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#1848/1900 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1846 ***
★タイトル (********) 06/12/14(Thu.) 21: 4 ( 28)
Re:1846 私はバッシングを肯定できない S1
★内容
相手を罵倒したり侮辱したりするような言動が、議論でいうとこ
ろの反論といえるでしょうか。
言論の自由の中に、反論の自由もあるというのはよくわかります。
かくいう私も、自分と違う意見にはたいてい反論していますし、
自分に対する反論にも、拝聴する態度はとっているつもりです。
だから議論がなりたつのではないですか。
馬鹿げた意見や危険な思想であっても、それがあくまで言論での
主張であり、押し付けや暴力を伴わないのであれば、一つの意見
として認め、穏やかに聞き、その上で反論すべきなのです。
(人間には感情もありますから、なかなかそうもいかないという
のはわかりますが)
そうでなければ、言論の自由というのは成り立たないのではない
ですか。私がバッシングといっているのは、意見を引っ込めろ、
考えを変えろと強要するような、いわばことばの暴力です。
そしてまた、少なくとも私は、天皇制廃止論が馬鹿げた意見であ
るとも、危険な思想であるとも思ってはいません。
朝日新聞等が核武装論議をどのように封殺しようとしたのかは知
りませんが、反朝日を掲げる個人や団体も少なくないのだし、そ
れらの力を借りて妨害の及ばないところで主張することは可能だ
と思います。(封殺活動そのものは非難されてしかるべきだが)
一久さんの論理でいけば、核武装論議も反論者たちによって打倒
され続けてきたと言えるのではないですか。
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