〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#1910/2000 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  07/ 4/16(Mon.)  17: 7  (105)
言論の自由に三段階あり     一久
★内容

【言論の自由に三段階あり】

言論の自由には、三つの段階がある。国により人により、その到達している
段階は決して同じではない。ある国における言論の自由と、その隣国におけ
る言論の自由が、同じものを意味するとは限らない。

【第一の段階】

言論の自由の第一段階は、自分の意見を述べることのみを言論の自由だと
思っている段階である。この段階においては、自分の意見を他人に聞かせ、
自分に相手を従わせることには熱心であるが、相手の意見を聞くというこ
とには関心が薄い。否、自説を述べることだけが言論の自由であって、他
人の意見が弾圧されようとも知ったことではないと思っているのがこの段
階の人であり、国である。


【第二の段階】

第二段階においては、もう少しマシになる。自分の意見と対立する意見の
持ち主であっても、彼の「言論の自由」が脅かされそうになった場合には、
彼の言論の自由を守る為にともに戦うという認識を共有している状態、こ
れが第二段階である。

第一段階においては、自分と対立する相手が国家権力によって弾圧された
場合、それをむしろ歓迎することになる。例えば、韓国において「親日派」
の論客が権力によって排除された場合、反日派はこれを歓迎することは
あっても、共に力を合わせて権力の横暴と闘おうとは思わない。

韓国人の言論の自由に対する理解は、第一段階に留まっているということ
である。同じことは、ほとんどすべての非先進国についても言えることだ
ろう。敵対する相手の権利の為に死のう、というような人間は、これらの
国には、ほとんどいない。むしろ、敵対者を倒す為ならば、権力と組んで、
敵の言論の自由を奪おう、と考える者がほとんどであろう。

自分と対立する者の言論の自由を守ることによってのみ、権力者が行なう
洗脳に対抗し得るのだ、ということを理解できないからである。もしも、
自分にとって不快な見解を示す者がいなかったならば、自分が政府に洗脳
されているかどうかを検証する術はない。政府は常に耳に甘い言葉を以て
国民を誘導しようとするものだからである。


【第三の段階】

第三の段階においては、単に相手の言論の自由の権利を守るだけではなく、
自分から、敵対する相手や間違っていると思える相手の意見を積極的に知
ろうという態度を取らねばならない。

第二段階まで来れば、なるほどすべての人は自分の意見を述べる機会を得
ることができるようにはなるが、意見を発表できるからといって、その意
見が大勢に伝わるとは限らない。真理を語っていても、詭弁に敗れるかも
しれない。経済力やメディアの力を持つ者の意見は広く世に知られるが、
そうでない人間の声は、僅かな人々にしか伝わらない。また、偏見や差別
感情もまた、意見の伝達を阻害する。

例えば、欧米において、日本人の意見や日本に対する情報の、恐るべき無
知と無理解をみよ。言論の自由はあるけれども、それによって相手(ここ
では日本)の意見を知ることができるようになるとは限らないということ
なのだ。

そもそも、言論の自由のとは、自分と違った意見を知ることによって自分
の思考が健全であるかどうかを点検し、心の自由と正義を保全する為のも
のである。ならば、相手の「声」が小さいから聞こえない、などという言
い訳は通用しない。

相手の声がいかに小さくとも、あるいは無言であったとしても、相手の意
見をこちらから積極的に聞き出さねばならないということである。なんの
ことはない。いわゆる「おもいやり」というものがこれである。

欧米流の言論の自由は、非欧米先進国の「我論の自由」に比べればはるか
にマシではあるが、言論の自由として完成されたものではない。第三段階
の言論の自由、すなわち、「敵対する相手の意見を聞く義務」を認め、そ
のように努力して初めて言論の自由は完成するのである。

【日本の場合】

 日本人は、最初から第三段階をもって言論の自由だと思ってきたようだ。
江戸以前からの儒学の教養と明治以後に入ってきた自由論とが融合すれば、
こうなることは当然であった。

それでは、日本人は一番優れているのか?

そうではない。第一段階をすっ飛ばして第三段階に至った日本人は、途上
国の人間と論戦しても勝ち目はないだろう。

欧米かぶれの日本人は、欧米の留まっている第二段階では言論の自由は未
完成なのだということを理解できないがゆえに、日本の意見や情報が欧米
に伝わらない理由をも理解することができない。第二段階の世界において
は、自由はあるが、成果は自由競争の中で闘い取らねば決して獲ることは
できないのだ、ということが理解できないのである。

途上国に対しては、最低限度、第二段階に進まなければ、自由も民主主義
も不可能なのだということを説明し、欧米に対しては、第二段階の自由の
中で日本の意見や情報が影響力を持つようにするべく広報活動を積極化す
るとともに、欧米もまた第二段階を卒業して第三段階に進まなければなら
ないということを説得していかねばならない。

一方、日本人自身も、第一段階の弁論術と、第二段階で闘い抜く闘争心を
身につけねばならない。

もっとも、皆が皆、第三段階に至れば、そんなものは必要ないのであるけ
れども。





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