〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#1990/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #1988 ***
★タイトル (********)  07/ 8/12(Sun.)   8:24  ( 39)
Re:1988  何の教訓もないとまでは思わない     S1
★内容

おっしゃることはわかるのだが、人間のやることでそこまで理想的に
できるものかどうか。国民が政治などにかまうことなくくらしを楽し
むことができる、そんなすぐれた政党が政治を司る国が、現実社会に
はたしてあるだろうか。(日本よりはマシ、という程度ならあるだろ
うが)

新進党連合政権も、自社連合政権も、確かによいものではなかった。
(もっと言えば、自自公も現在の自公連合もいいとは思えないが)
しかし、日本が破壊されたわけではないし、あのまま自民党単独政権
が続いたとしてどれほどマシだったといえるだろうか。
そして、国民はみな学んだはずだ。選択肢は一つではないのだと。自
民党も、自分らが政権を追われることもあるのだと思い知ったはずだ。
何の教訓もなかったとまでは、私は思わない。

現在の制度では、国民が政治にコミットできるのは、極論すれば選挙
のときだけだ。現与党の政治に不満があれば、NOと言いたければ、
政策の転換を求めたいのであれば、野党に入れるしかない。現与党に
入れたのでは、結局は現状を信任したにすぎなくなる。

一番マシな政党が自民党だとしても、自民党政権でつないでさえいれ
ば日本は前進できるのか。少なくともここ数年をみるかぎりでは、同
じ政党が長く政権につきすぎるが故のデメリットの方が、目立ってき
ているように思えてならない。

根拠もなく大勝して民主党の党内改革が遠のいたというのであればな
おのこと、失敗してそのインパクトで党内改革にはずみをつけた方が、
あの党にとっても日本にとってもよいことなのではないか。
それで正しい方向に改革できないようであれば、民主党も旧社会党の
ように、万年野党として自民党政権のブレーキ役くらいしか期待でき
なくなるかもしれない。各政党や、それを選ぶ国民たちの、自らを高
める努力の必要性を否定するつもりはさらさらない。

ワールドカップとて、初めから現在のレベルだったわけではない。
弱いチームであっても、今大会は「初出場」を目標にし、次は「予選
突破」、その次は「ベスト8入り」を目指し努力していくものだ。あ
る野党が初めて政権をとったとして、最初は数カ月しかもたない脆弱
政権であったとしても、次は大きな失政もなく一年以上もつ政権とな
り、その次にはそこそこ成果を残せる安定政権となってくれるのであ
れば、私は十分だと思う。

[ コメント数 1 読む(F1990) ]

#1991/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/12(Sun.)   8:27  ( 18)
#1990 補足     S1
★内容

十数年前、スウェーデンでは、長く続いた社会党首班政権が敗れ、保守党
が政権を奪取した。社会党政権下で国民への福祉は充実したものの、深刻
な財政悪化を招いたため、国民が政策の転換を求めたことによる。
しかし、保守党政権はある程度財政を立ち直らせたものの、福祉を大きく
後退させたため、国民の反発を招いて次の選挙で再び社会党に政権を奪わ
れることになった。

このような状況が、日本でも起きてくれればな、と思う。
国民のチェック機能が効果的に働き、与党がおごって国民無視の暴走をす
ることはなく、野党もどうせ政権はとれないのだからと無責任な主張ばか
りくりかえしたりはしない。

あの国では現在、またも保守党政権となったようだが、今度は国民生活を
大きく変えないように社会党政権の政策を継承しつつ、徐々に自分らの政
策実現を図っている。かつての失敗を今に生かしているのだ。

(あの国とて日本にはない問題を抱えていたりするのだが、いくつかの点
で日本よりマシなところがあるのも確かだ。)

#1992/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/13(Mon.)  18:40  ( 18)
久間発言     S1
★内容

物議をかもした久間発言だが、決して賛同はできないものの、私は
さして腹は立たなかった。

前後の発言をみれば、おせじにも十分とは言えないが、彼なりの原
爆投下に対する批判や被爆者たちに対する配慮もうかがえる。
一方で、彼を情緒的に非難する人たち(とくに被爆地の人たち)の
気持ちもわかる。日本人であれば、個人差はあっても原爆投下に対
して怒りや憎悪を感じる人がほとんどのはずだ。心の底にそういう
気持ちを持った上で、「戦争とは理不尽に人が死ぬものだ」「しょ
うがない」と諦観してしまう向きも多いだろうが(自分にもそうい
う傾向があるのは否めない)、それがいい悪いは別にして、誰もが
そう考えられるわけではない。

主旨はともかく、久間氏はもっとことばを選ぶべきだったと思う。

(何か月も新しいパソコンと格闘したので時期はずれの話題が多く
てすみません)


#1993/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/13(Mon.)  18:41  ( 18)
#1992 補足     S1
★内容

小沢代表が久間発言を受けて、「アメリカに原爆投下の謝罪請求を
すべきだ」と阿倍総理に言ったというが、これに対し理性でこたえ
るならば、

「日本は講和条約ですべての請求権を放棄している」
「近隣諸国の脅威に対し、アメリカの核の傘に守られているという
現実がある」

これらはすでに多くのブロガーの方々が主張しており、これはこれ
で筋が通っている。

しかし、私は、心情では、アメリカに謝罪してほしい。
政府に謝罪請求せよとは求めないし、終戦が早まったという事実も
受け入れた上で、原爆投下は非人道的行為だったと、アメリカに認
めてほしいと切に思う。

「祈るだけで実現するなら苦労はない」との反論があるのは重々承
知の上で、そう思わざるを得ない。

#1994/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/13(Mon.)  18:42  ( 15)
#1992 補足2     S1
★内容

広島慰霊祭で、阿倍首相ははっきり言った。

「非核三原則を堅持し…」

明言したからには本当に堅持するんだろうな。
数ヵ月後には「戦後レジュームからの脱却のため、非核三原則を見
直す」なんて言うんじゃないんだろうな。(私個人は消極的ではあ
るが全面反対でもない)
国際情勢が劇的に変化するならともかく、説得力のない理由で前言
をひるがえしたりはしないでもらいたいものだ。
これはあくまでかんぐりだが、本心では堅持する気がないのであれ
ば、もっと言葉を選んで、「世界平和の実現のためにあらゆる努力
をする」とか、実行可能なことを話すべきじゃなかっただろうか。
(全体としては正しいことを言っており、内容自体は支持したいと
思うが)

#1995/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/13(Mon.)  21:21  ( 42)
選挙は儀式にすぎない     一久
★内容
【政党内民主主義こそが大事】

選挙というものは、民主主義の最終的なセレモニーにすぎず、選挙をやった
からといって民主主義が成立する訳ではない。選挙は民主主義の必要条件では
あるが、十分条件ではない。

民主主義が機能する為には、各政党(それも国民の一部ではなく全体を代表す
る政党=大政党)が、その政党内部において民主主義を備えもっていることが必
要である。それによって、広く異見を求め、活発な討論によって政策を吟味し、
より良きものを選択する。そういう機能を、政党は備えていなければならない。

政権を担当しようとする大政党が、どちらの政党も政党内民主主義を備えてい
るのであれば、どちらが選挙で勝とうが負けようが、国民にとってはどうでも
よいことになる。政権を獲った政党の内部において、常にその政策が批判・検
証され続けていくのであるから。

このように、どっちが勝ってもうまくいくという状況があってはじめて、「選
挙は水物」であっても構わないということになる。今回の参議院選挙のように、
いわば集団ヒステリーがもたらした衝動的結果で議席数が激動しても、政党内
部の民主主義が健全でさえあれば、実害はない。

今回の選挙をみて、「民主主義はサイテーの制度だ」と某漫画家氏は言うが、
選挙だけをみて民主主義だというのであればそのとおりだ。だが、民主主義と
いうものの根幹は、選挙ではなく、政党内民主主義、すなわち、各政党が、政
党内において真摯に真理と中庸と決断を追求している、という仮定にこそある。

選挙とは、ただ単に、どの政党が政党内民主主義をより追求しているかを採点
するための装置にすぎない。このような装置を必要とする訳は、各政党を競合
させないと、集団というものの性として、常に腐敗するからである。

民主主義においてマスコミのすべきことは、まず第一に、このことを国民に理
解させることなのであるが、どういう訳か日本のマスコミというものは、愚集
と一緒になって感情的選挙を主導しているのだから、困ったものである。

さて、問題は民主党である。かの政党に、政党内民主主義が存在するのであれば、
政権交代も構わない。だが、残念ながら、かの政党において異見を歓迎する体質
があるだろうか。党内で激論をかわす覚悟があるだろうか。決定を下す度胸があ
るだろうか。甚だしく疑問である。民主党に政権担当能力ナシと言われるゆえん
である。

自民党の党内民主主義もまた、上等とは言えないが、利権という接着剤によって
かろうじて党内民主主義らしきものを形成している。


#1996/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #1990 ***
★タイトル (********)  07/ 8/13(Mon.)  21:50  ( 44)
民主主義の国民とは     一久
★内容

【政党のあるべき姿】

ハナ・アーレントいわく、「組織されない国民の意見は無力である」

マスコミは、国民の声を聞け、とか、国民の意見が政治を動かすだとか言いたがる
が、それが虚しい言葉であることは、誰もが感じていることではないだろうか。

アーレントの言葉は、その核心を一言で射抜いている。

政党というものを通して、組織された意見を形成しない限り、「国民の声」などと
いうものは無力なのである。しかし一方で、国民大衆のすべての意見を取りまとめ
るなどということは現実的に不可能であろう。大衆のほうでそれを面倒臭がるはず
である。

だが、現実の問題として、国民は全員が議論に参加せねばならないと思っている
のであろうか。そうではあるまい。もしも、優れた人々が集って、真摯に議論をし、
適時、妥当な判断をしてくれるのであれば、彼らに任せっきりにしてもよいという
のが本音ではあるまいか。

問題は、そのような信用を置ける政党も、人士も、存在するとは思えないという
ところにある。孔子風に、聖人君子では現れぬ限り、その問題は解決しないだろう。

しかし、それに対する答えこそが、民主主義なのである。個人の人間は信用でき
ない。すべての人は過ちを犯す。すべての組織は腐敗する。ゆえに、常に誰からの
意見であっても耳を傾け、真摯な討論をし、また、参加を望む大勢の人による票決
によって採決をする。それによって、擬似的に聖人君子政治を現出せしめるのであ
る。

相当に大勢の、真摯な知性豊かな人々が、討論を繰り返し、政党と権力を監視する
のであれば、国民大衆は、なにも自分自身で政治問題を考える必要もなくなる。
しかし、この大勢の有志というものは、政治に関心を持ち、いざとなれば自分も
その討議に加わる覚悟を持った政党の党員によって担保されているのである。

そして、その他大勢の党員を担保しているのは、いざとなれば党員となって討議に
参加するかもしれないという国民大衆なのである。

優れた人々が政治を監視するのであれば、国民は安心して政治を任せることができる。
だが、優れた人々に政治を監視する能力を与えるには、国民大衆が政党政治に関与
する覚悟を常に持たねばならないのである。

権力は必ず腐敗する。どんな集団も必ず腐敗する。腐敗を進行させない唯一の方法
は、外からの風にあて続けることである。



[ コメント数 1 読む(F1996) ]

#1997/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #1996 ***
★タイトル (********)  07/ 8/14(Tue.)   2: 9  ( 35)
Re:1996  私はこう思います     S1
★内容

国民が自分らの代表を選んで、自分らの代わりに政策を議論してもらい、
政策を決めて実行に移してもらう、それが民主主義だというのはわかる。
しかしそれは、単なる白紙委任ではなくて、議論が正しく行われている
か、正しい政策が選ばれて実行されているかを判定するのも国民による
選挙だと思う。そう考えると、民主主義社会において、国民は政治に無
関心ではいられないように思う。それは別に国民ひとりひとりが議論に
参加するというのではなくて(そんなことができるなら間接民主制にす
る必要はない)、自分が選んだ政治家がきちんと政治を行っているか、
あるいは実績のない人ならそんな風にやってくれそうかどうか、選挙と
いう手段でもって国民が判定することになるからだ。

党内民主主義ももちろん大事だろうが、今の各政党をみていると、党員
というのは組織を支える構成員という感じが強くて、自由に議論する以
前に、小異を捨てて大同をとり組織を安定させることが優先されている
ように思える。そして、私個人としては、これまた暴論かもしれないが、
それでもいいかな(そういうのもアリかな)と思っている。ときと場合
によっては、極右・極左の硬直した思想をもつ政党の、強力な主張が支
持を集めることもあるだろうから。「それは国を破滅に招くので断じて
避けるべきだ」という意見もあるだろうが、国内の民主主義がきちんと
機能しているのであれば、そんな政党でも暴走はできないはずだ。なん
となれば次の選挙で確実に敗退するのだから。

一久さんのおっしゃる通り、日本で一番党内民主主義が成立している政
党は自民党だが、その自民党においてさえ、小泉前首相は、自分の政策
に反対する議員たちを徹底的にたたいた。多数決の論理ばかりをふりか
ざし、少数意見を圧殺するやり方は、決して民主主義とはいわない。
ましてや、右翼の新風、左翼の共産党などは、とても党内でひろく異論
を求めるような雰囲気にはない。(誤解のないように言っておくが決し
てそのような状況を積極的に肯定しているわけではない。どの政党にも
党内民主主義があった方がいいに決まっている。)

「党内民主主義を採点するのが選挙」といわれる一久さんのご意見もわ
からなくはないが、現実には、国内はもちろんおそらくは諸外国をみて
も、多くの国民がそのような考えのもとで選挙にのぞんでいるとは私に
は思えない。

[ コメント数 1 読む(F1997) ]

#1998/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/14(Tue.)   9: 9  ( 25)
アッサショーリューとモリッソーリ     KN
★内容
 朝青龍って、朝昇龍という四股名と思ってたが、実相が出たようだ。
青くなってしまっているわけだ。幕内に上がった時は、横綱になると、
思ったが、品のない横綱だが、そうなった。でも、高砂が、説得できない
ほど思いあがっているし、なめられている。

 森元総理のコイズミ、安倍に対する姿勢もよく似ている。キョーイク
とか言うが、自らの派閥の弟や、その孫弟子について、全くキョーイク
できない情けなさ。群馬の山本一太にもバカにされている。山本の安倍の
組閣に対する意見も聞いたが、”スターを入れないと”という発言。国民を
舐めたやつだ。惨敗の捕らえ方が軽すぎ。コイズミの3本指とおなじだ。
リーダーの居ない集団にありがちな、烏合の衆。渡り鳥のコイケ。世の中
を耕さない世耕。前回の衆議院は、三宅氏も世耕は大したものだと絶賛して
いたし、ハマコーも全て任せるとか言ってたが、今回の惨敗は世耕のことは
言わなかったよな。ユウセーバカが、国民を騙しただけなのだ。それを、
手助けした。罪が深いぞ。安倍の目もうつろ、コイズミに支持率用に使われた
だけ。コイズミ同様、頭が悪いな。

 昨日のTVタックルに出ていた片山参議院幹事長も、バンソーコーと
言ってしまわれたが、落選やむなしと、思った。もっと深いところに
惨敗の原因がある。コイズミに従って落下傘候補を押してしまったから
なあ。早坂氏並みの人間鑑定眼があると、総理候補と言われても良い人物なので、
惜しい。でも、コイズミの下で働いてしまったものなあ。

 安倍か朝青龍か、引退時期比べ。どっちが早いか。あほなリーダーの下では、
こうなるな。


#1999/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/14(Tue.)  20: 8  (  7)
カイアクかジャッコウか?:本質を自問自答していた     KN
★内容
 河野太郎氏は、ジャッコウしたから惨敗したと言っていたが、
カイアクを継続拡大したことが本質であり、ジャッコウさせる
ことが、国民の声なのだ。そこを押さえないで、アカギクンを
更迭してみたりとか、今まで通りの美繕策をやっていくことだろう。
ウチクシー国をチクるという目指すものが見えず、何をやるのか
分らぬという政治空白が続く。



#2000/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 8/15(Wed.)  11:11  ( 13)
安倍総理の発言を支持する     S1
★内容

「靖国神社参拝は閣僚といえども個人の自由だ。それぞれの見識で
判断するものだと思う。」

なぜ今までこんなまっとうなことを公言する総理が出てこなかった
のだろう。
全くその通りである。靖国というところは、総理であるから、閣僚
に選ばれたから参拝するものではない。参拝する総理もいれば、参
拝しない総理もいる。それでいいのだ。
何度も言うが、「すべての総理は靖国に参拝しなければならない」
ということも「いかなる総理も靖国には参拝してはならない」とい
うことも、自由の国である以上あってはならないことだ。「参拝す
る総理が好き」あるいはその逆、という人は当然いるだろうし、そ
れはいっこうにかまわないのだが。

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