〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#2217/2300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  08/ 6/ 3(Tue.)  21:19  (107)
財政破綻してでもハコモノを作る、と言った政治家はいない     一久
★内容

【破綻してもいい、という候補者はいなかった】

「ハコモノを作る為なら、財政が破綻しても構わない」と公約し
た候補者は古今東西、一人もいないし、そのような理由で投
票した有権者も、おそらく皆無だろう。

公共投資を拡充したい、と訴える候補がいたとしても、それは
あくまでも遣り繰りを上手く行って、そうするという意味である。
そうでないならば、その候補者を選良とすべき理由がないの
だから。

ゆえに、選んだのは府民だから、府民に責任がある、というの
は、無理がある。

その候補者が本当に遣り繰り上手であるか、虚言癖のある人
なのか、それを選挙期間の報道だけで知ることができるならば、
その有権者はエスパーだ。

ではどうすればよいのか。

それは、選ぶべき基準を変えることであり、民主主義にとって
一番大事なものは何であるのかを知ることである。


【政党内民主主義こそ第一儀】

いかなる政治体制であれ、良き政治とは、

「様々な意見や新規のアイディアに耳を傾け、真摯に検討し、
実行する。間違っていたら、速やかに修正する」

ということに尽きる。ヒットラーや信長でさえ、他人の意見を聞く
耳を持っていた。むしろ、一般の政治家よりも他人の意見を理
解し、革新的な手法を実行した。

ただし、これらの独裁者は、自身の感性だけがこれを担保して
いたがゆえに、それに外れた事態には対処不能となる。

民主主義というものは、国民すべてが為政者に意見できるとい
う状況をもって、これを担保しようという制度である。

だが、それはそのままでは不可能に近い。

ゆえに政党を作り、組織として党内外の人間に意見を求め、
自由かつ活発な議論を行い、為政者に提言する。場合によって
は、党議によって党の代議士や総理大臣の行動をも規制する。

民主主義の政党とは、このようなものであらねばならず、民主
主義の選挙とは、どの政党が理想的な政党内民主主義により
近いやり方で運営されているかを選ぶ行為でなければならない。

もしも、党内民主主義を全く持たない政党に政権を与える結果
が出たならば、その国民は民主主義を否定したということにな
る。民主主義の選挙とは、民主主義が自殺する為の装置でも
あるのだ。

【首長直接選挙は危険な制度】

このことから考えると、本来、首長を直接選挙で選ぶことは大
変危険な制度であると言える。

議院内閣制の国会において政党が担保すべき党内民主主義
を、首長の個人的な仲間の集まりにしか求めることが出来ない
からである。

言い換えれば、首長選挙において報道すべき一番大事なこと
は、候補者達の近辺において、他の意見を取り上げ、吟味す
る体制がどれだけ出来ているか、ということである。

首長において民主主義を担保しているのは、まさにそのような
個人的な組織だけなのだから。(もっとも、政党ベッタリの首長
というものも存在するのだろうが)

首長は個人で政党内民主主義を代行する組織を持たねばなら
ない。もしくは、政党内民主主義を持つ政党に支援されねばな
らない。

有権者の側から言えば、なにか意見を持ったとき、それを訴え
るべき場所が必要であり、その内容について真剣に討議する
組織が必要であり、その組織は現実の政治の場で力を持って
いることが必要である。

そのような組織こそが、政党内民主主義を持った政党である。

そして、このような政党が存在するならば、一般の有権者は、
実際には政党に意見を言いに行く必要もなくなる。

なぜならば、その政党が他からの意見をよく汲み取り、吟味す
る能力を持っているのであるならば、いわゆる学識者だの政治
に関心のある人だのが、真っ先に意見をしに行くからである。

一般市民よりも遥かに知識と経験が豊富な彼等が口を出し、
政党のほうもまたそれを真剣に検討するのであれば、一般市民
の口出すことなどほとんどないはずである。

万一、世の識者が気づかない問題点を発見したならば、そのと
きは、政党に言いに行けばよい。政党側もまた、そのような意見
を見出してくれる新鋭を待っているのだから。

これが政党内民主主義というものであり、民主主義にとって一番
大事なものなのである。

政党内民主主義の無い状態で選挙をしても、それは民主主義
ではない。ゆえに、独裁者の政党が民主的に選ばれることがあ
る。民主主義の欠陥ではなく、民主主義の理解の欠落である。



[ コメント数 1 読む(F2217) ]

#2222/2300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #2217 ***
★タイトル (********)  08/ 6/ 4(Wed.)  22:37  ( 95)
橋下朝政の限界     一久
★内容
【政党内民主主義の代用となるか】

橋下氏は、選挙期間中、当選したら現場の声を聞いてまわる、と
言っていた。これは、党内民主主義に通じる態度であり、それゆ
えに、私は彼に一票を投じた。

また、当選後の橋下氏は、「公約」どおり、役人や府下市長その
他と積極的に会見を持っている。

だがそれで、党内民主主義の代用が出来ているかどうか。

むしろ、橋下氏が精力的に動けば動くほど、橋下式の限界が見え
てきたように思う。これは、橋下氏個人の能力の問題ではなく、
役所内に意見を聞く場を持つというスタイル自体の構造的欠陥
である。


【橋下朝政の限界】

【 致命的欠陥 その一 】

役所内の意見交換会は、公開の場とすることが難しい。

そこでした自由な発言が、世間一般には認められないからで
ある。議会において議員が述べる意見は、議会の外で責任を
問われることはない。が、役人は違う。

例の、「サービス残業発言」をした女性職員に対するバッシング
をみよ。

そしてあのとき以降、橋下知事がしたように、非公開とすること
なしには、自由な意見を求めることは不可能になってしまった。

役所の職員は、非公開の場でしか自由な発言はできない、の
である。彼等は、首長の部下であって、議員や党員のような、
知事の指揮下に入らない自由人ではないのだ。

しかし、「非公開となった自由な討論」には、もはや民主主義を
期待することができない。

政党内民主主義の根本は、党内での意見や政策に対して、外
の民衆が提言や指摘をすることができる、というところにある。

そのためには、討論は常に公開されていなければならない。密
室の討論に対しては、いかなる賢人といえども、一言のアドバイ
スもすることができないのだから。


【 致命的欠陥 その2 】

民主主義は、政党内民主主義を標榜する、二つ以上の政党を
必要とする。

「こんな運営の仕方は民主主義ではない。我々はもっとマシな
運営をする政党を新たに作る」

と言って、分離独立するグループがいなければ、政党内民主主
義は形骸化し腐敗する。

複数の政党が党内民主主義の完成度を競ってこそ、お互いの
党と、国全体の民主主義が保たれるのである。

だが、役所を二つに割る訳にはいかない。

『政党』は二つ以上必要であり、役所はひとつでなければなら
ない。

ゆえに、役所内の討論会が、党内民主主義の代わりをすること
は不可能となる。

つまり、橋下朝政は、「腐敗・形骸化した党内民主主義」にしか
なりえないのである。


【 議員に聞け 】

役所の職員に話を聞くこと自体は悪くない。だが、これは党内
民主主義の代わりを果たせるものではない。こんなことをしても
それは民主主義ではない。

信玄や家康は武将達の意見を良く聞いたというが、だからと言
って、彼等が民主主義者ではないのと同じことだ。

真に聞くべきは、選挙で選ばれた議員達である。

それもただ聞くのではなく、公開の場で討議させ、切磋琢磨する
場にしなければならない。

法定の議会とは別に、知事の私的な政治討論会において議員
達が自由に発言できる場所こそが必要なのである。その場に、
市井の賢者を連れてくることも認めれば、大阪中の識者がその
集いに参加するようになるであろう。

熊谷氏にも来ていただけばよい。

これならば、政党内民主主義の代用にもなろう。

番号またはコマンド=