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#1992/2000 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********) 07/ 2/ 2(Fri.) 22:32 ( 44)
子供を生む機械発言 2 政教分離について 一久
★内容
政教分離を理解できない政治家たち
政教分離とは、どこかの神社に政治家が参拝すべきかすべきでないか、
などという瑣末な小事をいうのではない。宗教や良心といった内面的
正義と、政治上の法的外形的正義との区別をいうのである。
この区別ができてはじめて、民主主義も近代国家も成立する。もしも、
この区別なしに、内面の正義を外形たる政治に反映することを許せば、
テロリストが跋扈することになる。まさに、イラクの今の姿がそれである。
内面の正義と外形の正義を区別するということは、たとえ政治の表舞台
で敗北しても、自分達の主張の正しさは損なわれないということである。
たまたま、力が足らずに否決されただけなのだ、次で勝てばいいのだ、
と思えるということである。
さて、「女性は生む機械」発言と、その発言者に対する辞任要求につい
てであるが...
もしも、彼が今もってあの発言を撤回せず、謝罪もしていないというの
であれば、これは彼の政治家としての外形的正義の主張なのであるから、
それに異を唱える政治勢力は、自らの外形的正義を主張して、彼を政治
的に攻撃してもよい。辞任でも切腹でも求めればよい。
しかしはがら、現実には彼は、とっくに謝罪もし、発言の撤回もしてい
るのである。つまり、すでに外形的正義において、彼は敗北を認めてい
るのだ。外形的正義における決着は、すでについたと言わねばならない。
いや、ああいう発言をするようなヤツとは席を同じくしたくない、とい
うのであろうか。なるほど、フロイト的精神分析論によればそれもよか
ろう。しかし、それはあくまでも内面の問題であるとして切り離さなけ
れば近代政治はなりたたない。
内面の問題を取り上げるという手段を認めてしまうと、どんな無茶な要
求でも可能になってしまうからである。
たとえば、「未納三兄弟」などと下品に他人を揶揄しておきながら自分
も未納だった管氏(だったか鳩山氏だったか)のような下衆なヤロウは永
久に国会に足を踏み入れるべきではない、というような主張も可能である。
カテゴリ: 政治も > 社会政策 フォルダ: 指定なし
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