〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#1988/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #1985 ***
★タイトル (********)  07/ 8/ 7(Tue.)  21:34  ( 59)
マゾヒズムの快楽     一久
★内容

【そして損害と絶望だけが残る】

民主党に政治を任せてみて、そのダメぶりを露呈させればよい、という戦法は、
責任ある者の採るべき方法ではあるまい。また、そのような自体を期待する者は
マゾヒストにして、破壊すればなんとかなるという根拠の無い楽観主義であろう。

破壊のあと、何の教訓も進歩も見せず、絶望と損害だけが残るという事態にいたる
ことのほうが、実は多いように思う。近衛文麿は、東条秀樹がボロを出すか、逆に
「大人になる」と思って政権を任せたが、東条は戦争に突っ走った。新進党を主
とする連合政権がなにをもたらしたか。その後の社会自民の野合政権がどういうも
のであったか。あれが良かったといえるのかどうか。

大事なことは、政権交代ではない。政党政治のおける政党とはどうあるべきなのか
ということを常に模索することこそが、政党政治の根幹なのであるということを、
万民が知ることこそが大事なのだ。政権交代はその為の審判にすぎない。サッカー
の審判は、権威をもっているけれども、ワールドカップ・サッカーのレベルを高い
次元に留めているのは、各チームの選手とスタッフの超人的な努力なのだ。どっち
のチームが勝とうが負けようが、ワールドカップ出場チームのレベルがすばらしい
ことに違いはない。どっちが勝っても、政権を担当することを安心して任せられる
のである。

【失敗に学ぶことができるかどうか】

政党はいかにあるべきか。これを第一義として認めない者は、国政をしくじった
場合にも、決して何も学ぶことはない。個々の事象を列挙して、失敗の原因はそれ
らにある、というのみである。

一般国民もまた、新政府の失敗を怒り、かつ、旧政府に戻さねばならないことを
嘆くのみである。なんの進歩もそこにはない。あるはずもない。なにをすべきかを
誰も考えようともしていないのだから。

【家ととのって後、国治まる】

一個の政党を治めること、それは一国家を治めることと同義である。

政党内部において民主主義を確立することができ、広く天下の英知を集め、正しき
施策を決定することができる政党であるならば、国家の運営もまた可能である。

そのような政党同士が選挙で闘うのであれば、国民は政治などに構うこともなく暮ら
しを楽しむことができるであろう。政治を語るのは、単にそれを好む者だけになる。

二大政党の争いとは、どちらがこの境地により近づくことができるかということを
その焦点としない限り、決して実のあるものになることはない。

しかるに、なんぞや。一言半句といえども、マスコミがこのことに言及したであろ
うか。自民党も民主党も、なにごとかを語ったであろうか。

自民党は、一応は政党内民主主義のようなものを持ってはいる。だが、それは偶然
の産物にすぎない。利権というノリによって保たれたバランスにすぎない。

だが、民主党にはそのような汚物さえもない。

いま。民主党がすべきことは、政争などではなく、党内に民主主義を確立すること
こそなのであるが、選挙で大勝してしまった今では、もはやそれは不可能であろう。
勝ちすぎた首脳部に対して、党内改革を言える者など誰もいないからだ。





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#1990/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #1988 ***
★タイトル (********)  07/ 8/12(Sun.)   8:24  ( 39)
Re:1988  何の教訓もないとまでは思わない     S1
★内容

おっしゃることはわかるのだが、人間のやることでそこまで理想的に
できるものかどうか。国民が政治などにかまうことなくくらしを楽し
むことができる、そんなすぐれた政党が政治を司る国が、現実社会に
はたしてあるだろうか。(日本よりはマシ、という程度ならあるだろ
うが)

新進党連合政権も、自社連合政権も、確かによいものではなかった。
(もっと言えば、自自公も現在の自公連合もいいとは思えないが)
しかし、日本が破壊されたわけではないし、あのまま自民党単独政権
が続いたとしてどれほどマシだったといえるだろうか。
そして、国民はみな学んだはずだ。選択肢は一つではないのだと。自
民党も、自分らが政権を追われることもあるのだと思い知ったはずだ。
何の教訓もなかったとまでは、私は思わない。

現在の制度では、国民が政治にコミットできるのは、極論すれば選挙
のときだけだ。現与党の政治に不満があれば、NOと言いたければ、
政策の転換を求めたいのであれば、野党に入れるしかない。現与党に
入れたのでは、結局は現状を信任したにすぎなくなる。

一番マシな政党が自民党だとしても、自民党政権でつないでさえいれ
ば日本は前進できるのか。少なくともここ数年をみるかぎりでは、同
じ政党が長く政権につきすぎるが故のデメリットの方が、目立ってき
ているように思えてならない。

根拠もなく大勝して民主党の党内改革が遠のいたというのであればな
おのこと、失敗してそのインパクトで党内改革にはずみをつけた方が、
あの党にとっても日本にとってもよいことなのではないか。
それで正しい方向に改革できないようであれば、民主党も旧社会党の
ように、万年野党として自民党政権のブレーキ役くらいしか期待でき
なくなるかもしれない。各政党や、それを選ぶ国民たちの、自らを高
める努力の必要性を否定するつもりはさらさらない。

ワールドカップとて、初めから現在のレベルだったわけではない。
弱いチームであっても、今大会は「初出場」を目標にし、次は「予選
突破」、その次は「ベスト8入り」を目指し努力していくものだ。あ
る野党が初めて政権をとったとして、最初は数カ月しかもたない脆弱
政権であったとしても、次は大きな失政もなく一年以上もつ政権とな
り、その次にはそこそこ成果を残せる安定政権となってくれるのであ
れば、私は十分だと思う。

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