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#235/300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 01/12/18(Tue.) 22:40 ( 73)
平和とは何か 一久
★内容
【平和とはなにか】
戦争が無ければ平和か。
そうではないようでもあり、そうであるようでもある。
そこで、そもそも平和とは何かについて考えてみよう。
このような難しいテーマを考えるときには、その逆を考えてみることが有効である。
つまり、
「平和でない状態」とはなにか、をである。
あきらかに、平和ではない、と思える状況を考えてみるのである。
それらには、どんなものがあるだろうか?
まず第一に、戦争があれば平和ではない。
戦争が無ければ平和と言えるかどうかは判らないが、戦争があれば平和ではないこと
は明らかである。
つまり、「戦争がない」ということは、平和の十分条件ではないが、必要条件である
ということがこれではっきりした。
第二に、テロや暴動が頻発する状況も平和ではない。
第三に、町中に軍隊が臨戦態勢で常駐する状況も平和ではない。
第四に、国家同士が明日にも戦端を開きそうな状況も平和ではない。
さらに、一国内において、人々がいつ何時、殺し合いをはじめるかもしれない状況も
また、平和とはいえない。
これらの状況は、ある種共通の条件を備えている。
それはつまり、
「多数の人が殺し合うか、暴力の行使を始める可能性の高い状況」である。
この状況にあるとき、それは平和ではないといえる。
逆に言えば、そうでないとき、平和であるといえる。
差別や虐待等があるときも、平和とはいえない、という人もあるかもしれないが、も
しもその差別や虐待がその社会における許容量を超えれば、必然的に暴力行為を誘発
する。
そのレベルに達したときには、それは平和ではないといえる。
現に、パレスティナは自爆テロなどなくても、すでに平和ではない。
逆に、そのレベルに達していないのであるならば、平和といえることになる。
我々の社会にしたところで、人によっては資本家が労働者を搾取している一種の奴隷
制度だ、というかもしれないのだ。
だが、これをもって日本は平和ではない、という人は少ないだろう。
暴力それ自体を封じ込めるには、暴力を以て可能であるが、「暴力の行使の可能性」
を排除することは、暴力だけでは不可能である。
暴力を行使する動機を排除してはじめてそれが可能になる。
誰もが暴力を使う必要のない状況であれば、それは確かに平和であると言えよう。
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