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#1996/2000 本会議場 市民の討論広場 メイン会場 *** コメント #1990 ***
★タイトル (********) 07/ 8/13(Mon.) 21:50 ( 44)
民主主義の国民とは 一久
★内容
【政党のあるべき姿】
ハナ・アーレントいわく、「組織されない国民の意見は無力である」
マスコミは、国民の声を聞け、とか、国民の意見が政治を動かすだとか言いたがる
が、それが虚しい言葉であることは、誰もが感じていることではないだろうか。
アーレントの言葉は、その核心を一言で射抜いている。
政党というものを通して、組織された意見を形成しない限り、「国民の声」などと
いうものは無力なのである。しかし一方で、国民大衆のすべての意見を取りまとめ
るなどということは現実的に不可能であろう。大衆のほうでそれを面倒臭がるはず
である。
だが、現実の問題として、国民は全員が議論に参加せねばならないと思っている
のであろうか。そうではあるまい。もしも、優れた人々が集って、真摯に議論をし、
適時、妥当な判断をしてくれるのであれば、彼らに任せっきりにしてもよいという
のが本音ではあるまいか。
問題は、そのような信用を置ける政党も、人士も、存在するとは思えないという
ところにある。孔子風に、聖人君子では現れぬ限り、その問題は解決しないだろう。
しかし、それに対する答えこそが、民主主義なのである。個人の人間は信用でき
ない。すべての人は過ちを犯す。すべての組織は腐敗する。ゆえに、常に誰からの
意見であっても耳を傾け、真摯な討論をし、また、参加を望む大勢の人による票決
によって採決をする。それによって、擬似的に聖人君子政治を現出せしめるのであ
る。
相当に大勢の、真摯な知性豊かな人々が、討論を繰り返し、政党と権力を監視する
のであれば、国民大衆は、なにも自分自身で政治問題を考える必要もなくなる。
しかし、この大勢の有志というものは、政治に関心を持ち、いざとなれば自分も
その討議に加わる覚悟を持った政党の党員によって担保されているのである。
そして、その他大勢の党員を担保しているのは、いざとなれば党員となって討議に
参加するかもしれないという国民大衆なのである。
優れた人々が政治を監視するのであれば、国民は安心して政治を任せることができる。
だが、優れた人々に政治を監視する能力を与えるには、国民大衆が政党政治に関与
する覚悟を常に持たねばならないのである。
権力は必ず腐敗する。どんな集団も必ず腐敗する。腐敗を進行させない唯一の方法
は、外からの風にあて続けることである。
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