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#1214/1300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 04/10/10(Sun.) 17:45 ( 26)
神風特攻 S1
★内容
私がレモンさんのHPでとりあげた話題が、週刊新潮、SAPIOでも
とりあげられていた。
週刊新潮では、筑紫キャスターが、田原総一郎との対談で、神風特攻と
イスラム自爆テロを同一視した発言をしており、ぜんぜん違うものなの
に筑紫はなんという人間か!という論調の記事であった。
SAPIOでは、井沢氏の対談記事が載っており(相手の名前は失念)、
日本の特攻隊と911自爆テロは、旅客機の乗客を巻き添えにしたとい
う点でちょっと違うのではないか、と話していた。
私には、「自分が信じるもののために殉じた」という点においても、ま
た「自分の大切なものを守ろうとした」という点においても、両者にき
わめて近いものを感じる。決して賛美するつもりはないが、実行者はい
ずれも純粋だったのだと思う。
確かに、民間人を巻き添えにするかしないかは大きな違いではあるかも
しれないが、根幹をなすものは同じだと思う。井沢氏の相手役も同じこ
とを言っていた。
話はそれるが、私は九州の特攻隊記念館に行ったことがある。たくさん
の若者の顔写真が掲示されていたが、ほとんど例外なく澄んだ目をした
りりしい顔つきをしていた。(その場の雰囲気と思い込みが多分にある
のかもしれないが)
彼らに比べれば軟弱かもしれないが、私は、若者の多くがノンポリで、
ごく一部が反戦デモを起すくらいの社会の方が、ずっと健全だと思って
いる。今の日本は、かなりの部分そういった社会になっているが、早く
イスラム諸国もそうなってほしいと思わずにいられない。
[ コメント数 1 読む(F1214) ]
#1217/1300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1214 ***
★タイトル (********) 04/10/11(Mon.) 22:41 ( 28)
Re:1214 「違いは」評価の別を生む 一久
★内容
根幹は同じでも、実行方法が違えば、世間の評価は正反対となる。
特攻は、一応正当な戦闘行為のひとつだが、テロは戦争法に反する
行為であるから、同日の談ではありえないのは明白です。
正当な戦闘行為であったから、敗戦後は敗戦後の「正当な闘争行為」
としての経済発展に注力できたわけでして。
つまり、天皇が敗戦を認めた以上は、米軍を勝手に攻撃することなど
許されないことになり、平和的努力によって復興すべく努力するしか
ないのだ、という認識で一致できたのであります。
対して、テロのような実行方法を認めてしまうと、いくらでも際限
なく敵対行為が可能になってしまう。
どこまでが正当な敵対行為か、分らなくなるからです。
鼠小僧も、慈善家も、根本は同じかもしれないが、実行方法が違う
ので、かたや刑場送りとなり、こなた表彰台に登ることになる。
根幹の感情よりも、実際の行為の違いをこそ問題にするのが社会的
考察というものではないでしょうか。
根幹の感情の一致というようなものは、文学や芸術も守備範囲であ
ろうかと思います。