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#224/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/11/30(Fri.)  22:15  ( 28)
成人は18才からにすべき(3)     S1
★内容

 アビスパ福岡の19才の選手が女子中学生に淫行したという事件があっ
た。未成年ということで、実名報道されていない。

 高校まで卒業し、親元から離れてチームの寄宿舎で暮らし、高い給料を
もらって生活している者を、成人として扱って何の問題があろうか。
 やはり、成人年齢は18才とすべきである。
 そうすれば、児童ポルノ処罰法や淫行条例が「18才未満の児童」相手
であるという内容も、「未成年」相手ということで、非常にわかりやすい
形となるのである。

 話はそれるが、この事件がもとで、アビスパをJリーグから除名せよと
いう議論があるという。
 私が思うに、チームに責任なしとはいわないが、あくまで一選手の問題
であり、当事者を処分すれば十分であろう。(その選手は、永久追放にな
ってもしかたあるまいが。)

 「バレるようにやったのが悪い」
 「女を買うくらい精力のある奴でないとスポーツ界でやっていけない」
 「いいプレイをファンに見せてくれるならこれくらいいいじゃないか」
 そんな意見もあるようだが、私は反対である。
 「スポーツ選手たるもの聖人君子たれ」とまでは言わない。
 しかし、少なくとも一般人と同等のモラルや常識をわきまえてもらいた
いものだ。(これはスポーツ界に限らない。)
 それでスポーツ界のレベルが下がるというなら、下がればよいのである。

 



#225/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  01/12/ 2(Sun.)  20:42  ( 27)
マラリアと戦争     KN
★内容

 戦争の現場では、ちょっと信じられないこともある。

 父は、第二次大戦で、中国で戦っていた。終戦で帰るとき
に、父を呼んだ人がいたという。そして、スイカをたくさん
持って来て食べてくれという。

 中国には、親戚などいるわけもなく、いぶかしく思ってい
たそうだが、自分はマラリアにかかり、薬を飲んでおり、現
地の人にも内緒で分け与えたのだという。その薬をもらった
人が、恩義に感じて、スイカを持ってきてくれたそうな。


 まさか、敵国の兵に、恩義を感ずるなど、信じられないが、
そうだったという。南京大虐殺だの、歴史認識が言われてい
るものの、中には、信じられない話もある。彼らは、塩を分
け与えたりすると、野菜などの食べ物をどっさり持ってきて
くれたのだという。

 恩義を感じ、恩を忘れない国民が中国人である。

 かつての蒙古は、アフガンをも含んでいたわけで、この恩
義に感じる思想は残っている。

 これが、タリバンを援助してくれたビンラディンをも守っ
てしまった。このことが、逆の意味で悲劇を生んだのかもし
れない。


#226/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #223 ***
★タイトル (********)  01/12/ 2(Sun.)  20:49  ( 10)
Re:223 売買春でなければ、かまわないのでは?     一久
★内容

 未婚でも、既婚でも、十八歳以下の女性と関係を持つこと自体は罪ではないのでは?

 売買春であることが問題なわけで、合意の上であれば、構わないはず。

 ただし、十四歳以下の場合には、男女の区別なく法にふれるようですが。

 これは、たとえ合意の上であっても、十四才以下のこどもには、性交渉の重大さを理解
 することはできないという考え方からのようです。



[ コメント数 1 読む(F226) ]

#227/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/ 3(Mon.)  21:51  ( 37)
道路公団     一久
★内容
【道路公団・高速道路国費投入廃止について】


 かなり旧聞に属するが、年間3000億円の国費投入をナシにして、代りに償還期間を
 五十年に延長することで決着がついたとか。

 そのことについて、どう思うかということを今日の「チチンプイプイ」というTV番組
 でやっていた。

 私の意見は、ほかの人とは全然ちがっているようだ。


 しみったれたこと言ってねぇで、3000千億円のところを十倍の3兆円ぐらいにして、
 とっとと全部つくっちめぇばいいじゃねぇか。

 いまから20年かかるというのを、五年でかたしちまえばいいんだ。

 ちょうど、雇用対策にもなっていいじゃねぇか。


 * * * * というのが私の意見でアリンス。


 国債の発行限度額にこだわる必要はないのじゃ。

 問題が解決したかどうかということこそが「問題」なのである。
 
 たとえ三十兆円という数字が守れたとしても、社会資本はお粗末なまま、雇用も相変わ
 らず、というのでは、お話にならない。

 そえれは、城を守って国を失うようなものだ。

 今、大金を捻出して高速道路整備を完全なものとすれば、この問題は一応の決着がつく。
 民営化うんぬんは、そのあとでいいだせばいい。





#229/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #226 ***
★タイトル (********)  01/12/ 7(Fri.)  21:41  (  9)
Re:226 誤解していました     S1
★内容

  そうか、18才未満を相手の売買春行為であれば、
売春防止法のほかに児童買春・児童ポルノ禁止法が
適用されるんですね。
 私の#223の点線下部は、見当はずれのことを
書いていました。

 ご指摘ありがとうございました。

 

#230/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  01/12/ 9(Sun.)   9:43  ( 23)
牛の耳と曲がったキュウリ     KN
★内容
 以前、本田宗一郎が、牛の耳はどこにあると、言ったことがある。
彼は、趣味で、絵を描いていたそうだが、言われてみれば、その通
り。角と耳の位置を正確に描けない。絵を描くような注意力で物事
を見ていないと、観念論になる。

 一部の評論家、頭だけで考える政治家なども、実体が良く見えて
いない可能性がある。

 農業論などでも、私なら曲がったキュウリでも買いますと、言う
のだが、やはり、売れ残る。そういう評論家の言葉を、農家の人は、
ただ、ニコニコと聞いているだけで、答えはしない。言うことと、
やることが違うからで、人間性が丸見えなのだ。この種の人はだい
たい同じ事を言う。

 下手なひょろん、悲観論であたる。いや、正確げに見える。不況
なれば、緊縮財政緊縮財政と言えば、もっともげだ。根拠はあるよ
うで実体はない。

 印相学と称するはんこ屋と似たようなものだ。都合の悪いことは、
すべて、自分の作る”相”の良いはんこを使わないからというとこ
ろに落とすわけだ。


 

#231/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/10(Mon.)  21:49  ( 68)
携帯電話の未来像     一久
★内容

【携帯電話の近未来像1】


 私は携帯電話がキライである。

 第一、あの携帯電話をかけているときのスタイルが格好悪い。

 片手を耳に充てて、昔の任侠映画のよなポーズで話している人を見ると、

「古いヤツだとお思いでしょうが、古いヤツほど新しいモノを欲しがるモンでござんす」

 と言ってやりたくなる。

 ということで、私が携帯電話を買うとしたら、ウルトラセブンの地球防衛軍が使って
 いたような、TV電話付き腕時計型が出来てからにしようと思っている。

 しかし待て。

 あれって、相当に会話しにくそうだぞ。

 腕時計を耳に充てるのは大変そうだ。

 はて、地球防衛軍は、どうやって通信していたのだろう?

 そうそう、思い出した。

 あの腕時計型の通信機は、音量が大きいのだ。

 だから、耳に充てる必要も無かったのである。

 あのころの人は、他人に通話内容を聞かれることを、なんとも思わなかったのである。

 嗚呼、そうだ。それでいいのだ!!

 通話相手の声が、周りに聞こえても構わないのだ。

 なんと単純ですばらしい真理であることか。

 携帯電話で通話している人よりも、大きな声でしゃべっている人は結構多い。

 だけれども、それらの人々よりも携帯電話でしゃべっている人のほうがカンにさわる。

 なぜならば、携帯電話の人は、今自分の周りにいる人々を無視して独善状態にあるのに
 対して、目の前の人としゃべっている人は、一応はその場にいる人(対話相手)のこと
 を気遣う位置にいるからである。

 もしも、携帯電話の通話相手の声が周りにも聞こえたならば、通話している人も周りの
 目(耳?)を気にするようになるし、周りの人も通話内容を共有することによって親近
 感を持つようになるかもしれない。

 そうすると、携帯電話の通話を通じて、現代版・井戸端会議が生まれるかもしれない。

 携帯電話の受信側音量は、大きくて良いのだ。

 通話内容を、他人にも披露すべきなのだ。

 しゃべっている声しか聞こえないから、周りにストレスを与えるのである。

 繰り返す! 話を聞かれても良いのだ。否、聞かさねばならないのだ!

 大きな音で通話すべきなのだ!

 ♪ 大きいことはいいことだ〜 ♪

 これで、地球防衛軍の腕時計型TV電話も、実現のメドがつく。
 



#232/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/10(Mon.)  21:49  ( 18)
オプション     一久
★内容
【オプション】

 
 どうしても他人に会話内容を聞かれたくない人には、そう、ピアスにマイクを
 付けるというのはどうだろうか?

 現在の高性能マイクは、この位置でも十分に音を捉えることができるはずだ。

 問題は、人間の耳は高性能化してはいないので、聞き取りが問題なだけだ。

 ならば、耳に直にマイクとスピーカーをとりつければよい。

 ピアス型レシーバーの誕生である。

 これならば、他人に受信内容を聞かれる心配もない。

 といっても、自分の話す声は他人に聞かれることにかわりはないのだが...



#233/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/15(Sat.)  20:36  ( 44)
三方一両損     一久
★内容
【三方一両損】

 医療費改革のことを「三方一両損」だと小泉氏は言ったそうだが、それはちょっと
 違うのではないか。

 あの大陸越前の「三方一量損」は、三法損とは名ばかりで、実は大陸越前の一人損
 である。

 奉行が一両の損を出すことによって、騒動の当事者ふたりに引く場を作ったにすぎ
 ない。

 ところが今回の医療費改革において、奉行にあたる政府はなにも損をしていない。

 本当に三方一両損だというのであるならば、政府もまた大幅な歳出削減をしてみせ
 ねばなるまい。

 そうすることによってこそ、医師会も保険者も納得して一両の損を引き受けること
 ができるのである。

 _____________________________________


 そもそも、医療費というものは市場原理になじまなものである。

 医療は傷病を直すことを目的とする。

 そして現代社会においては、直せる医療があるならば、金に糸目をつけずに直して
 ほしいというのが一般国民の考えである。

 江戸時代においてなら、金がないのでそんな高価な薬はいらない、と言えるのだが、
 現代社会でそんな事態を放置すれば、与党政府は野党からさんざんに叩かれる。

 肉の値段が高くなれば、買わなければいい。

 だが、薬の値段が高いからといって、そんな薬、使わないでくれ、とは言えないの
 が現代なのである。

 そうすると、必然的に医療費は高騰せざるを得ない。

 だから、医療費を高騰させないためには、なんらかの人工的な手段を講ずる必要が
 あるのである。

 



#235/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/18(Tue.)  22:40  ( 73)
平和とは何か     一久
★内容
【平和とはなにか】

 
 戦争が無ければ平和か。

 そうではないようでもあり、そうであるようでもある。

 そこで、そもそも平和とは何かについて考えてみよう。

 このような難しいテーマを考えるときには、その逆を考えてみることが有効である。

 つまり、

 「平和でない状態」とはなにか、をである。

 あきらかに、平和ではない、と思える状況を考えてみるのである。

 それらには、どんなものがあるだろうか?


 まず第一に、戦争があれば平和ではない。

 戦争が無ければ平和と言えるかどうかは判らないが、戦争があれば平和ではないこと
 は明らかである。

 つまり、「戦争がない」ということは、平和の十分条件ではないが、必要条件である
 ということがこれではっきりした。


 第二に、テロや暴動が頻発する状況も平和ではない。

 第三に、町中に軍隊が臨戦態勢で常駐する状況も平和ではない。

 第四に、国家同士が明日にも戦端を開きそうな状況も平和ではない。

 さらに、一国内において、人々がいつ何時、殺し合いをはじめるかもしれない状況も
 また、平和とはいえない。

 
 これらの状況は、ある種共通の条件を備えている。

 それはつまり、

 「多数の人が殺し合うか、暴力の行使を始める可能性の高い状況」である。

 この状況にあるとき、それは平和ではないといえる。

 逆に言えば、そうでないとき、平和であるといえる。

 

 差別や虐待等があるときも、平和とはいえない、という人もあるかもしれないが、も
 しもその差別や虐待がその社会における許容量を超えれば、必然的に暴力行為を誘発
 する。

 そのレベルに達したときには、それは平和ではないといえる。

 現に、パレスティナは自爆テロなどなくても、すでに平和ではない。

 逆に、そのレベルに達していないのであるならば、平和といえることになる。

 我々の社会にしたところで、人によっては資本家が労働者を搾取している一種の奴隷
 制度だ、というかもしれないのだ。

 だが、これをもって日本は平和ではない、という人は少ないだろう。


 暴力それ自体を封じ込めるには、暴力を以て可能であるが、「暴力の行使の可能性」
 を排除することは、暴力だけでは不可能である。

 暴力を行使する動機を排除してはじめてそれが可能になる。

 誰もが暴力を使う必要のない状況であれば、それは確かに平和であると言えよう。


#236/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/22(Sat.)  21:24  ( 93)
市議会議員選挙     一久
★内容

【市会議員選挙について】


 いま行われている市会議員選挙のやりかた
である、大選挙区制というものは、どう考え
ても市民の代表を選ぶものとしてふさわしく
ない。

 わずか何千人かの組織票を固めさえすれば
当選するという点もさることながら、立候補
者のほとんどは当選するという手ぬるいもの
だからである。

 例えば、我が東大阪市においては、三千人
前後の投票があれば当選する。

 議席の数は約五十であり、立候補者数は六
十を越すことはない。

 このような状況において、どんな選挙結果
がでようとも、大勢に変化の起こる訳もない。

 大選挙区制、それ自体がダメなのだ。

 では、それに代わるよい方法があるだろう
か?じつは、適当な方法はないように思われ
る。

 比例代表や中選挙区制などは論外として、
小選挙区制度も、あまりに選挙区が小さくな
りすぎてうまくないだろう。

 と思っていたのだが、今日、ちょっとばか
り考えが変わった。

 小選挙区制でいいのではないか。

 小学校の学級委員長のことを思い出してみ
るといい。たいていは、ふさわしい子がなっ
ていたではないか。

 ということは、むしろ選挙区というものは
小さいほど、人間的には、という意味で良質
の選良を見つけだすものであるのかもしれな
い。

 そう考えると、小選挙区で構わないはずだ。

 東大阪を例にとって考えると、人口は約五
十万人だから、一議席あたり、一万人という
ことになる。

 地区で分けるのは面倒なので、全有権者を
五十の組にランダムに分割して、立候補者は、
どの組で選挙されるかを抽選で決める。

 立候補者が百に満たなかった場合には、公
示を行い、あと何人足りないかを有権者に知
らせ、立候補者を募集しなければならないも
のとする。

 余談ながら、選挙に行きましょうという宣
伝はよく聞くが、選挙に立候補しましょうと
いう宣伝はあまり聞かないであろう。これも
また、古い体質の残滓なのである。

 つまり、役所と議会はグルになって、市民
が議会に参加することを阻止しているのであ
る。そのくせ、市民が選んだ、という名目だ
けは欲しがっているのだ。

 小選挙区制度は、選挙区に二人以上の立候
補者が出なければ成立しない。候補者を募集
せざるを得ないようになる。

 一選挙区に一万人しか有権者がいないので
あれば、買収が横行する危険がある。

 が、五十万人のうちの三千人を買収するの
と、一万人のうちの三千人を買収するのとで
は、後者のほうがはるかに難しい。

 大きな組織の顔役ならば、三千人ぐらいす
ぐに得ることができるが、ランダムに選出さ
れた一万人の中に、自分のシンパを見つけだ
すことは容易ではあるまい。

 顔役も、一介の勤め人も、一から自分の考
えを有権者に売り込まねばならないのである。





#237/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  01/12/26(Wed.)   2: 1  ( 22)
希望のない痛み     KN
★内容
 カルロスゴーンに言わせれば、希望のない痛みは、逃げ
てしまうものだそうで、手法としては、効果は薄いのでは
あるまいか。

 小泉首相は、狂牛病騒動のとき、確か安全宣言は早いと、
言われたことがあった。確かに、その見方は正確に思えた。
とすれば、前向きの話が出ないのは、それほど深刻に捉え
ており、簡単に示せるものではないようだ。

 一つ、確かな見方と思ったのは、以前から言われている
ことだが、”こんなことしてると、だいっっ増税がやって
くる。”というとだ。小泉風にまとめると、”いったみに
耐えないと、だいっっ増税がやってくる。”となろうか。
残念ながら、正確な見方だろう。

 これらのマイナスにカッコを付ければ、大きなプラスに
なる。言葉にしてみれば、大減税が続いているということ
だが、なんとも締まらぬキャッチフレーズであるが。






#238/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/26(Wed.)  23:10  ( 42)
歴史に学ぶ     一久
★内容
歴史に学ぶということ


「歴史に学べ」、とよくいう人がいる。

一方で、「歴史に学べ」という人を毛嫌いする人もいる。そういうことをいう
人の多くは、自分の歴史観を押しつける為にそう言っているだけだ、と。

私の「歴史に学ぶ」態度を述べておこう。

それは、たくさんの事例を知るということである。

いや、人間の行動パターンのサンプルを収集する、と言ったほうがいいだろうか。

自分の料理の技法を増やそうとすれば、先輩の技を見るなり、古書にあたるなり、
せねばならない。自分個人の工夫で編み出せる技法には限りがあるからである。

歴史に学ぶということも、これと同じことだ。

いくら自分の頭をひねってみても、自分一個で想像できる事例は限られている。

歴史に学べば、古今東西のあらゆる事例を知ることができる。そのなかから、現在
に応用できそうなものを探しだせば、自分の想像力も広がるというものだ。

そして、歴史ほど、多くの物語を含んでいるものはないのだ。

そのためにこそ、私は歴史に学ぶ。

自分の想像力の外にある事象を集める為にである。

だから、私にとっての歴史は、歴史的事実である必要はない。

現代に役立てばいいのだ。役立たない歴史は、史実であっても価値が低いのだ。

例えば、秀吉の「一夜城」は史実ではない、というのが定説らしいが、マクドナルド
が第一号店を銀座に出したとき、まさに一夜城の方法で前日までの化粧品売り場を改
装してみせて、アメリカ本社の役員を驚かせた。藤田田のエピソードのひとつである。

義経の八相飛びも、史実ではない。第一、当時五条に橋はなかったのだそうな。でも、
舞の海は、八相飛びをやって相撲史に名を残したのである。




#239/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/28(Fri.)  21:26  ( 92)
自己責任     一久
★内容

アメリカでは、みな、自分のリスクで株式投資をしているから、日本人もそうすべき
だ、と言われるようになって久しい。

だが、私に言わせれば、これは本末転倒の馬鹿げた思考である。

個々の社会には固有の行動様式があるのであって、他国の行動様式にあわせて自国の
社会を変えようとしても無駄なのである。

それは、ネコに「お手」をせよ、と言っているのと同じことなのだ。

日本人は、稼いだ金を銀行に預けて、堅実に運用することを望んでいるのである。そ
れどころか、運用益がゼロいや、マイナスであっても、銀行で安全に保管してくれる
ことを望んでいるのである。それが日本の社会というものなのだ。

そういう社会にたいして、リスク覚悟で自己責任で、などと言っても、誰が耳を貸す
というのか。迷惑しごく、と思われるだけのことである。ゆえに、笛ふけど踊らず、
日本人がアメリカ人の真似をするはずもないのである。

まさに、「木に寄りて魚を求めるがごとし」

_____________________________________________________________________________


ゆえに、日本においてまずなすべきことは、銀行の信頼を取り戻すことである。

ということになれば、例の「ペイオフ解禁」などは、するべきものではない、という
ことになる。延期どころか、廃止するべきものであると言わねばならない。

こんなものを導入すれば、誰も銀行を信用しなくなるからである。

銀行が信用されなくなれば、株式市場に資金が回ってくる、とでも言うのであろうか?
なんとも、冷酷な思想ではないか。しかたなしに回ってくる金をあてにするなどとは!

しかし、そうはなるまい。単に、リスクを分散させて1000万円以下の預金に分割させる
方法を多くの国民はとるだろう。

そして、銀行のほうも、預金確保の為に、1000万円超の金額でも銀行自身の保証によっ
て預金全額を保証するシステムを作ることであろう。社会の要求にあわせてシステムが
作られるというのは、こういうことである。


______________________________________________________________________________

さて、ペイオフをやめにすると、外国から非難される、と言う人がいる。

嗚呼!、嗚呼!!、嗚呼!!!

まさにこれ、日本人の弱腰の典型、「他人の顔色を見る外交」そのものの考え方である。

小学一年生が、「まちがってると思ったけど、先生が言うからやった」と言っているの
と同じことである。

いかにも、元・学校秀才の官僚・評論家・マスコミ関係者の犯しそうな過ちである。

外国が求めているのは(もちろん日本人もだが)、日本経済の再生である。ペイオフでは
ないのだ。

目的が日本経済の再生であって、ペイオフは(そのために役立つかもしれないと欧米人
が思っている)手段のひとつでしかないのである。

わかりやすく言えば、ペイオフをやっても、経済が回復しなければ外国から非難される
ということなのだ。

逆に、ペイオフをしなくても、経済が回復すれば称賛されるのである。

さて、日本の元・学校秀才諸氏の頭の中には、次のような思考があるのであろう。

欧米(先生)が言うからペイオフをやった。それで経済が回復しなかったからといって、
なんで叱られなきゃいけないんだ!! と。

笑っちゃうような、子供じみた思考である。

また、彼らはこうもいうだろう。

お前、そんなこというけど、もしペイオフをやらず、経済も回復しなければ、どういう
言い訳をするんじゃい。もっとひどく叱られるじゃないか。それなら、いうことを聞い
て、ペイオフして失敗したほうがマシじゃないか。 と。

やれやれ、である。

彼らは自己責任において考えるということを知らないのである。

他人がなんと言おうとも、自分達のことは自分達で決める。そういう決意があってこそ、
なにをすればいいのかを真剣に考えることができるのである。それをする者だけが、道
を切り開くことができるのだ。

これが自己責任というものである。

今の日本においては、なんと、自己責任というものを理解していない者たちが、自己責
任で投資をしなさい、と喧伝しているのである。なんとも戯画的状況ではあるまいか。



#240/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/29(Sat.)  21:25  ( 82)
ヨーロッパ人の肖像     一久
★内容
ヨーロッパ人の肖像


オルテガの「大衆の反逆」を読んでいて、ふとなにかに似ているような気がした。

内容がではなくて、オルテガの考え方、特に、ヨーロッパの優越性に対する根拠
のない自信の持ち方についてである。

そう、あのヒットラーに似ているのだ。

同じような感覚は、オルテガだけではなく、ヘーゲルにもトインビーにもマックス
ウェーバーにも見受けられる。おそらくは、ほとんどの欧米白人が共有している感
覚なのであろう。

ヒットラーが特殊な存在なのではなくて、ヒットラーは欧米白人の隠された感覚を
雄弁に表現しただけなのである。つまり、ヒットラーとは、最も正直なヨーロッパ
人であるということなのだ。

言い換えれば、ヨーロッパ人は皆、ヒットラー的なものを心底に持っている。

それだけではなく、ヨーロッパに滞在した非ヨーロッパ人もまた、この種のヒット
ラー的な考えを無意識的に吸収してしまう。

それゆえに、世間には、日本人でありながら日本文化の独創性を認めようとしない
人や、燐国人でありながら、ヨーロッパの視点からしか日本を見ることのできない
韓国人も少なくないのである。

彼ら、ヒットラー的な人々が掲げる、貧弱な根拠とは、ひとことで言うと、ヨーロ
ッパだけが自前の発展を遂げた、という点である。

その他の文明は、他からの影響を受けなくなった時点で停滞する、というのだ。だ
から、日本もまた、そうなるのだ、という。

そして、(ヒットラーは別にして)そうなる原因は、自由を尊ぶ精神にある、とする。

___________________________________________________________________________

このような論に比べれば、戦後すぐの日本で提唱された、梅棹忠夫氏の「文明の生態
史觀」のほうが、よほど優れているように思える。

この論の要旨は、高度近代文明を築くのは、原始文明の恩赦の届く地域で、かつ、騎
馬民族などの略奪勢力から離れた距離にある地域で、そのうえ、食料生産に適度な労
働を要する地域であり、それは、西ヨーロッパと、日本以外にはなかった、というも
のである。

____________________________________________________________________________

それはともかくとして、私はヨーロッパもまた、独自に発展したのではなく、常に多
からの刺激を受けていたのだ、と思っている。つまり、この時点で、ヒットラー的な
考え方を否定してしまっている。

では、なぜ、ヨーロッパは世界を席巻したのか。それは、「隣の芝生は青く見える」
からである。

後進地帯であったヨーロッパには、見習うべき他文明がいっぱいあった。イスラム、
中国、インド、あるいは、過去のギリシャ・ローマ。

それらの先進地域に追いつこうとするあまり、師匠の国以上のものを作ってしまった
のである。

日本のタクシーには、自動ドアがついているが、あれもまた、同様の心理が生んだシ
ロモノである。日本人は、ヨーロッパに行って自動ドアがついていないことを知って、
はじめてヨーロッパはそこまで進んでいなかったということを知るのである。

ヨーロッパの幸運は、たまたまその時期が産業革命の時代と重なっていたということ
である。自動ドアぐらいで出遅れても、大した問題はないが、蒸気機関が進歩する時
期に出遅れたならば、遅れを取り戻すことは容易ではない。

さて、そのヨーロッパも、自分たちが世界のトップに立ったと自覚したとたんに停滞
を始める。そしてアメリカに追い抜かれることになる。

オルテガの自信とは裏腹に、ヨーロッパはアメリカに屈伏した。

その後のヨーロッパがなんとか盛り返しているのは、アメリカを新たな先進地帯であ
ると認め、ふたたび、隣の芝生を青く見ることを始めたからである。

つまり、オルテガが批判した人々こそが、ヨーロッパを再生しているのである。

それがなにより証拠には、オルテガの賛同したヨーロッパ共同体構想が最も進展した
のは、アメリカの優位が決定的となった第二次世界大戦後と、日本の経済力が世界を
席巻した1980年代後半だった。



#241/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 3(Thu.)  11:16  ( 71)
ヤマト運輸:構造改革後の企業     KN
★内容
 暮れに、蕎麦好きの人に蕎麦を送ろうと、30日にヤマト
運輸に直接持ち込んだ。数年前に、新しい高速インター近く
にプレハブの営業所が移転し持ち込みも簡単になった。

 確か、以前は、18:00までが受付最終時間だと思った
が、今は、20時まで、19時までなら翌日配達可能だそう
で、大変に便利です。


 昨年の歳暮は、受取れなかったものがあったのだが、気を
利かせて、正月の2日に配送してくれた。朝、電話があり、
誰かと思ったら、ヤマト運輸。酒なので、保管しておきまし
たとのこと。

 昨年の内にお詫びメールなど出していたのだが、戻ってな
いとのことで、営業所に取りにいこうと、思ってはいた。普
通、2週間ほどで、送り主に戻るのだが、気を利かせて、保
存しておいてくれた。

 これは、〒局ではできる芸当ではない。小倉会長は、身障
者と、健常者を混合して、パンとコーヒーの店を展開されて
いる。今の世は、未経験な若者や、ベテランでも年令制限で
働けない。そんな、経済効率一遍倒の世の中で、逆の生き方
をされている。経営者は、こうでなくちゃね。


 宅急便の始めは、北海道の広い原野を走りまわって、荷物
が2つとかという状態だったらしい。正直なところ、見通し
は出しにくかったに違いない。ただ、そのうちに広がるとい
う予感があっても定量化はできない。そういう状態もあるの
だろう。

 小泉内閣では、定量的な目標は出しにくい。ただ、大っ増
税を押さえるという目標も目標のうちだろう。マイナスの予
想を打ち消す程度で、よしとしたくはないが。

 不況で、電車が止まる。1日3回も止まる。それを見て、
構造改革が順調に進んでいるなどと、言ってよいものだろう
か?。痛みは、改革の妨げになる。雇用創出と言っても、簡
単ではない。衆議院の区割りを決める時のことを考えればそ
の気持ちは、分かるはずなのだ。自分の当落を考え大騒ぎを
するではないか。


 今年の正月は、ご来光を見ながらドライブすることができ
た。ちょうどその頃、ラジオで、評論家の内橋さんの話が聞
けた。

 確か、エネルギー、バイオ、介護等をITで支えるべしと、
言われていた。燃料電池等で、発電を消費地に立地させると
いう構想だが、多くのメリットを生む。勿論、車にも応用で
きる。(順序が逆か?)排ガスも出ない。

 最近、都市の子供たちを見るにつけ、皮膚疾患に悩む子の
多さが気になる。都会の空気、水などの影響ではあるまいか。
もう、分岐点にきている。


 大きな発電所から、家庭用の燃料電池に移行していくと、
原発の増設も不要になるし、火力、水力などの発電もそれら
に置き換わって廃止されていく。そして、地震にも強い町が
できる。車の排ガスが出なければ、都会の空気もきれいにな
るし、皮膚疾患で悩む子達も減るだろう。いいことずくめ。

 長期的な視野を持った経営者、ミクロとマクロが見れる評
論家、正確に時代を予見できる学者(慶応の榊原氏)の話は、
傾聴に値する。TVによく出る、エコノミストや、政治評論
家なども、大きな視点で小泉内閣改造論を展開してほしいも
のだ。




#242/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 8(Tue.)   0: 1  ( 66)
大変なこと     一久
★内容
大変なこととはなにか

今、テレビ・タックルという番組で、郵便貯金が財政投融資
に使われていて、隠れ借金と化しているが、その内容を公表
しないのはなぜか、というようなことをやっている。

それを公表したら、大変なことになるからだ、と国会議員が
答えると、野坂氏が、なにが大変か、とさらに問う。

その答えがふるっている。担当者の責任問題になるから、だ
そうだ。

はて、なんであの場にいる人間は、それは変だ、と詰めよら
ないのだろうか。

私ならば、こう言うにちがいない。

責任問題って、それが大変なことなのか、と。

それは単に、政治家や役人が大変なだけで、国民が大変にな
るのとは違うではないか。

つまり、国のためではなくて、政治家や役人のための政治を
しているということなのだ。そう白状したに等しい言ではな
いか。

ということはまた、こうも言える。

財政投融資の内容を公開しないということは、小泉首相自身
もまた、国家のためではなくて、政治家のために政治をして
いる人間である、ということなのだ、と。

真にやるべき構造改革とは、このような日本人一般にみられ
る身内びいきの習性を廃して、国家や社会のためになにをす
べきかを考える国民に変えることである。

薬害問題も、役人の汚職も、政治家の不正も、すべてのこと
は、自分の所属する小グループの利害を、天下国家よりも優
先させるという悪しき(というよりは社会的に未熟な)精神に
由来している。

かかる人々が、指導的な地位にいるかぎり、国家は国家とし
て機能することはない。社会のために政治が役にたつことは
ない。それを知っているから、国民は政府を信用することが
できないのだ。

小泉氏への国民の高い支持率は、他の政治家にくらべれば、
氏が少しは天下国家のことを考えてくれているのではないか
という、淡い幻想から生まれている。

今の日本に必要な構造改革とは、小手先の制度いじりではない。

身内の間の利害関係よりも、社会の為、国家の為、世界人類
の為にはどうするべきか、ということを優先する精神を皆が
持つということなのである。

まずカイより初めよ。で、国を運営する政治家こそが、まず
その精神を持たねばならない。

かかる精神を持った者のことを、精神の貴族という。国家は
この精神の貴族の数だけ国家足り得る。

責任者の問題などどうでもよいことだ、肝心なのは、それが
国民の為になるかどうかなのだ。そう言えないかぎり、氏も
また、他の政治家と同列の人だということになる。



#243/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 8(Tue.)   0: 1  ( 61)
ハマコウ発言     一久
★内容
ハマコウ発言

TVタックルという番組で、ハマコウ氏が、

「政権も取ってないくせに、なにが....」

とかいうようなことを言っていた。


まあ、ハマコウ氏のいうことに、いちいち反応するのも大人げないと思うが、
ちょっと気になる点をのべておこう。

政権を取るということは、野党に対しても責任を負うということなのだ。

政権を取ったら、好きにしていい、というものではない。

なぜならば、国政は国民のものであり、その国民の中には、与党も野党も、議員
以外の国民も、みな含まれているのだから。

当然、政権を預かった者には責任が生じるし、預けたほうには、与党を監視する
義務が生じる。

私が、なにを言いたいのか、お判りだろうか?

戦国時代の天下取りと、現代民主主義の政権とは違う、ということなのだ。

ハマコウ氏のは、戦国時代の天下の発想である。

天下を取った者が政治をするのであって、天下を取れない者にとやかく言われる
筋合いはない、というものだ。吾人は馬上天下を取った、という伊藤博文と同じ
精神構造である。

だが、現代の民主主義国家とは、そういうものではない。

民主主義国家においては、政権の担当者は、国民から政権を託された者であるに
すぎない。

他の領主から奪い取ったものではなくて、味方の中から選ばれた者であるにすぎ
ない。

すなわち、民主主義の国家においては、政敵もまた友邦なのである。友邦ではあ
るが、天下国家の為に何をすべきかで意見が分かれ、それゆえに論争を構える相
手となる、ただそれだけのことなのだ。

ゆえに、政争の勝者は、自分が退けた敵対者に対して、国政を任されたという責
任を負うのである。

政策上の立場は違っても、なによりもまず、同じく国家の為を思う同志なのであ
るから。

つまり、民主主義国家においては、国民全員が味方なのだ。仲間なのである。

選挙戦も政争も、仲間うちで誰に権力を授けるかを決定する為の、選別にすぎな
い。ゆえに、選ばれた者は、選ばれる以前に増して、心を引き締めねばならない
のである。

そういう心構えがありさえすれば、当然のことながら、野党に対しても、国民に
対しても、誠実な対応をせざるをえない。

選ばれた者には、責任がついて回るのである。



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