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#2913/3000 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #2907 ***
★タイトル (********) 10/ 4/12(Mon.) 20:30 ( 41)
「言葉の壁」は最も重要なもの 一久
★内容
【人命軽視のマスコミ】
「日本人でも分からないような言葉」を出す国家試験に意味があるのか?
とか、マスコミの紳士淑女諸氏はしたり顔で言う。
しかし、看護士は医療現場において、医師と「普通の日本人には分からない言葉」
を交わすことがあるはずだ。そのような言葉が看護士国家試験に出題されるのは
当然のことだろう。
もちろん、そうでない場合も多々あるだろう。しかし、資格試験とは、そのような
甘い状況を想定して作られるものではない。昔堅気の、難しい言葉をポンポン使う
老医師の下という”劣悪”な環境ででも仕事が出来る人間を選別するのが資格試験
というものの本質である。
ましてや、看護士の仕事は、患者の命を預かる仕事である。医療行為の大きな部分
を、言語による意思疎通が占めている。患者と看護士、医師と看護士、看護士と
看護士、看護士と患者の家族、看護士は、これらすべてに対して、高度に技術的
な言葉と、一般的常識を兼ね備えなければならない。そうでなければ、患者の命
を縮める結果となるからである。
ゆえに昔から、医者の評判の多くは彼の言語能力やそれに裏づけられた洞察力を
意味するものであった。最高の技術と知識を持ったヤブ医者は少なくないし、
無免許の医者が名医との評判を得ていたなんてことも珍しくはない。
言葉の壁とは、これほど大きなものなのである。
それでも医者の場合はまだマシである。彼自身がその患者に対して独裁的な権限
を振るう立場にあるからだ。極端な場合、なにも説明せずに治療をしても、結果
さえ良ければ許される。
だが、看護士の場合はそうはいかない。常に医師と患者との板ばさみの立場にあ
るのが看護士の仕事だからである。医者の話す難解な言葉を完璧に理解し、かつ、
患者の言葉や心情を読み取れなければ勤まらない。
もっとも、野戦病院程度の医療であれば話は別であるけれども・・・アレは、傷
の治療という単一目的のものであるから。