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#1859/1900 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1858 ***
★タイトル (********) 06/12/18(Mon.) 20:51 ( 37)
Re:1858 私は同じと思う S1
★内容
危険と言われたことはないけれど、廃止論を唱えること自体が不敬
だといわれたことはありますね。私自身が、あるいは私と同じよう
な意見の持ち主が、それこそ何度となく。
皇室存廃論議を行うということは、「皇室廃止もあり得る」という
前提の元でなければ成立しません。バッシングする連中はそれすら
も許せないというわけです。
同じように、核武装論議を唱えると言うことは、最終的に持たない
という結論になるのであっても、「核武装もあり得る」という前提
の元でなければ成立しません。バッシングする連中は、それが許せ
ないというのでしょう。
政治は数学と違い、解がひとつではありません。最終的には多数派
の意見に落ち着くにしても、たとえわずかでも可能性があるものを
否定したのでは議論になりません。
少なくともこの点においては、両者に違いはありません。
そしてまた、批判することそれ自体もタブー視されてきたというの
は、中朝韓も皇室も同じように思います。批判に対してバッシング
する連中の階層は違うでしょうけど。
アンケート調査によると、天皇制を現状維持すべきと考える人が約
8割で、廃止すべきとかんが得ている人は1割しかいません。が、
逆に言うと、1割もいるわけです。それなのに、顔と名前をさらし
て廃止論を主張する人は、ゼロではないもののほとんどいません。
廃止論ばかりでなく、少しばかり批判めいたことを口にしただけで
徹底的にバッシングされる。これがタブーでなくて何ですか。
私は核武装論議をすることに賛成であり、けっしてバッシングする
連中の肩をもつつもりはありませんが、核兵器は大量殺戮の道具で
あり、今なおその被害に苦しんでいる人がいることを考えると、危
険だと過剰反応する人がいることも、ある程度は仕方のないことか
もしれないと思っています。
[ コメント数 1 読む(F1859) ]
#1868/1900 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1859 ***
★タイトル (iti@msi.) 06/12/31(Sun.) 10:25 ( 40)
Re:1859 全然違うと思う 一久
★内容
【全然違うと思いますよ】
#1858で述べたと思うが、議論自体を否定することと、相手の意見
を否定することとは別物です。
「不敬である」という批判は、不敬であることを恐れない者にとっては
意味のない言葉でしかない。意見の否定にも、議論の否定にもなっていな
い、単なる感情論でしかない。
「天皇制の廃止もあり得る」という前提を持つべきだというが、それは
議論の結果としてそうなる可能性があるという意味においては正しいと
思うが、議論の初期においてそのような認識を持てというのは無理という
ものだろう。誰しも、自分が正しいと思うことを主張するのだから。
核武装論者はなにも、反対論者が「核武装はあり得ない」と思っている
ことについて反発しているのではない。核武装について論じること自体
を葬り去ろうとしていることに反発しているのである。
【場の問題】
意見の異なる者が討論するのであるから、当然「場荒れ」する可能性は
ある。それが脅迫じみた罵倒合戦になることもあろう。そういう状況をさ
してバッシングだという気持ちも分からないでもないが、それが世間のす
べてだというわけではなかろう。
早い話が、「場」の質の問題である。
優良な参加者が集う場所においては、そのような野卑な言論は、逆に総
攻撃を食らって敗退せざるを得ないであろう。逆に、卑近な「場」におい
ては、そのような罵倒合戦こそが好事の目で見られることになろう。
かつてのPC−VANの「フリー」や現代の2チャンネルを私が忌避する
理由もそこにある。
そしてまた、私が提唱するところの政党内民主主義の根本もここにある。
すなわち、もっとも優良なる討論の「場」、それこそが政党という物で
なければならないという私の主張である。
[ コメント数 1 読む(F1868) ]