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#1020/1100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 04/ 4/18(Sun.) 10:26 ( 44)
道義的・政治的 一久
★内容
道義的・政治的
政治家の「全力をつくす」という言葉は、限度内で全力をつくすと
いう意味である。
もしも言葉どおりに全力をつくす政治家がいれば、そのものは政治家
ではなくて、夢想家というべきだ。
なぜならば、政治家の役目はまさに限られた資源(地下資源だけでは
なくて、時間的・人的、その他あらゆるものを含む)の分配を決める
ことであるのだから。
逆にいえば、資源が限られないものには、政治は必要ない。マルクス
のいう共産主義社会とは、まさにこのような状態のことである。
ボランティア活動家が、紛争地域にどうしても入りたいというのは道
義的な問題である。一方、イラクから自衛隊を撤退させるかどうかと
いうのは、政治的な問題である。
道義的な人命救助という問題で、政治問題を動かすことはできかねる。
北朝鮮の拉致問題は、道義的な問題であり同時に、政治的な問題であ
る。国家主権が脅かされているからであり、本件とは別問題である。
だから、政府にできる「全力」には必然的に限度がともなう。人質の
ために自衛隊撤退などできるはずもない。
人質家族への違和感は、まさにその混同を彼らが平気でしていること
への怒りであろう。ジコチューも極まれりということだ。
だが政府は、自衛隊撤退などはできぬが、道義的な行動ならばできた。
カタールの衛星TVへの家族の出演にしても、日本政府の協力なしに
は難しかったに違いないし、聖職者協会へのコンタクトも同様である。
問題にすべきは、家族が動転した感情に任せて道義と政治を混同した
発言をしてしまったのに便乗して、自衛隊撤退を考えるべきとかヌカ
した無責任な政治家連中のほうである。
人質家族という小市民の失言は許すべきだが、政治家の不穏当発言に
はキッチリ責任を取ってもらわねばなるまい。彼らの言動はテロリス
トを有利にしたのであるから。
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