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#3041/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/15(Wed.) 6:25 ( 14)
解散総選挙をすべき 一久
★内容
【代表戦結果は、小沢・鳩山主導の否定】
2008年の衆議院選挙は、鳩山・小沢氏のもとで行われた。
その結果としての過半数獲得である。
そして今回の代表戦において、その小沢・鳩山組は敗退した。
ということは、民主党員自身が、小沢・鳩山路線と決別した
ことを意味する。
ならば、菅氏主導で総選挙を行い、菅民主党がどの程度国民
の支持を得ているのかをはっきりさせなければならない。
小沢・鳩山両氏の遺産に乗っかったままの政権運営は許されない。
#3040/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/14(Tue.) 6:54 ( 44)
結局無意味となった民主党党首選挙 一久
★内容
【党内民主主義の欠落を露呈】
結局のところ、民主党に民主主義が無いということを再確認
させるだけの結果に終わってしまった。
菅氏の「追及」は、TV評論家よりも温く、小沢氏の回答は
これまでに新聞記者に語ってきたことと大差なかった。
他の「政策論争(?)」についても、両者ともに相変わらず
「トラストミー」を繰り返すだけで、なんら具体策や財源の
明示がない。
百年一日のごとく、「ムダを省けば金が出てくる」という呪
文を繰り返すばかり。
党首選挙の場においてこそ、党員こぞって政策を検証し、具
体的な検討・争論をすべきなのに、安物の市会議員選挙のご
とく「私**をよろしく」合戦となった。
民主党に民主主義が存在しないことを、改めて証明しただけ
が成果であった。
二大政党制における政権交代とは、より優れた民主主義を持
つ政党への政権交代ということである。そうであればこそ、
どちらが勝っても、勝った方の政党内民主主義によって民主
主義は担保される。
もしも、民主主義的運営をしていない政党に政権交代したな
らば、その瞬間に民主主義国家は死滅する。まさに、今の日
本のように、である。
今もまだ、民主主義国家であるかのように我々が思っている
のは、死んだことに気づいていないからに過ぎない。
2009年の8月に、民主主義国家・日本は死滅した。いま
あるのは、ゾンビ国家・日本である。日本の民主主義を殺し
た民主党と、それに加担した多数の国民自身、そのことに気
づいていないのである。
#3039/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/10(Fri.) 20:31 ( 47)
ニセモノの政権交代 一久
★内容
【2008年の政権交代はニセモノ】
政権交代、と一口に言うが、本来、この言葉が指すべきものは、民主主義の、
二大政党制における、政権交代という意味でなければならない。
ただ単に、政権が代わりさえすればいい、というのではない。
そのような、変化主義は、亡国への道である。226や515や、ナチスや
らなにやらと同じである。
政権交代して政治に関心を持つ人が増えたことだけでも良いことだ、と言う
人も少なくない。が、関心を持っただけでは何にもならない。
むしろ、関心を持っているが、なにも学ぼうとしない人間とうものが、最も
たちの悪い相手だということは、討論の場にいる者なら誰でも知っているは
ずだ。ゆえにjsiminのモットーは、無知の許容&無知の居直りへの非
寛容、なのである。
話がそれてしまった。
要は、評価できる政権交代とは、二大政党制の政権交代であり、民主主義の
出来を競っての政権交代でなければならないということである。
どの政党が最もよい民主主義的運営をしているか、という判断基準で選ばれ
るべきだ、ということである。
これさえ出来ていれば、二大政党制である必要はない。三大政党でもいいし、
一大政党でもよい。民主主義の政党が一つしかないのであれば、その政党が
政権を得るかどうかが、民主主義の死命を決することになる。
【国民は民主主義を否定した】
2008年の衆議院選挙において、選挙前において、民主党では民主主義的
運営が成されていないということを、すべての人が知っていた。
にも関わらず、多くの国民は民主党に投票したのである。これは、民主主義
なんかもういらない、と国民が言ったのと同じである。民主主義の自殺であ
る。
多くの国民は、民主党に民主主義があるかどうか、などには関心を示さず、
政権交代という仮面にだまされて、「ニセモノの政権交代」を選んだので
ある。
それは、魂を売り渡す行為だとも知らずに。
#3038/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/ 9(Thu.) 20:26 ( 34)
英語公用語化問題 一久
★内容
【企業と政治の別】
英語公用語化の問題といっても、実は、企業・個人にとってのそれと、
政治制度としてのそれとは、別物と考えるべきかとおもいます。
企業・個人のそれは、つまるところ、”英語が出来る人間”のことだ
けを考えればよい。インドで英語が出世の手段になるということは、
言い換えれば、英語の出来ない落伍者が多数存在するということ。
そうであればこそ、英語を習得して出世できるし、そういう”人材”
を抱えることで企業も有利商売できる。
これに対して、政治制度としてのそれは、多くの落伍者のことを考
えざるを得ない。
早い話が、沖縄県の高校では、地元の良い所に就職するには英語が
必要だ、として勉強するように促しているし、本土よりは現実の場
で使う機会も多いはずだが、にも関わらず、少なからぬ県民が低所
得か本土への出稼ぎかを余儀なくされる。
これは、旧植民地国の国民と旧宗主国の関係と同じだ。沖縄県民が
救われるのは、日本が外国ではないからにすぎない。
逆に言えば、英語のできることがさほどメリットにならない社会で
こそ、英語公用語化による落伍者のことを考えずに済む。たとえば、
ヨーロッパの小国のような場合だ。
しかしこれは、日本と英語の関係において可能であろうか?インド
でさえ出来ない、ヨーロッパ型の”公用語”化が、日本において可
能であろうか。
インド型を受け入れる土壌は、日本にはないだろうし・・・
#3037/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/ 9(Thu.) 11: 4 ( 26)
民主党党首選挙 一久
★内容
【他の民主党議員たちは何をやっとるか】
すべての民主党国会議員立会いの席で、党首選挙候補者の討論会を
やるべし。
そこでは、議員達から両候補に対して、自由に質問・討論ができねば
ならない。
小沢支持派からは当然、菅批判がでようし、菅陣営からは小沢追求の
声があがろう。
両派に属さない議員からは、両者の回答を比較するような質問が浴び
せられるであろう。
このようにして、民主党に所属するすべての議員からの、党首候補に
たいする”試練”があってこその党首選挙であり、政党内民主主義な
のである。
小沢・菅両氏が、マスコミの前でブツブツとつぶやきあっているだけ
では、なんにもならない。
民主党の議員達は「俺たちも党首候補討論会で発言させろ」と言うべ
きなのである。
#3036/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/ 1(Wed.) 21:31 ( 25)
大阪市は府から独立して県になるべし 一久
★内容
【大阪市から浪速県へ】
大阪市は大阪府から独立して、「浪速県」になるのが良い。
こうすれば、財政赤字も無くなるだろう。府民税が丸々「県」に
入るのだから。
全国の政令指定都市も、みなこれを真似れば良い。
そんなことをしたら、「弱い市町村」が大変なことになる、府の
財政がさらに悪くなる、というだろう。
しかし、本来、広域行政とはそういうものではないか?
つまり、力のある都市は独立して自ら発展して新型の「県」となり、
力の無い市町村を従来型の都道府県がゆるやかにサポートする。
これまでの都道府県と政令指定都市の関係は、「協力しあうべきだが
実際には仲が悪い」というものであった。そもそも、協力し合うべき
というのが間違っていたのだ。
政令指定都市は、都道府県から独立し、「新県」として羽ばたくべき
なのである。取り残された市町村の介護こそが、旧来の都道府県がす
べきことなのだ。
#3035/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 9/ 1(Wed.) 6:26 ( 47)
激しい追及あってこその党首選挙 一久
★内容
【相互批判ができるかどうかが肝心】
問題は、小沢さんにあるのではない。
小沢さんの抱えている問題を、菅氏が公の討論の場で追及できる
かどうか、逆に、小沢さんが菅氏の政権運営を同様に批判できる
かどうか(批判する必要が無いなら立候補する必要もないから)
である。
民主党という政党が、その党内に民主主義を持っているかどうか
という問題なのである。
もしも、菅氏が政治と金の問題で、小沢氏を追及しな
かったとしたら、菅氏も小沢氏と同罪となる。民主党
自体もまた、政治と金の問題に無頓着な政党であると
判定される。
菅氏は、政治と金の問題でゴタゴタするのはもうごめ
んだ、という。その言や良し。
されど、それは政治と金の問題を棚上げすることであ
ってはならない。
党首選挙において、徹底的に追求されるがゆえに、そ
んな問題を抱えた候補が登場することは今後在り得な
い、という意味でなければならない。
逆に、小沢氏が、菅氏側の激しい追及にも関わらず、
これをことごとく論破し、自身の潔白を立証すること
が出来たるならば、それも良し、である。
政治と金の問題の解決法とは、このふたつしかない。
どちらにも、菅氏からの激しい追及が必要不可欠なの
であり、もしもこれを怠るならば、菅氏と民主党には
自浄能力が無いということの証明となる。
民主党には、民主主義が無いということになるのだ。
アメリカ大統領予備選を見よ。
あのような激しい批判合戦と、反論があってこその民主主義なのだ。
どっちが勝っても、負けたほうの勢力によって、政権内部からの
批判と検証が保証されるということを、あの舌戦は意味している。
これこそが民主主義の根幹なのである。
#3034/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/29(Sun.) 20:56 ( 24)
小沢さんの立候補は結構なことだ 一久
★内容
【党首選挙を通じて身の潔白を証明せよ】
党首選挙に出るということは、対立候補からの追求を覚悟する
ということである。
しからば、小沢さんは、自身の問題について、身の潔白を証明
する自身がおありなのであろう。結構なことではないか。
逆に、菅氏のほうは、この問題を自民党よりも厳しく追及する
必要がある。そのような鋭い突っ込みに対して、小沢氏が反証
できたとき、小沢氏の無実が証明されたといえる。
ゆえに、問題は、菅氏が小沢氏を追及できるかどうかにこそあ
るのだ。
菅氏自身が「解決済み」として小沢氏の問題に触れることが無
かったならば、この党首選挙は民主主義において意味を持たな
い。
度々言うように、もしアメリカ大統領予備選で、対立候補の汚
職疑惑に触れなかったならば、その政党はアメリカ国民に見捨
てられるであろう。
#3033/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/28(Sat.) 6:21 ( 21)
問題は小沢さんにあるのではない 一久
★内容
【相互批判ができるかどうかが肝心】
問題は、小沢さんにあるのではない。
小沢さんの抱えている問題を、菅氏が公の討論の場で追及できる
かどうか、逆に、小沢さんが菅氏の政権運営を同様に批判できる
かどうか(批判する必要が無いなら立候補する必要もないから)
である。
民主党という政党が、その党内に民主主義を持っているかどうか
という問題なのである。
アメリカ大統領予備選を見よ。
あのような激しい批判合戦と、反論があってこその民主主義なのだ。
どっちが勝っても、負けたほうの勢力によって、政権内部からの
批判と検証が保証されるということを、あの舌戦は意味している。
これこそが民主主義の根幹なのである。
#3032/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/26(Thu.) 20:51 ( 16)
民主党党首選挙 一久
★内容
【批判が出来なければ意味がない】
アメリカ大統領予備選挙のように、同じ政党の内部において激烈な批判合戦
が行われ、両候補の問題点がさらけ出されるのでなければ、党首選挙に意味
はない。
党首選挙や予備選挙は、このような”言論の自由”が政党内に存在すること
を確認する為の儀式である。
党内に健全な批判勢力が存在し、その者達によって自浄作用や政策の検証が
成される。そうであってこそ、どんなに多くの議席を得ても、独裁化せずに
すむのである。
候補者が互いに相手を批判し、反論しあうことのない党首選挙は、民主主義
や言論の自由がその政党には存在しないということの証明となる。
#3031/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/25(Wed.) 22:26 ( 26)
諸行無常 一久
★内容
【諸行無常 新釈】
諸行無常(字、あってるかな?)というと、無常観をあらわすものだ
けれども、実は、もっと別の意味があるのではないかと、思うように
なった。
それは、「どんなものでも、もうじき無くなるとなれば、良い面を見、
悪い面を許せるようになる」というような意味あいではないか、とい
うもの。
たとえば、イケスカナイ上司がいたとして、その人がもうすぐ転勤
するというニュースを聞いたとき、その人に対するモヤモヤ感がスー
と無くなるのを感じるだろう。
そして、以後、その人の悪い面も鷹揚に受け流すことができるし、逆
に、今まで意図的に無視してきたその人の美点を積極的に吸収しよう
とするだろう。
よくある、潰れると決まった商店に、大勢の客が詰め寄せる現象と同
じようなものだ。
どんなイヤな相手でも、「もうじきいなくなる」と思って接すれば、
ストレスは軽減し、相手を自分の成長に利用もできる。
という、お徳な心理技術であるといえる。
#3030/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/21(Sat.) 22:10 ( 26)
じつに簡単なこと 一久
★内容
【 政党内の”政治”を見よ 】
選挙で、どの政党に投票すればいいか分からない、という声は昔から
よく聞く。だがそれは、何を指標として政党を評価するかということ
を知らないから、そう思えるのだ。
政党を評価する指標とは、その政党内部において、マトモな政治が行
われているかどうか、ということである。
すなわち、政党の有力者といえども、汚職疑惑があれば、他の党員か
らの追求・調査を受けるかどうかということや、党の方針として決ま
った政策に不備があれば、批判して訂正させることができるかどうか
というようなことである。
このようなことが出来ない政党であれば、自浄能力は期待できないし、
現実的でない政策を党首が口走ったり、その反動で、選挙公約を一方
的に独断で改変したりする政権が出来上がる。
どの政党が、より多様な意見を持ち、内部で恒常的に討議を繰り返し
ているか、もし党内に汚職疑惑のある者がいれば、敵対政党に言われ
るまでもなく調査追求しているか、等々を見ればよい。
政権担当能力のある政党とは、それが出来ている政党ということだ。
#3029/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/13(Fri.) 20:33 ( 44)
よい政治とは? 一久
★内容
古今東西、良い政治とは、広く意見を聞き、真摯にこれを検討し、
新しい良案を取り入れ、古き良き物を守り、誤りあれば速やかに
これを正すことである。
こららすべての基礎は、「言論の自由」にある。
言い換えれば、「意見を聞く」だけでは「言論の自由」が真に存
在するとは言えないということである。
「真摯にこれを検討する」ための反論や論証、事実確認等の検証
のための言論がなされていなければならない。
そのような討議あっての、「新しきを得」「古きを守る」である。
そして、誤りがあれば「自由に発言」してこれを改めさせること
のできる場があってこその「言論の自由」である。
これらを保証するため、言論の自由には、重大な必要条件がある。
それは、
「君の意見に賛同できないが、君がその意見を述べる権利を、私
は死を賭してでも守ろう」
という古言に集約されている。
だがしかし、これだけでは誤解を生む。そのことが、例えば「2
ちゃんねる」のような状況を生み、その結果、世の識者をして愚
集の自由な声を馬鹿にする態度を生む。
意見を述べる権利が守られるべき者は、同様に他人が意見を述べ
る権利を「死を賭してでも」守ろうとする者だけである。
その覚悟のない人間に、言論の自由は無い。あってはならない。
相手の発言権を阻害する人間に、発言権を与えるということは、
好き勝手な言動を許すということに他ならないからだ。それこそ
2ちゃんねるの一部参加者のように、である。
また、このことは「イワユル識者」諸氏にも言える。彼らもまた、
時に、相手の言論を封殺しようとするではないか。すなわち彼ら
もまた、言論の自由を与えられるべき資格を持たない者たちなの
である。
#3028/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/12(Thu.) 20: 9 ( 32)
菅氏と秀吉は同類 一久
★内容
【 菅大公のご乱心 】
「サルめ!死に場所が無くて血迷うたか!」
元・織田家重臣が朝鮮出兵を聞いたときの言葉である。
菅氏も、死に場所がなくて血迷ったのであろう。
豊臣秀吉の侵攻は、朝鮮の人々にとっては最大の国難で
あったが、日本人にとっては、狂った独裁者の気まぐれ
でしかなかった。
ゆえに、日本人は、あの戦争に感心が無い。
秀吉が勝手にやったこと、しかも当人は責任能力を問
えない精神状態であった、と。
菅談話についても、後世、同様の評価がなされるであ
ろう。菅氏周辺の、若老衰内閣による暴走であったと
みなされることになる。
民主党には民主主義がない。そのことは、先の衆議院
選挙の前から分かっていたことだ。その政党に投票し
た国民が多くいたということは、日本国民は民主主義
を否定したということである。
そして、今の日本は、ファシズム国家となった。独裁
国家において、指導者が狂人的な振る舞いをすること
は、古今東西の常識である。
#3027/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/10(Tue.) 19:37 ( 39)
反省とは何か 一久
★内容
【理想の確認のない反省は偽善である】
反省とは、理想や目的と、現実の結果とのギャップを計り、なぜ悪い結果
がでたのかを検証することである。
ゆえに、本気で反省するのであるならば、まず第一に、理想はなんであった
のかを明らかにする必要がある。
ところが、どういうわけか、「反省せよ!」と声だかに叫ぶ人に限って、この
作業を嫌悪する。「反省できない人の自己正当化である」として、理想が何で
あったのかの確認作業を妨害する。
この輩は、とにかく首をたれて、ひたすら陳謝することを要求するのだ。
【反省なき反省】
もし本当に、理想などどこにもなくて、ただ戦前の日本人が残虐非道であった
ことだけがすべての原因であったのであれば、それでもよいであろう。
だがそうでなかったらどうだろうか。
理想があったのに、問題のある結果になったのだとしたら、今後も同じ問題が
起こる可能性が大きいということである。
これから我々が全くの善意を以って行うことが、結果的に外地の人々から嫌悪
される結果を招くかもしれないということである。
なぜならば、理想と現実のギャップがなぜ起きたかを検証していないというこ
とは、それがなぜそうなったのかが分からない、ということであるのだから。
分からない以上、過ちは繰り返されることになる。
ゆえに、理想の確認なき反省に、意味はない。愚かなる偽善だけがそこに
ある。
#3026/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #3025 ***
★タイトル (********) 10/ 8/ 8(Sun.) 19:53 ( 2)
Re:3025 何にどう投資するかにもよるけれど S1
★内容
年寄りの不安や寂しさを減らし、楽しさや快適さ、生きがいを与える方向に
持っていくなら、あったほうが嬉しいでしょう。
#3025/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/ 8(Sun.) 6:34 ( 23)
喜ばない成長分野 一久
★内容
【福祉は成長分野というけれど】
福祉や介護は成長分野で、ゆえにそこに重点投資していくというけれど・・
なるほど成長分野ではあるのだろう。しかしそれは、国民がそのことに
対して、金を払うということである。家計における支出が増えるという
ことである。
ここで問題がある。
支出には、やむを得ぬ支出と、楽しみの為の支出のふたつがある。
これまでの成長分野であった、家電・自動車などは、楽しみの出費であった。
が、福祉・介護・医療は、やむを得ぬ支出である。無ければ無いほうが嬉しい
支出である。
そのようないわば「負の支出」をもって、経済の主役たらしめることが
はたして良いことなのか?
[ コメント数 1 読む(F3025) ]
#3024/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 8/ 7(Sat.) 20:28 ( 23)
司法修習生の問題 一久
★内容
いままで準公務員として給与を払ってきたのが、本人負担で貸与制になるのだ
そうな。
はて、強制の修習であるのに、本人負担とはこれいかに?
さて、この問題に対する私の考えは、世間一般とはかなり違っているようだ。
私の意見は、ズバリ、司法修習生制度の廃止である。
本来、司法大学院制度を取り入れた段階で、司法修習制度も廃止すべきもの
であった。手本としたアメリカには、もちろんこんな制度はない。司法試験
に合格すれば、その時点で法曹となれる。
つまり、司法大学院とは本来、司法修習生所でやることを肩代わりすべき場
所でなければならないのだ。
そうであればこそ、司法大学院に意味がある。財政的にいっても、多数の弁
護士を増やすには、この方法しかないであろう。
司法修習制度を残したこと、それ自体がすでに間違いなのである。
#3023/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 7/27(Tue.) 21: 4 ( 25)
政党内民主主義 簡易な判定方法 一久
★内容
【党員の待遇を見よ】
政党内民主主義があるかどうかを見分ける簡易な方法がある。
何のことは無い、その政党の党員達がどのような処遇を受けている
かをみればよいだけのことだ。
「国民の声を聞く政治をします」と多くの政治家や立候補者は言う。
だが、その彼らを支える政党なりグループなりの「国民」たる一般
党員の「声」は、ちゃんと聞いてもらえているのであろうか?
政党の有力者の疑惑事件について、党員達が大きな声でなにも言え
ない政党が、国民に疑惑追及を許すことはないだろう。
党員たちが、どれだけ自由に発言できているかを見れば、すなわち
それが、政党内民主主義のデキをしめしている。
逆に、ボスに睨まれて声をあげることもできない政党を選ぶという
ことは、その政党が政権をとったとき、国民皆がその党のいいなり
になるということを意味する。
政党員の今の姿は、将来の国民の姿である。どういう未来が良いか、
よくよく、各政党の党員の処遇を見ねばならない。
#3022/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/ 7/25(Sun.) 21:24 ( 24)
上の論文の再説明 一久
★内容
結局のところ、
「民主主義とは、選挙において民主主義の政党を選ぶ行為である」
ということになる。
しかしでは、なにが「民主主義」なのか分からずじまいではないか?
と思われるだろう。それでいいのだ。
「なにが理想の民主主義なのか」を有権者全員で考え直し、投票する
こと。これこそが民主主義の本質である。「民主主義に至る不断の努力」
とは、まさにこのことである。
民主独裁制が民主主義だという人は、民主党や共産党に入れればよい。
政党内部での自由な討論や自浄作業を少しでも期待したい人は、自民党
へ入れればよい。
独裁こそが正しいという人は、「大阪維新の会」や「みんなの党」へ入
れればいい。
その結果、民主主義の国でなくなることもあるだろう。民主主義の選挙
とは、民主主義が自殺するための装置でもあるということだ。
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