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#1737/1800 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********) 05/ 5/10(Tue.) 21:49 ( 51)
シリーズ 教育 その1 一久
★内容
【分割して考える】
「群盲、像を撫でる」という。 細かく分断して考えるよりも、ひと目見たほうが
確かであるということを言っているのであろう。
しかし、科学は「群盲像を撫でる」でなければならない。
なるほど、ひと目「像」を見れば、誰もが像とはこんなものかと納得いく。しかし
それはあくまでも像を見た個人の主観として像という動物を捕らえたにすぎない。
像を見慣れた人には小像は小さい像だと思えるが、像を見たことのない人にとって
は小像でも犬よりもはるかに大きい。像ってこんなにでかいのか、と思うだろう。
これに対して「群盲」式科学的見方では、体長は何メートル、体重は何キログラム、
生後何カ月、爪の形はどう、といった見方をする。誰がみても、3mの像は3mである。
客観的事実を共有するためには、このような分析的な見方が必要なのである。
【「教育」を腑分けする】
では本題に入ろう。これから、教育という言葉を腑分けする。
国家が施す教育には、目的の異なったいくつもの部類が存在する。それらを具体的
に指摘することからはじめよう。
まず、第一に国民はどうあるべきか、人と社会はいかにあるべきかを教えることを
目的とする教育、すなわち、道徳教育がある。
「いかに生きるべきか」ものごとの是非善悪を教えなければ、社会は決して平穏に
はならぬ。決しておろそかにはできないものである。
第二に、実際に社会で生活するための知識を持たせるという意味での教育がある。
いわゆる「読み書きソロバン」である。
第三に、実社会において成功し地位や富有や名声や熟練の技術を獲得するための
教育がある。ホタルの光にいう「♪名を挙げ身を立て夜々励めよ」というやつだ。
第四に、金や名誉ではなく純粋に学究に打ち込む人を育てるための教育がある。
以上、「道徳」「生活」「技術・知識」「学究」、少なくとも、この四つの種類
を内包しているのが「教育」というものなのである。
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