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#2147/2200 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 08/ 1/24(Thu.) 22:42 ( 49)
ナショナリズムについて 一久
★内容
ナショナリズムについて
アーネスト・ゲルナーは
「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」
と定義しており、十全とは言えないものの、この定義が議論の出発点としてある
程度のコンセンサスを得ている。
>以上、ナショナリズム ブログ村トラコミュ より
http://philosophy.blogmura.com/tb_entry85635.html
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上の定義は、誤解しやすいように思える。
とうのは、「政治的な単位」と、「文化的あるいは民族的単位」を「一致させ
ようとする」という思想や行動には、二種類のそれがあるからだ。
つまり、究極的には民族自決国家を目指すような、それぞれの文化や民族が
単体で政治的な単位を目指すという意味のものがひとつ。
もうひとつは、文化や民族の異なる集団を内包しつつも、それを包括した形
での国家的一体感のある社会を目指すというものである。
民族が違っても、国民としての平等や連帯があるならば、ナショナリズムは
成立する。いや、単体民族国家よりも強力なものになりうる。
この後者のナショナリズムは、「文化・民族・思想を超えた連帯を築くこと
が可能である」という認識の上にのみ成立する。
そして、それが成立するということは、文化的・民族的単位の総計が政治的
単位と一致するということを意味する。
逆に、前者のナショナリズムとは、政治的単位のほうが縮小して、単一の文
化的・民族的単位に体の大きさを合わせようとするものだと言えよう。
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連帯のある国家の、ナショナリズムとしては、アメリカのそれを挙げること
ができよう。他民族・多文化の国でありながら、ナショナリズムもまた強い。
そのアメリカが推奨したのが、連帯の無いナショナリズムである、民族自決
主義だったのは、なんとも皮肉なことである。
アメリカ人は、自分を知らないか、もしくは、相手国を弱体化させることを
狙ってそうしたか、どちらかだということになる。
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