〜*〜 ロビー ちょっと 一息 気楽な話題で楽しんで 〜*〜

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#2055/2100 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (********)  07/ 9/25(Tue.)  21: 4  ( 51)
「荀子」を読んでいます     一久
★内容

【荀子と孟子】

司馬遼太郎の「坂の上の雲」のなかだったと思うが、正岡子規が東京で初めて
「荀子」の講義に出て、その内容に驚いたとかいうのがあったと思う。江戸時代
においては、荀子は異端的少数派だったようだ。

荀子といえば「性悪説」で有名であり、性善説か性悪説か、というような論争
が、しばしば行なわれることが、現代でもあるが、孟子や荀子の時代には、その
ような言葉遊びは無かったのではないか、と私は思っている。

というのは、荀子は孟子を知っているが、孟子は荀子を知らない。荀子が登場
したとき、孟子はすでに死んでいるからである。

また、性善説にせよ性悪説にせよ、結局、言いたいことは儒教を採用せよ、という
ことであって、両者ともそのための導入法にすぎないと言える。

両者が極端に違った導入法を採った理由は、ひとつには後進の荀子が自己アピール
のためにわざと高名な先人に反駁してみせたということであり、もうひとつは両者
の生きた時代の、権力者達の嗜好に違いがあったからである。

孟子の時代、戦国の世のモラルハザードは最低のところまできていて、君主達は
もはや、古代の聖王を見習おうとしないばかりか、好き勝手にやることを自慢して
さえいたのである。「ゴーマニズム宣言」を君主達はしていたのだ。

こんな君主を導くには、まず第一に貴方も「良き君主」になり得るのだ、という
説得から始めねばならなかった。そのための便法が性善説である。

ある日、祭場へ生贄として引き出される羊を見た斉王は、不憫じゃ、牛にせよ。
と言った。このことを聞いた孟子は、それこそ、王に名君の資質ある証拠です、
善心のある証拠です、と言う。

なるほど、これがそうか。という王に対して、しかし、羊ではなく牛なら不憫
では無いというのは奇怪しいのではないですか、と孟子はいう。

「確かにそうじゃ、ワシはいったいどうしてそんな馬鹿を言ったのだろう」

「それで良いのです。王は引かれていく羊を直に見た。それゆえ羊に憐憫の情を
持たれた。もしも引かれていく牛をも直に見られれば、牛でも羊でもなくなにか
適当な穀物か酒でも供えよとおっしゃったはずです」

「おお、さすがじゃ、先生はワシ自身が気ずかなんだワシの心まで見通された
   なるほど、そのとおりじゃ」

「これが領民であればどうでしょうか。領地をよく視察し、領民の暮らしぶりを
   よく知ればしるほど、自然と、愛情が湧いてくるものではありますまいか」

。。。。と、このようにして、教化を図ったのが孟子だった。

性善説は、モラルハザードが底を打った時代に、必要とされた弁論だったのである。



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