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#2022/2100 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********) 07/ 4/18(Wed.) 21:15 ( 37)
選挙よりも抽選で議員を選ぼう 一久
★内容
【投票より抽選で】
いっそのこと、投票による選出という方法は改めて、抽選による方式に代えてみる
ことも一興であるかもしれない。ギリシャ時代にはそうだったとかいうし、あながち
悪い方法ではないのかもしれない。
とはいうものの、やりたくない人や、時間的に出来ない人に、無理矢理やれという
のも現代社会においては無理がある(その無理を押し通す制度もあるにはあるが
。。。裁判員制度 とか。。。)ので、希望者を予め募って、その中から抽選する。
むろん、重大な前科のある者、指定暴力団員、その他、資格審査は厳重にせねば
なるまい。戦前のように、税金を払っている額で参加資格を決めてもよい。
この方法によって選ばれる議員は、「優秀な国民」ではない。選良ではない。
ふつうの、全体として平均的な国民が選ばれることになる。
ということは、官僚やマスコミや学者は、このふつうの人間が理解できるような方法で
政治批判や提言を行わねばならなくなる。その行為は、「国民に対する説明」そのもの
であろう。また、官僚にとってのそれは、極めつけの情報公開である。
毎回、改選の度に、ふつうの人々が議員になる。
官僚も、マスコミも学者識者も、大わらわで彼らに教えねばならない。この作業
を通じて、教える方である彼らの言論能力の向上を期待することができる。
言い換えれば、選挙によって選良を得ている今の我々は、官僚やマスコミや
学者が、変なことを言ったりやったりしても、政治家がなんとかするのでは
ないか、という変な期待を心の底に持っている、ということだ。
それは、官僚やマスコミや学者のほうも同じである。少々過激な偏った主張を
自分らがしても、まさか政治家たるものが、それを鵜呑みにして動くまい、とタカを
くくっている。
日本における言論が、どこか間抜けている原因はここにあるのではあるまいか。
ふつうの人が抽選で議員になる。そういう社会になれば、マスコミは自らの能力が
国家の行く末を左右してしまうという責任感を持たざるを得なくなるだろう。
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