〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#2111/2200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/11/25(Sun.)  14:32  ( 45)
ゆとり教育の意味     KN
★内容
 ゆとり教育と言うと、勉強しない風に取られがちだが、意味は
逆なのだと思う。地球温暖化と言われて、冬の暖房が要らなくなると
いうメリットについては”誰も言わないのですね”という発言をした
人がいた。今の地球の状況を実体験しないと分からない人も多かろう。

 ゆとり教育前後だったと思うが、学ぶ楽しさを知って、それだけに
突き進む年代の子がいた。どうなったか。・・・困ったことになる。
そんな実例を知ってしまった。


 その昔、ロケット博士と言われた糸川英夫氏の著書の中で、遊ぶことの
意味を、蟻の生態を通して知った。蟻を2群に分け、一つの群は放任。
もう一つは、ゆとり無く働かせるということだった。地面を掃いて、巣に
戻れぬようにしてしまったら、遊んでいた蟻は、戻れたが、余裕の無かった
グループは、戻れなかった。おそらく、遊んだ蟻は、巣までの測量などを
遊ぶ間に、何重にもやっており、目印が無くなっても、いろんな
手がかりがあり、測量し直し、戻れたのだと思う。

 ゆとりの無い教育を受けた子は、もしかしてこうなる可能性があると思って
しまったことがある。地方の国立大学。上級公務員に合格する子は、学年で2人ほど
だと言う。その試験に合格し、各省庁へ、面接に行ったら、お前のような者は
勤まるまいという罵声に近いものを浴びたらしい。永平寺とか、僧侶に入門する
手順と同じで、そういう世界もあることが分かっていれば、うつになることも
なく、県の職員とか、別の道に進むこともできたかもしれない。その後、食べ物が
喉を通らず、衰弱し、脳死状態。命は、風前の灯火だという。・・・何もそこまで
とは思っても、自分の人生の選択はそれしかないと思い詰めてしまった。

 社会体験の少なさ。折角の学問すら生きない。ゆとりという言葉は、誤解を
与える。今は、寺での修行は、精神病院があるためか、許可にはならないだろうが、
食平等の世界で、雲水たちと一緒に生活してみて、他の生き方があることが
分かったかもしれない。僧堂だけではない、海外留学などで、異文化に接して
みて種々の生き方があることが分かったかもしれない。もったいないことを
したと、悔やまれる。

 ラーメンで有名な福島県喜多方では、特に有名な店に、中学生らしき子達が
社会学習ということか、手伝いをしていた姿を見た。よいきっかけだが、も少し
期間的に長く取って、店の裏面も見える程度の期間なら収穫も多かろうと思って
しまう。

 温暖化について、暖かくなるから良いと発言した人は、灘・東大というエリート
コースを出てきたと、書いてあったから、なお、深刻に感じる。机上の学問だけ
だと、上祐やら、竹中やら、コイズミとか、しょうもない人間しかできないのでは
ないか。ゆとりより、かわいい子には旅させるというほうが、狙いがはっきり見え
誤解を生むまい。ボクシングだけとか、卓球だけとか、先んずればと、教育したら
カタワになりはすまいか。


[ コメント数 1 読む(F2111) ]

#2112/2200 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #2111 ***
★タイトル (********)  07/11/25(Sun.)  22:10  ( 52)
ゆとり教育     一久
★内容

【 意味不明な「ゆとり教育」】

そういえば、「ゆとり教育」とは本当のところどういう意味なのか、
はっきりしないような。

「ゆとり教育」という ”運動”があることは確かなようだが、確かな
定義はどこにもないのではないか。これが「ゆとり教育」だと言える
人はどこにもいないのではないだろうか。

各自が勝手な解釈を付けて、ゆとり教育が良いとか悪いとか言っている
ように思える。これでは、感情的な悪口雑言の応酬になるだけで、なんの
益もないのは当然であろうと思う。


【定義ではなく事象でいえばかくのごとし】

ゆとり教育の定義は不明であるが、ゆとり教育の為と称してなされたことは
下記のようなことだったと思う。

1、 授業日数が減った
2、 教える知識量が減った
3、 考える能力を身につけさせることが重視された

等であろうか。

「考える能力の重視」というのは、ゆとり教育の”錦の御旗”であるが、冷静
になって考えて欲しい。「考える能力を育てるシステム」というようなものが
実在するのであろうか。そんなものがあれば、子供だけでなく、全社会人が
受講したいと思うのではなかろうか。特に、国会議員のセンセイ方や、官僚
諸氏には、受講を義務付けることが求められるべきではないだろうか。

そう、「考える能力」を訓練することなど、実は誰にもできないのである。
もし出来るというのであるならば、まず首相にそれを受けさせよ。大臣に
それを受けさせよ。トップ官僚にこそ受けさせよ。

教育にできることは、考える為の技術や知識を与えることだけなのである。
「馬鹿の考え休むに似たり」とはよく言ったもので、技術や知識なしに考え
ても、前に進むことはないのである。

考える能力そのもの与える方法は実在しないが、そのための役に立つ技術
や知識ならば存在する。幾何で補助線を引く手法や、様々な数式、数学的
思考や様々な学問・技術・知識に潜む教訓等である。

ゆとり教育というものが、真に「考える能力」を育てる為のものであるな
らば、これらの、いわば学問の粋を教えることにこそ傾注せねばならない。
しかしそれは、教師自身が極めて高い学識を有していなければならないと
いうことを意味する。また、生徒が学ぶべき内容も、むしろ増えこそすれ
減るようなことはない。





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