から失われ
てしまった。

現代の中国・韓国の野蛮なふるまいは、まさに儒教の本質を喪失した結果
であるように思える。

  ”学問を修めたといっても「書」を知らず”

というところか。







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