〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

ログファイル >> 最新へもどる | 3101-3200 | 3001-3100 | 2901-3000 | 2801-2900 | 2701-2800 | 2601-2700 | 2501-2600 | 2401-2500 | 2301-2400 | 2201-2300 | 2101-2200 | 2001-2100 | 1901-2000 | 1801-1900 | 1701-1800 | 1601-1700 | 1501-1600 | 1401-1500 | 1301-1400 | 1201-1300 | 1101-1200 | 1001-1100 | 901-1000 | 801-900 | 701-800 | 601-700 | 501-600 | 401-500 | 301-400 | 201-300
[ 検索(RT) ] [ タイトル一覧 最新 | 最初 ] [ メッセージ(総数: 100) 最新 | 最初 ]

#2559/2600 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  09/ 3/20(Fri.)  21:52  ( 42)
精進料理の意味     KN
★内容
 永平寺の典座だった藤井宗哲氏の本は、精進料理の入門書として
読んでいたのだが、最近、その奥さんも出版されて、読ませていただいた。

 近年、目が悪くなり、やぶ蚊が飛ぶような感じだったそうだ。
医師の診断に疑問があって、別の医師の診断も受けたそうだが、ある医師が
半年の玄米菜食と勧めてくれたそうな。その言葉に従ったところ、4キロ
ほど体重が落ちたとか。もちろん目は良く見えるようになったのだろう。

 道元禅師は、確か典座教訓という本を残され、食の大切さを説かれた。
戦前頃から、永平寺の食事が変り、脚気で亡くなるとか、修行途中で実家の寺
に戻る僧が増えたのだ。道元禅師は、栄養的にギリギリでありながら、栄養
失調にならない”食”というものを残されたのだ。玄米粥を白米粥に変えて
しまったのだ。これが間違い。

 その典座の奥さんが、巡り合ったのが、その玄米食だった。改革とは言う
だろうが膝がカクカクというカイカクだったのだ。先人の知恵を軽んじてはならぬ。

 永平寺に後れて数十年後に建立され、教えを広めた総持寺。そこに、
半身不随の貫主というのは、今まで無かったろう。その貫主様の寺に、学生の頃、
庭の手入れの手伝いに行ったことがある。夕食を用意していただいたのだが、
貫主様の膳にのっていた、青く美しいサバの煮付けがいまだに印象に残っている。
僧籍にある方が、生臭ものを食べるとは思いもよらなかった。近親者の貧乏寺では、
夏はそうめんとか、ご飯が出ても、油揚げと根菜類の煮付けと味噌汁程度。
それが普通だと考えていたのだ。

 半身不随の意味が良く分った。

 白米粥になり、脚気を患い、下山せざるを得なかった僧侶。生臭坊主でも、
貫主にまでなれる僧侶。永平寺で典座まで務められた人の奥さんが、
玄米菜食に戻るという現実。道元禅師の教えの深さ。下手に変えてはならない
ということを貫主様は、身をもって諭されたのだろう。

 典座の奥様は、食育という言葉は無いと、言われる。厳密に言えば、玄米菜食
ということが、人間本来の”食”ということだろう。育てるというようなことは
ない。伝統を守るということだろう。

 話は変わるが、相撲界の朝青龍問題も、そのうちに答えが出ることだろう。
昔からの伝統からはみ出た者は、相撲界から去らざるを得なくなる。悪く言えば
はぐれ狼でしかなく、故郷に戻って大統領など有り得ない。郷に入って郷に従う
知恵があれば、理事長と言う目もあろうが、行儀が悪すぎ、支える者は居ない。
先場所優勝はしたが、それを当てたとして何がうれしいのか?。他の格闘技で、
双羽黒・北尾のように一蹴りで倒される程度なのだ。


[ ( タイトル一覧#2540-2559 | メッセージ#2558 ) 前 << 昇順 >> 次 ( メッセージ#2560 | タイトル一覧#2560-2579 ) ]

番号またはコマンド=