ログファイル >>
|
#268/300 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 02/ 2/23(Sat.) 22:11 ( 62)
指導者=国家 一久
★内容
指導者第一主義
プラトンは言った。
「その国家が知性の高い国家であるかどうかは、その国の指導者の知性が
高いかどうかできまる。知性ある国民が多いか少ないかできまるのでは
ない」と。
国家が諸外国から尊敬されるためには、まず指導者こそが尊敬に値する
人間でなければならない。
ひとりひとりの国民の知的水準が高くても、国際的にはあまり評価されな
いのである。
つまり、もし現在の日本という国が、国際的に名誉ある評価を受けてい
ないのであるとしたら、その責任のほとんどは、政治家や官僚、マスコミ
企業家等々の、指導層の言動に帰さなければならないのである。
ひとことで言えば、首相が馬鹿ならば、日本が馬鹿にされるのである。
乃木大将はあれほどの無能にも関わらず、その立ち居振る舞いの高貴さ
によって、外人記者に神のごとくあがめられた。
その乃木の教育を受けた昭和天皇は、マッカーサーから大きな敬意を払
われた。
松山捕虜収容所における模範的な捕虜の扱いは、国際的に高く評価され
た。
これらのことは、日本の国際的信用の構築に、大きく寄与したのである。
すぐれたリーダーを政権の座につけることがいかに大事なことであるか、
これをみても明らかであろう。
_________________________________
しかし、である。
先に述べたように、政権に登る能力と、その地位にふさわしい働きをする
能力は、必ずしも同じではない。
いや、どちらかと言えば、相反するとさえ言えるだろう。
万人に尊敬を受けるような哲人は、あえて政官の修羅場などに足を踏み
入れることを好まない傾向がある。
逆に、天下を動かす野心を持って政権にいどむ者は、いつのまにか高い
志や見識よりも、政官界での取引に心を奪われることになりやすい。
天下の哲人でなくともよい。
せめて、中の上程度の見識を持った人間を政権の座につける方法を模索
する必要がある。
その程度の人間でも、十分、名宰相たりえるのである。
国家を運営することは凡人でもできる。
凡人程度の人間でさえ、国家の運営者の中に見つけることが難しいだけ
である。
[ ( タイトル一覧#267-248 | メッセージ#267 ) 次 << 降順 >> 前 ( メッセージ#269 | タイトル一覧#287-268 ) ]