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#255/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/25(Fri.)  22:52  ( 20)
三つどもえ 狸?狐? 狢?     一久
★内容
三人とも、嘘発見器にかければいい。

田中大臣と、なんたらいう次官と、某議員と。

誰が嘘を言っているのか、それで判断するほか
あるまい。

なんにせよ、どっかの政治家から、NGOの代表
を参加させないように圧力があったことは事実な
のであるから、

(これが事実でないのなら、役人自身が責任を持
たねばならないことになる)

次官に口を割らせればいいのだ。

誰から、何を言われたのか、と。

「役人は知っている」のだから。



#254/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/23(Wed.)  21:42  ( 26)
痛みを伴う構造改革     一久
★内容
「痛みを伴う」と言った刹那、それは免罪符となる。

失政の免罪符に、である。

もしも馬鹿でないのなら、この免罪符は覚悟を国民に求めるだけの、
いわば脅し文句としてのみ使い、現実には痛みを最小限に抑える策を
うちださねばならない。

その工夫あってこその、執政者というものである。

わかってんのかねぇ・・・純ちゃんは。

____________________________________________________________

といって、民主党の鳩山の兄ちゃんは、もっとひどいしのぉ。

プラトンの「国家」にいわく、

その国が賢い国かどうかは、指導者が賢いかどうかできまる。

国民の知的レベルなんて、関係ない。馬鹿ばっかりの国でも、賢者が支配
しておれば、その国は賢い国だと評価され、博士ばっかりの国でも、指導
者が腐敗していれば、その国は腐った国だといわれることになる。

「李氏のネズミ」の例のように、大蔵のネズミになる能力と、国家を運営
する才覚とは、必ずしも同じでないところが、世の中の難しいところだ。


#253/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  02/ 1/22(Tue.)   4:23  ( 75)
聞きすぎる総理、聞かない総理:雇用問題など     KN
★内容
 小渕さんは、聞きすぎるほど聞いてしまって、自分の命を
落としてしまった。小泉さんは、聞かない。そうなると、国
民の側に命を落とす人がでてくる。過ぎたるは、及ばざるが
ごとし。

 構造改革、構造改革と呪文のように唱えれば、支持率が上
がるのだそうだ。緊縮、緊縮と唱えれば、何かまともな論評
をしているように聞こえる。いずれも、実態が分からないの
だろうから、どっちもどっちという気はするが。

 総理などという激務の中にあって、現状を把握して、適切
な対処と言っても殆どできないのだろう。総理になる前に、
考えていたことを実践に移していくのがせいぜいではあるま
いか。小泉さんが、総理になるとは思わなかったし、ご本人
もそう思っていたに違いない。郵政以外に、めぼしい蓄積が
ない。無理もない。

 小泉人気は、自民党を壊すと言った点にある。6:4で、
借金大国にした自民党の責任を問うているように思う。構造
改革の比率は少ない。自民党あるいは、政界の構造改革に期
待しているのだ。


 今日のTVで、管さんが、ハローワークで職探ししていた
が、ブレア氏の政策路線に進みつつあるなぁという気がして
いる。マクロの政策は、ミクロの動きを見ながらでないと失
敗する。このままだと、民主党に政権が移るかもしれない。

 近頃、仕事しながら思ったことだが・・・。ある開発プロ
ジェクトが失敗し、年末まで祭り騒ぎをしていた。その前も、
ある1人のメンバーの仕事が遅れているとは聞いていた。間
際になって稼働が不可能とわかり、別プロジェクトの人まで
応援していた。遅れの内容が把握できてない。助っ人に若い
人を多く頼み、プロジェクトを再構成して頑張っていたよう
だが、失敗。今度は、ベテラン少人数で頑張っているが、ど
うなることやら。

 今の労働市場は、若手とベテランが切り捨てられている。
派遣会社のほうでは、30才代まで、経験者ということで人
を集めている。若手のほうが安く使えるとのことで、若干の
経験があれば、採用する。アルバイトで開発してましたと、
言えば、一番脂ののった年代だとして売り込むのだそうだ。

 外側から見ていて思ったことだが、リーダーは30そこそ
こで、技術的には、学生アルバイトに毛が生えた程度。言語
は、マニアックで良く知っている。しかしながら、開発には、
種々の分野の経験がいる。言語は、氷山の一角でしかないか
ら、そのスキルだけ見ていてはプロジェクト完遂まではいか
ない。新田次郎が書いた八甲田山死の彷徨という小説がある
が、その小説に書かれた通りに失敗していく。

 システム開発の現場は、今の労働市場をもっと極端にして
しまっている。40代以上のベテランリーダーがいなければ、
兵隊さんは、彷徨してしまうのだが・・・。客は、徹夜で良
く頑張ってくれた。次のプロジェクトではもっと予算を付け
ようとなり、損はしないが永続は無理だろう。客は、それほ
ど頭が悪い訳ではない。

 短期的な利益に目がくらんで、長期的な利益を考えない。
世間一般の傾向ではあるが、反省までいたってない。

















#252/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #251 ***
★タイトル (********)  02/ 1/17(Thu.)   0:13  (  5)
Re:251  パーカー     源氏
★内容
確かに初めの頃はパーカーと言えば万年筆の代表みたいな感じでしたねぇ。
その後はモンブラン、ペリカンなどが出てきましたが。

本会議室の方にはほとんど書き込みませんが、レモンさんは書き込めないとか。
どうしてなんでしょう?
私は多分書き込めるはず。

#251/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場    *** コメント #250 ***
★タイトル (********)  02/ 1/16(Wed.)  22:51  ( 18)
Re:250  ・・・ということで、書き込めますだ。     一久
★内容
どうも、レモンさんのほうに、問題があるのではないかと思えますが・・・

他の人は書き込めるんでしょうか?

さてもさても、なにが原因か、こちらからはなんとも、わからないです。

難波の万年筆屋に、パーカー・デュオホールドの、ハリーポッター・モデル
というのが、おいてあった。4万円のが、いくらか割引してくれるそうです。

いまでこそ、万年筆といえば、モンブランですが、昔はパーカーだったとか。

パーカーの万年筆を持つことが、ステイタスだったそうで。

そういえば、この前のサライにも、パーカーの万年筆の写った書斎が載っていた。

これは、全文、オンラインで書いてみました。

これも書き込めるでしょうか?


[ コメント数 1 読む(F251) ]

#250/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/16(Wed.)  22:45  ( 80)
書き込めない、とのことですので、テストです     一久
★内容

#3419/5483 本会議場
★タイトル (YBB29897)  94/ 8/21  13:14  ( 73)
決定なきリベラル         一久
★内容


【リベラルの規定】

 まずは、私のいう「リベラル」の意味を定義しよう。

 リベラルとは、リベラルを否定する者や意見に対してでさえ、リベラルであろうと
する態度である。つまり、自由を否定する者や意見さえも、自由を育てる肥やしとし
て有用である、少なくとも、そのような否定論を排除することによる弊害に比べれば、
その存在を認め論争を積み重ねる労力を支払うほうがはるかにマシである、という主
義である。

 以上は、 J.S ミル 「自由論」(岩波文庫) から得た私の認識である。

 より噛み砕いて言えば、「あらゆる意見を受け入れる主義」といえよう。


【決定の必要性】

 ところで、政治は常に決定を必要とするものである。政治とは権力なりとかいうけ
れども、その権力はなんのために存在するかといえば、結局は”決定”をするためで
ある。いいかえれば、政治とは決定すること(権力の行使)、及び、その能力(権力)
を手に入れようとする行為である、といえるだろう。

 さて、リベラルはあらゆる意見の共存を認める。しかし、政治は決定を必要として
いる。常に全会一致という事態になる訳がない以上、決定は常に反対意見の蹂躪のう
えに成り立つ。

 「リベラル」と「決定」との根本的な矛盾である。

 しかし、この矛盾はいわゆる「楯と矛」の矛盾ではなく、弁証法的「万物は矛盾す
る」の矛盾である。矛盾があるからこそ、両者の間において真剣な葛藤と対話がある
のである。

 つまり、リベラルでありながら決定をしなければならないという矛盾を克服しよう
とする行為が、より小数者が不満を持たない決定方式を発見する契機となるのである。

 決定をしなければならない、という要請が、リベラルとは何か?具体的にどのよう
な決定方式であればリベラルであるといえるのか?をあきらかにしようとする真摯な
姿勢を生むのである。

 逆にいえば、決定を前提としないリベラルは政治には有り得ないということである。
学者の学説や、井戸端会議のように決定を必要としないものとは区別しなければなる
まい。

 政治においては、決定できないリベラルは、単なる混沌でしかない。
 これを、「新(真?)衆愚政治」と名付くべきではあるまいか。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【新衆愚政治】

 さて、決定なきリベラルが決定せねばならない事態に立たされたとき、どのような
行動をとるであろうか?

 リベラルである以上は、首脳部の意見に反対する少数者に対しても最大限の抗弁の
機会を与えねばなるまい。ところが、普段から「少数者を満足させる」決定方式の模
索を怠ってきたために、反対者を納得させる方法によって決定することは不可能に近
いであろう。

 では、どうするか?

 「妥当な決定方法」を持たない以上、”唯一の妥当な決定方法”にゆだねる以外の
方法はないであろう。それはなにかと尋ねたら、「ヘッド」による決定である。組織
のリーダーは常にある程度の決定権を持っている(このことを妥当でない、というも
のはいまい)。

 決定が必要な事態にあり、かつ、決定する方法が他にない以上、首領様による決断
に依存する方向に向かうことは自然な成り行きであろう。

 決定なきリベラルは、結局は”独裁”を呼ぶのである。

 当然のことながら反対意見は、より容易に蹂躪されることになる。リベラルという
考え方から最も遠い結果となるのである。




[ コメント数 1 読む(F250) ]

#249/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/16(Wed.)  22: 1  (  1)
どうして書き込めないんですか?     レモン
★内容
昨日から書き込めない!!2行なら入るって訳?

#248/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/16(Wed.)  21:50  (  1)
書き込めない!!     レモン
★内容
だからテストです。
もしこれが行ったら、書き込みます。

#247/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  02/ 1/16(Wed.)   7: 8  ( 32)
エビの養殖と、経済のグローバル化     KN
★内容
 エビは、最初は台湾あたりで養殖されていたらしい。それ
が、病気で養殖ができなくなり、インドネシアあたりに移っ
ていき、今では、インドでも行われているという。

 インドネシアでも病気が出て、次はインドということのよ
うだ。東南アジアの森林を丸坊主にして紙資源を求めてきた
と、同じ道を辿る。

 エビ養殖ということで、農地を壊してしまい、米を自給で
きるところまで行ったインドネシアは、米を買うことになっ
ている。エビの養殖をした田は、塩分のため元には戻らない。
一時的な利益のため、米の自給という大事なものを失ってし
まった。異常気象で米が取れなくなって国際価格が上昇した
ら・・・とまでは考えない。


 エビは、経済のグローバル化というものの行き着く姿を早
送りで見せてくれている。インドで病気が発生したら、次は
中国だという。はたして、中国は、それほどアホな国だろう
か。

 ”安けりゃいいのよ”という消費者。グローバル化の波が
押し寄せて・・・と、簡単に言う(食料問題の本質を考えず
に)評論家。行き着く果ては、狂牛病のように、病気もしく
は、薬漬け。

 ネギの問題に始まって、生産拠点が中国に移転している問
題。食料は、地産地消という、僧侶から言い伝えられている
古来の考え方に戻るだろうが、労働力の問題は、始まってい
くらも経ってないので、今後さらに混乱するのだろう。




#246/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  02/ 1/16(Wed.)   7: 5  ( 24)
国会議員の歳費     KN
★内容

 以前、10%カットとかいう話は聞いたが、それが自民党
若手から、議員の活動ができないとかで、半年とかでやめる
とか・・・。

 小泉総理の言われる、痛みとはまさにこのことだ。議員が
そう言うくらいなのだから、痛みに耐えるということの重み
は分かりそうなものだが・・・。


 痛み耐えるという議員さんバージョンが、この程度なわけ
だ。有効な対策など出るわけもない。

 自分の事務所の経理が赤になるようでは、財政を取り仕切
ることなど難しいのではあるまいか。そういう政治家が財政
を担当するとなると、その事務所の実態と、国の財政も似て
しまう。総理経験者の財務大臣さんはそうだったのでは?。

 瞬間風速的にでも、民間のデフレ経済を、歳費で経験して
いただくのも悪くない。我慢できぬ痛み、それを耐えるのが
小泉総理の言う”いっったみ!”だ。





#245/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  02/ 1/14(Mon.)  21:59  ( 39)
最近の経済論議     KN
★内容
 年末年始にかけ、聞くともなく聞いてましたが、印象に
残ったのは、”国に頼るな”ということ。昨年は、オリッ
クスの社長。今年も何人かそういう話は聞いた。

 小泉さんは、現実は分からない。

 評論家の話も、TVに出ないで地道に評論活動をやって
いる人は別だが、これもまた現実が見えてない。ブランド
ものが飛ぶように売れ、海外に旅行に行く。どこに不況が
あるのか?などと言う。こういう認識で、深刻な経済不況
だという。マスコミの受け売りではねぇ。

 せいぜい、論文のチェックをしていても、1行ずつ空け
ないと読まないとか、かかり受けが変だとか、”の”が連
なっていて気持ち悪いという程度の話で、内容に踏み込ん
での建設的な論評が少ない。

 言えるのは、政治をあてにしてはいけないということだ
ろう。先が見える経営者の眼力のほうが確かだ。

 農業でも、今から30年以上前に減反と言われた時点で
見切りをつけた人はそれなりに残っている。あとは、田畑
を手放さざるを得ない状況になっている。

 戦後の食料増産という政策に協力し、やってきたけど、
政府は、簡単に裏切る。父は、何も言わず、稲作を捨てて、
自らの道を切り開いてきた。当時、不動産屋をやるように
と、言われたけど、やくざな世界に入らず、庭木の手入れ
を始めたことだ。何ということをと、周りの人は言ったけ
ど、今では、真似する人ばかり。

 間違いなく50年百年先を読むのは難しい。むしろ逆の
道を歩んでみると、花の山ということが多いようだ。








#244/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/14(Mon.)  19:34  ( 39)
経済見通し     S1
★内容

 忙しいときには「もっと休みたい遊びたい」と文句を言い、
不況になれば「失業したくない」と文句を言う。私もいい気な
ものである。

 今年の経済見通しは、前にも書いたが暗い話が多い。
 まあ経済評論家の先生方が常に正しいとは限らないし、実際
今までもはずれた予測の方が多いくらいではないか。
 そんななかで、ごくわずかだが希望のある意見もある。

「今年はワールドカップ効果で、株価が12500円まで回復する」

 う〜ん、確かに外国人観光客が激増するのは明らかだから、
彼らが落としていくお金は少なくあるまい。一時的なものでは
あろうが、少なくとも一息つけるのではあるまいか。
 アメリカの年末商戦も悪くはなかったというし、V字型回復
は無理でも少しずつ景気は上向いてくれるかも知れん。

「中国の経済成長は、5年以内にクラッシュする」

 これは別の視点での悪い予測である。
 中国は今に日本そしてアメリカをもGDPで追い抜くであろ
うという意見が大勢をしめているが、あの国の体制は資本主義
経済を支えきれるようにはできていないと言う人もいるわけだ。
 素人の私でも、この先5年も10年も中国が高度成長を続け
ていられるかは疑問だ。数年前から、これからはアジアの時代
だ、と言われだしたが、確かに欧米に比べれば勢いはあるもの
の韓国や台湾の現状を見れば、明らかにアジアの時代であると
の実感はない。大体にして、中国12億の人たちが今の日本人
やアメリカ人並の贅沢ができるほど、石油も食料もこの地球に
はない。
 もしも中国経済がクラッシュしたら、大挙して中国に進出し
た日本企業たちのダメージやいかに。そのとき再び生産拠点と
しての日本が見直されれば、日本人に限っては明るい材料とな
るかも知れんが、それは甘い見通しかも知れん。


 



#243/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 8(Tue.)   0: 1  ( 61)
ハマコウ発言     一久
★内容
ハマコウ発言

TVタックルという番組で、ハマコウ氏が、

「政権も取ってないくせに、なにが....」

とかいうようなことを言っていた。


まあ、ハマコウ氏のいうことに、いちいち反応するのも大人げないと思うが、
ちょっと気になる点をのべておこう。

政権を取るということは、野党に対しても責任を負うということなのだ。

政権を取ったら、好きにしていい、というものではない。

なぜならば、国政は国民のものであり、その国民の中には、与党も野党も、議員
以外の国民も、みな含まれているのだから。

当然、政権を預かった者には責任が生じるし、預けたほうには、与党を監視する
義務が生じる。

私が、なにを言いたいのか、お判りだろうか?

戦国時代の天下取りと、現代民主主義の政権とは違う、ということなのだ。

ハマコウ氏のは、戦国時代の天下の発想である。

天下を取った者が政治をするのであって、天下を取れない者にとやかく言われる
筋合いはない、というものだ。吾人は馬上天下を取った、という伊藤博文と同じ
精神構造である。

だが、現代の民主主義国家とは、そういうものではない。

民主主義国家においては、政権の担当者は、国民から政権を託された者であるに
すぎない。

他の領主から奪い取ったものではなくて、味方の中から選ばれた者であるにすぎ
ない。

すなわち、民主主義の国家においては、政敵もまた友邦なのである。友邦ではあ
るが、天下国家の為に何をすべきかで意見が分かれ、それゆえに論争を構える相
手となる、ただそれだけのことなのだ。

ゆえに、政争の勝者は、自分が退けた敵対者に対して、国政を任されたという責
任を負うのである。

政策上の立場は違っても、なによりもまず、同じく国家の為を思う同志なのであ
るから。

つまり、民主主義国家においては、国民全員が味方なのだ。仲間なのである。

選挙戦も政争も、仲間うちで誰に権力を授けるかを決定する為の、選別にすぎな
い。ゆえに、選ばれた者は、選ばれる以前に増して、心を引き締めねばならない
のである。

そういう心構えがありさえすれば、当然のことながら、野党に対しても、国民に
対しても、誠実な対応をせざるをえない。

選ばれた者には、責任がついて回るのである。



#242/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 8(Tue.)   0: 1  ( 66)
大変なこと     一久
★内容
大変なこととはなにか

今、テレビ・タックルという番組で、郵便貯金が財政投融資
に使われていて、隠れ借金と化しているが、その内容を公表
しないのはなぜか、というようなことをやっている。

それを公表したら、大変なことになるからだ、と国会議員が
答えると、野坂氏が、なにが大変か、とさらに問う。

その答えがふるっている。担当者の責任問題になるから、だ
そうだ。

はて、なんであの場にいる人間は、それは変だ、と詰めよら
ないのだろうか。

私ならば、こう言うにちがいない。

責任問題って、それが大変なことなのか、と。

それは単に、政治家や役人が大変なだけで、国民が大変にな
るのとは違うではないか。

つまり、国のためではなくて、政治家や役人のための政治を
しているということなのだ。そう白状したに等しい言ではな
いか。

ということはまた、こうも言える。

財政投融資の内容を公開しないということは、小泉首相自身
もまた、国家のためではなくて、政治家のために政治をして
いる人間である、ということなのだ、と。

真にやるべき構造改革とは、このような日本人一般にみられ
る身内びいきの習性を廃して、国家や社会のためになにをす
べきかを考える国民に変えることである。

薬害問題も、役人の汚職も、政治家の不正も、すべてのこと
は、自分の所属する小グループの利害を、天下国家よりも優
先させるという悪しき(というよりは社会的に未熟な)精神に
由来している。

かかる人々が、指導的な地位にいるかぎり、国家は国家とし
て機能することはない。社会のために政治が役にたつことは
ない。それを知っているから、国民は政府を信用することが
できないのだ。

小泉氏への国民の高い支持率は、他の政治家にくらべれば、
氏が少しは天下国家のことを考えてくれているのではないか
という、淡い幻想から生まれている。

今の日本に必要な構造改革とは、小手先の制度いじりではない。

身内の間の利害関係よりも、社会の為、国家の為、世界人類
の為にはどうするべきか、ということを優先する精神を皆が
持つということなのである。

まずカイより初めよ。で、国を運営する政治家こそが、まず
その精神を持たねばならない。

かかる精神を持った者のことを、精神の貴族という。国家は
この精神の貴族の数だけ国家足り得る。

責任者の問題などどうでもよいことだ、肝心なのは、それが
国民の為になるかどうかなのだ。そう言えないかぎり、氏も
また、他の政治家と同列の人だということになる。



#241/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/ 1/ 3(Thu.)  11:16  ( 71)
ヤマト運輸:構造改革後の企業     KN
★内容
 暮れに、蕎麦好きの人に蕎麦を送ろうと、30日にヤマト
運輸に直接持ち込んだ。数年前に、新しい高速インター近く
にプレハブの営業所が移転し持ち込みも簡単になった。

 確か、以前は、18:00までが受付最終時間だと思った
が、今は、20時まで、19時までなら翌日配達可能だそう
で、大変に便利です。


 昨年の歳暮は、受取れなかったものがあったのだが、気を
利かせて、正月の2日に配送してくれた。朝、電話があり、
誰かと思ったら、ヤマト運輸。酒なので、保管しておきまし
たとのこと。

 昨年の内にお詫びメールなど出していたのだが、戻ってな
いとのことで、営業所に取りにいこうと、思ってはいた。普
通、2週間ほどで、送り主に戻るのだが、気を利かせて、保
存しておいてくれた。

 これは、〒局ではできる芸当ではない。小倉会長は、身障
者と、健常者を混合して、パンとコーヒーの店を展開されて
いる。今の世は、未経験な若者や、ベテランでも年令制限で
働けない。そんな、経済効率一遍倒の世の中で、逆の生き方
をされている。経営者は、こうでなくちゃね。


 宅急便の始めは、北海道の広い原野を走りまわって、荷物
が2つとかという状態だったらしい。正直なところ、見通し
は出しにくかったに違いない。ただ、そのうちに広がるとい
う予感があっても定量化はできない。そういう状態もあるの
だろう。

 小泉内閣では、定量的な目標は出しにくい。ただ、大っ増
税を押さえるという目標も目標のうちだろう。マイナスの予
想を打ち消す程度で、よしとしたくはないが。

 不況で、電車が止まる。1日3回も止まる。それを見て、
構造改革が順調に進んでいるなどと、言ってよいものだろう
か?。痛みは、改革の妨げになる。雇用創出と言っても、簡
単ではない。衆議院の区割りを決める時のことを考えればそ
の気持ちは、分かるはずなのだ。自分の当落を考え大騒ぎを
するではないか。


 今年の正月は、ご来光を見ながらドライブすることができ
た。ちょうどその頃、ラジオで、評論家の内橋さんの話が聞
けた。

 確か、エネルギー、バイオ、介護等をITで支えるべしと、
言われていた。燃料電池等で、発電を消費地に立地させると
いう構想だが、多くのメリットを生む。勿論、車にも応用で
きる。(順序が逆か?)排ガスも出ない。

 最近、都市の子供たちを見るにつけ、皮膚疾患に悩む子の
多さが気になる。都会の空気、水などの影響ではあるまいか。
もう、分岐点にきている。


 大きな発電所から、家庭用の燃料電池に移行していくと、
原発の増設も不要になるし、火力、水力などの発電もそれら
に置き換わって廃止されていく。そして、地震にも強い町が
できる。車の排ガスが出なければ、都会の空気もきれいにな
るし、皮膚疾患で悩む子達も減るだろう。いいことずくめ。

 長期的な視野を持った経営者、ミクロとマクロが見れる評
論家、正確に時代を予見できる学者(慶応の榊原氏)の話は、
傾聴に値する。TVによく出る、エコノミストや、政治評論
家なども、大きな視点で小泉内閣改造論を展開してほしいも
のだ。




#240/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/29(Sat.)  21:25  ( 82)
ヨーロッパ人の肖像     一久
★内容
ヨーロッパ人の肖像


オルテガの「大衆の反逆」を読んでいて、ふとなにかに似ているような気がした。

内容がではなくて、オルテガの考え方、特に、ヨーロッパの優越性に対する根拠
のない自信の持ち方についてである。

そう、あのヒットラーに似ているのだ。

同じような感覚は、オルテガだけではなく、ヘーゲルにもトインビーにもマックス
ウェーバーにも見受けられる。おそらくは、ほとんどの欧米白人が共有している感
覚なのであろう。

ヒットラーが特殊な存在なのではなくて、ヒットラーは欧米白人の隠された感覚を
雄弁に表現しただけなのである。つまり、ヒットラーとは、最も正直なヨーロッパ
人であるということなのだ。

言い換えれば、ヨーロッパ人は皆、ヒットラー的なものを心底に持っている。

それだけではなく、ヨーロッパに滞在した非ヨーロッパ人もまた、この種のヒット
ラー的な考えを無意識的に吸収してしまう。

それゆえに、世間には、日本人でありながら日本文化の独創性を認めようとしない
人や、燐国人でありながら、ヨーロッパの視点からしか日本を見ることのできない
韓国人も少なくないのである。

彼ら、ヒットラー的な人々が掲げる、貧弱な根拠とは、ひとことで言うと、ヨーロ
ッパだけが自前の発展を遂げた、という点である。

その他の文明は、他からの影響を受けなくなった時点で停滞する、というのだ。だ
から、日本もまた、そうなるのだ、という。

そして、(ヒットラーは別にして)そうなる原因は、自由を尊ぶ精神にある、とする。

___________________________________________________________________________

このような論に比べれば、戦後すぐの日本で提唱された、梅棹忠夫氏の「文明の生態
史觀」のほうが、よほど優れているように思える。

この論の要旨は、高度近代文明を築くのは、原始文明の恩赦の届く地域で、かつ、騎
馬民族などの略奪勢力から離れた距離にある地域で、そのうえ、食料生産に適度な労
働を要する地域であり、それは、西ヨーロッパと、日本以外にはなかった、というも
のである。

____________________________________________________________________________

それはともかくとして、私はヨーロッパもまた、独自に発展したのではなく、常に多
からの刺激を受けていたのだ、と思っている。つまり、この時点で、ヒットラー的な
考え方を否定してしまっている。

では、なぜ、ヨーロッパは世界を席巻したのか。それは、「隣の芝生は青く見える」
からである。

後進地帯であったヨーロッパには、見習うべき他文明がいっぱいあった。イスラム、
中国、インド、あるいは、過去のギリシャ・ローマ。

それらの先進地域に追いつこうとするあまり、師匠の国以上のものを作ってしまった
のである。

日本のタクシーには、自動ドアがついているが、あれもまた、同様の心理が生んだシ
ロモノである。日本人は、ヨーロッパに行って自動ドアがついていないことを知って、
はじめてヨーロッパはそこまで進んでいなかったということを知るのである。

ヨーロッパの幸運は、たまたまその時期が産業革命の時代と重なっていたということ
である。自動ドアぐらいで出遅れても、大した問題はないが、蒸気機関が進歩する時
期に出遅れたならば、遅れを取り戻すことは容易ではない。

さて、そのヨーロッパも、自分たちが世界のトップに立ったと自覚したとたんに停滞
を始める。そしてアメリカに追い抜かれることになる。

オルテガの自信とは裏腹に、ヨーロッパはアメリカに屈伏した。

その後のヨーロッパがなんとか盛り返しているのは、アメリカを新たな先進地帯であ
ると認め、ふたたび、隣の芝生を青く見ることを始めたからである。

つまり、オルテガが批判した人々こそが、ヨーロッパを再生しているのである。

それがなにより証拠には、オルテガの賛同したヨーロッパ共同体構想が最も進展した
のは、アメリカの優位が決定的となった第二次世界大戦後と、日本の経済力が世界を
席巻した1980年代後半だった。



#239/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/28(Fri.)  21:26  ( 92)
自己責任     一久
★内容

アメリカでは、みな、自分のリスクで株式投資をしているから、日本人もそうすべき
だ、と言われるようになって久しい。

だが、私に言わせれば、これは本末転倒の馬鹿げた思考である。

個々の社会には固有の行動様式があるのであって、他国の行動様式にあわせて自国の
社会を変えようとしても無駄なのである。

それは、ネコに「お手」をせよ、と言っているのと同じことなのだ。

日本人は、稼いだ金を銀行に預けて、堅実に運用することを望んでいるのである。そ
れどころか、運用益がゼロいや、マイナスであっても、銀行で安全に保管してくれる
ことを望んでいるのである。それが日本の社会というものなのだ。

そういう社会にたいして、リスク覚悟で自己責任で、などと言っても、誰が耳を貸す
というのか。迷惑しごく、と思われるだけのことである。ゆえに、笛ふけど踊らず、
日本人がアメリカ人の真似をするはずもないのである。

まさに、「木に寄りて魚を求めるがごとし」

_____________________________________________________________________________


ゆえに、日本においてまずなすべきことは、銀行の信頼を取り戻すことである。

ということになれば、例の「ペイオフ解禁」などは、するべきものではない、という
ことになる。延期どころか、廃止するべきものであると言わねばならない。

こんなものを導入すれば、誰も銀行を信用しなくなるからである。

銀行が信用されなくなれば、株式市場に資金が回ってくる、とでも言うのであろうか?
なんとも、冷酷な思想ではないか。しかたなしに回ってくる金をあてにするなどとは!

しかし、そうはなるまい。単に、リスクを分散させて1000万円以下の預金に分割させる
方法を多くの国民はとるだろう。

そして、銀行のほうも、預金確保の為に、1000万円超の金額でも銀行自身の保証によっ
て預金全額を保証するシステムを作ることであろう。社会の要求にあわせてシステムが
作られるというのは、こういうことである。


______________________________________________________________________________

さて、ペイオフをやめにすると、外国から非難される、と言う人がいる。

嗚呼!、嗚呼!!、嗚呼!!!

まさにこれ、日本人の弱腰の典型、「他人の顔色を見る外交」そのものの考え方である。

小学一年生が、「まちがってると思ったけど、先生が言うからやった」と言っているの
と同じことである。

いかにも、元・学校秀才の官僚・評論家・マスコミ関係者の犯しそうな過ちである。

外国が求めているのは(もちろん日本人もだが)、日本経済の再生である。ペイオフでは
ないのだ。

目的が日本経済の再生であって、ペイオフは(そのために役立つかもしれないと欧米人
が思っている)手段のひとつでしかないのである。

わかりやすく言えば、ペイオフをやっても、経済が回復しなければ外国から非難される
ということなのだ。

逆に、ペイオフをしなくても、経済が回復すれば称賛されるのである。

さて、日本の元・学校秀才諸氏の頭の中には、次のような思考があるのであろう。

欧米(先生)が言うからペイオフをやった。それで経済が回復しなかったからといって、
なんで叱られなきゃいけないんだ!! と。

笑っちゃうような、子供じみた思考である。

また、彼らはこうもいうだろう。

お前、そんなこというけど、もしペイオフをやらず、経済も回復しなければ、どういう
言い訳をするんじゃい。もっとひどく叱られるじゃないか。それなら、いうことを聞い
て、ペイオフして失敗したほうがマシじゃないか。 と。

やれやれ、である。

彼らは自己責任において考えるということを知らないのである。

他人がなんと言おうとも、自分達のことは自分達で決める。そういう決意があってこそ、
なにをすればいいのかを真剣に考えることができるのである。それをする者だけが、道
を切り開くことができるのだ。

これが自己責任というものである。

今の日本においては、なんと、自己責任というものを理解していない者たちが、自己責
任で投資をしなさい、と喧伝しているのである。なんとも戯画的状況ではあるまいか。



#238/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/26(Wed.)  23:10  ( 42)
歴史に学ぶ     一久
★内容
歴史に学ぶということ


「歴史に学べ」、とよくいう人がいる。

一方で、「歴史に学べ」という人を毛嫌いする人もいる。そういうことをいう
人の多くは、自分の歴史観を押しつける為にそう言っているだけだ、と。

私の「歴史に学ぶ」態度を述べておこう。

それは、たくさんの事例を知るということである。

いや、人間の行動パターンのサンプルを収集する、と言ったほうがいいだろうか。

自分の料理の技法を増やそうとすれば、先輩の技を見るなり、古書にあたるなり、
せねばならない。自分個人の工夫で編み出せる技法には限りがあるからである。

歴史に学ぶということも、これと同じことだ。

いくら自分の頭をひねってみても、自分一個で想像できる事例は限られている。

歴史に学べば、古今東西のあらゆる事例を知ることができる。そのなかから、現在
に応用できそうなものを探しだせば、自分の想像力も広がるというものだ。

そして、歴史ほど、多くの物語を含んでいるものはないのだ。

そのためにこそ、私は歴史に学ぶ。

自分の想像力の外にある事象を集める為にである。

だから、私にとっての歴史は、歴史的事実である必要はない。

現代に役立てばいいのだ。役立たない歴史は、史実であっても価値が低いのだ。

例えば、秀吉の「一夜城」は史実ではない、というのが定説らしいが、マクドナルド
が第一号店を銀座に出したとき、まさに一夜城の方法で前日までの化粧品売り場を改
装してみせて、アメリカ本社の役員を驚かせた。藤田田のエピソードのひとつである。

義経の八相飛びも、史実ではない。第一、当時五条に橋はなかったのだそうな。でも、
舞の海は、八相飛びをやって相撲史に名を残したのである。




#237/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (ldk06054)  01/12/26(Wed.)   2: 1  ( 22)
希望のない痛み     KN
★内容
 カルロスゴーンに言わせれば、希望のない痛みは、逃げ
てしまうものだそうで、手法としては、効果は薄いのでは
あるまいか。

 小泉首相は、狂牛病騒動のとき、確か安全宣言は早いと、
言われたことがあった。確かに、その見方は正確に思えた。
とすれば、前向きの話が出ないのは、それほど深刻に捉え
ており、簡単に示せるものではないようだ。

 一つ、確かな見方と思ったのは、以前から言われている
ことだが、”こんなことしてると、だいっっ増税がやって
くる。”というとだ。小泉風にまとめると、”いったみに
耐えないと、だいっっ増税がやってくる。”となろうか。
残念ながら、正確な見方だろう。

 これらのマイナスにカッコを付ければ、大きなプラスに
なる。言葉にしてみれば、大減税が続いているということ
だが、なんとも締まらぬキャッチフレーズであるが。






#236/300 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  01/12/22(Sat.)  21:24  ( 93)
市議会議員選挙     一久
★内容

【市会議員選挙について】


 いま行われている市会議員選挙のやりかた
である、大選挙区制というものは、どう考え
ても市民の代表を選ぶものとしてふさわしく
ない。

 わずか何千人かの組織票を固めさえすれば
当選するという点もさることながら、立候補
者のほとんどは当選するという手ぬるいもの
だからである。

 例えば、我が東大阪市においては、三千人
前後の投票があれば当選する。

 議席の数は約五十であり、立候補者数は六
十を越すことはない。

 このような状況において、どんな選挙結果
がでようとも、大勢に変化の起こる訳もない。

 大選挙区制、それ自体がダメなのだ。

 では、それに代わるよい方法があるだろう
か?じつは、適当な方法はないように思われ
る。

 比例代表や中選挙区制などは論外として、
小選挙区制度も、あまりに選挙区が小さくな
りすぎてうまくないだろう。

 と思っていたのだが、今日、ちょっとばか
り考えが変わった。

 小選挙区制でいいのではないか。

 小学校の学級委員長のことを思い出してみ
るといい。たいていは、ふさわしい子がなっ
ていたではないか。

 ということは、むしろ選挙区というものは
小さいほど、人間的には、という意味で良質
の選良を見つけだすものであるのかもしれな
い。

 そう考えると、小選挙区で構わないはずだ。

 東大阪を例にとって考えると、人口は約五
十万人だから、一議席あたり、一万人という
ことになる。

 地区で分けるのは面倒なので、全有権者を
五十の組にランダムに分割して、立候補者は、
どの組で選挙されるかを抽選で決める。

 立候補者が百に満たなかった場合には、公
示を行い、あと何人足りないかを有権者に知
らせ、立候補者を募集しなければならないも
のとする。

 余談ながら、選挙に行きましょうという宣
伝はよく聞くが、選挙に立候補しましょうと
いう宣伝はあまり聞かないであろう。これも
また、古い体質の残滓なのである。

 つまり、役所と議会はグルになって、市民
が議会に参加することを阻止しているのであ
る。そのくせ、市民が選んだ、という名目だ
けは欲しがっているのだ。

 小選挙区制度は、選挙区に二人以上の立候
補者が出なければ成立しない。候補者を募集
せざるを得ないようになる。

 一選挙区に一万人しか有権者がいないので
あれば、買収が横行する危険がある。

 が、五十万人のうちの三千人を買収するの
と、一万人のうちの三千人を買収するのとで
は、後者のほうがはるかに難しい。

 大きな組織の顔役ならば、三千人ぐらいす
ぐに得ることができるが、ランダムに選出さ
れた一万人の中に、自分のシンパを見つけだ
すことは容易ではあるまい。

 顔役も、一介の勤め人も、一から自分の考
えを有権者に売り込まねばならないのである。





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