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#218/300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 01/11/28(Wed.) 21:41 ( 73)
社会党の亡霊 一久
★内容
【民主党の抵抗分子について】
かつて、村山富一氏は、
「社会党には右よりの人も、左よりの人もいる。これは党内民主主義がある証拠だ」
とかいうことをおっしゃっておられた。
本当に、社会党内部に様々な意見の人間が存在していたのかは疑わしいが、今は
それは置いておく。
それよりも、もっと根本的な点で、村山氏は大きな勘違いをしておられるからだ。
様々な意見があるという状態だけでは、党内民主主義があるとはいえないのである。
否、それは政治ですらない。
民主主義にせよ、他のどんな政治にせよ、相異なる意見を、あるいは集約し、ある
いは妥協し、あるいは恫喝し、その他、あらゆる手段を用いてひとつの決断を実行
するのが政治というものである。
もし、そのような決断のできない政治があれば、それは何と呼ぶべきか?
そのような政治のことを「衆愚政治」というのである。
たとえ、ノーベル賞受賞者ばかりを集めたとしても、彼らがなんら結論を出せずに
いたのであれば、それは衆愚と呼ばれねばなるまい。
衆愚政治とは、決定できない政治のことなのだ。
村山氏は、政治や民主主義について、あまりにも知らなさ過ぎたのである。
さて、今回の民主党の元社会党系議員の反乱行為も、この村山流を踏襲しているよ
うに思われてならない。
彼らには、自由に討議することと同じ、いやそれ以上に、党議を決定することが大
事なのだ、ということが判っていない。
決定された党議というものの重みを、まるで理解していないのである。
党の決定した党議に従わないということは、党内民主主義を否定する行為なのであ
る。いや、政党内政治そのものの否定である。
ひいては、これは政治の否定である。
社会党的・衆愚政治への、回帰の雄たけびなのである。
【学者は衆愚が理想】
余談ながら、学問の世界の理想は、衆愚政治の状態なのである。
第一級の学者とは、物知り博士のことではない。
誰にも考えつかないような学説を構築する者こそが、優れた学者なのである。
当然、他の学者にも理解できない新説を打ち出すことが求められる。
となると、誰が正しいのか、だれにも決定できないことになってしまう。評価する
者の能力を、一流の学者達は馬鹿にしているのだから。
だから評価などせずに、無制限に研究費をくれる社会こそ、学者にとって理想なの
である。
だが実際には、研究費には限りがあり、その配分は政治的に決められることになる。
竹林の七聖のようなわけにはいかないのだ。
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