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#1229/1300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1224 ***
★タイトル (********) 04/10/23(Sat.) 9:43 ( 26)
「たら」「れば」の話で恐縮です S1
★内容
「たら」「れば」の話で恐縮です。
もしも、昭和天皇が連合軍に囚われの身となって、それでも「日本はまだ
負けていない。最後の一人になっても戦う。」と訴えていたら、日本人の
すべてとは言わないまでも、かなりの数がアメリカ人相手に抵抗を続けた
と思います。
現地人の新政権ができたとしても、それが敵対国家のかいらいだったとし
たら…。南ベトナムにはれっきとしたベトナム人政府があったにもかかわ
らず、解放戦線が組織され熾烈な内戦が展開されました。
私のかんぐりではありますが、フランスで勇敢に抗独レジスタンス活動を
した人たちと、終戦後に対独協力者をリンチした人たちの中には、同じ人
もかなりいたのではないでしょうか。中共の八路軍も然り。
一久さんのご意見は正論であると思うし、理性では同意します。
しかしながら、自分が同じ立場だったら、ということを考えると、一方的
に非難することはできないんですね。ある程度の豊かさと自由があればこ
そ、人間は十分に理性を働かせることができる。
私は、自分がパレスチナの難民キャンプに暮らす人間だったとしたら、ユ
ダヤ人相手のテロに走ったかもしれません。そして、女房子供が殺されて
いたとしたら、「目には目を」とばかりユダヤ人の婦女子を狙ったかもし
れません。そういった行為を、単に「違法だ」として非難してよいものか、
あくまで合法的な解決手段を探るべきであって、それができないうちは今
の境遇を甘んじて受け入れるしかないというのでは、あまりに無情すぎる
気がします。
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