〜*〜 ロビー ちょっと 一息 気楽な話題で楽しんで 〜*〜

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#209/400 ちょっと一息、気楽な話題で楽しんで
★タイトル (iti@msi.)  01/ 3/23(Fri.)  22:57  ( 71)
矢部政治学     一久
★内容

講談社学術文庫 「政治学入門」 矢部貞冶 著 を読んで思ったこと。

P30からP32にかけての部分で、著者は政治は国家生活と結合したものとして理解
しなければならぬ、とし、夫婦の間にも、友人の間にも集団強盗の間にもあるよ
うな政治に似た行為を政治だというのは言葉の遊戯にすぎない、といい、そのよ
うな実態を離れた法則を論じてみたところで、ほんとうの政治の理解にどれほど
の役にたとうか、という。

これに対しての私の意見。

そもそも、文系の学問とは、いわれてみれば誰でも気がつくようなことを、文字
によって定義することによって明らかにすることである。

どのような集団にでも生じる、政治的な関係を、政治という言葉で定義すること
は、いかなるグループといえども政治的な関係を払拭できないことを悟らせると
いう効果がある。

このような効能を持っているがゆえに、矢部氏の攻撃する「政治」の定義は、言
葉の遊戯などではないし、また、「本当の」政治(矢部氏のいう「本当の政治」
の否定)の理解に、おおいに役立っているといわねばならない。

しかし、国家という集団が、他に比べて特異なものであることも確かである。


だから、矢部氏のように、国家意思の決定と行使に直接に関連してくる場合のみ、
政治の問題となる、と、いいたければ言っても良い。

ただしその場合には、(矢部氏のいう)政治ではない政治、つまり、夫婦間にも、
友人間にもあるという、例のものに対して、政治とは別の名前を与えねばならな
い。

そのような擬似政治的関係は、複数の人間が集まれば必ずあると判りきっている
のだから、別段、あらためて命名する必要はない、とはいうなかれ。

現実には、それに気がつかずに、自分達のグループから政治的なものを排除しよ
うとする者達はけっして少なくない。学者や評論家のグループなどにも、しばし
ば見受けられる現象ではないだろうか。

その結果がどのようなものになるか。やはり、国家の場合と同じで、無政府主義
に感化されたグループは、独裁状態か無政府状態になってしまう。

しかも、このような政治嫌いを生むことに、矢部氏流の政治感が少なからぬ後押
しをしているのである。

つまり、国家に特有のものを政治というのであれば、

あの現実に行われている政治(国家の政治)のような汚いものを、我々の会合に
は入り込ませないようにしよう、と考えるのが人情というものだからだ。

「擬似的政治」のほうこそが、ほんとうの政治であり、国家の政治は、その一部
に過ぎない。ただ、他のグループに比べて非常に特殊であるというだけのことで
しかない。

はっきりいって、矢部氏が、こんなことに少なからぬ紙数を使っていることが不
思議である。

____________________________________


矢部氏がこんな説に固執するのは、この本が書かれた時代に多元的国家論とかい
うものが流行ったからであるようだ。

私は多元的国家論は知らないので、これについてなにもいう気はない。

だが、この流行りの論は廃れ、矢部氏の論文は残った。残った矢部氏の文を、現
在の我々が見れば、まるで幻想相手に刀を振り回しているような奇怪なものとな
る。

後世に残るものを書く人は、今の論争相手の説が将来無価値になっているかも知
れないということを考えにいれて論述せねばならないということだ。


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