〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

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#3038/3100 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  10/ 9/ 9(Thu.)  20:26  ( 34)
英語公用語化問題     一久
★内容

【企業と政治の別】

  英語公用語化の問題といっても、実は、企業・個人にとってのそれと、
  政治制度としてのそれとは、別物と考えるべきかとおもいます。

  企業・個人のそれは、つまるところ、”英語が出来る人間”のことだ
  けを考えればよい。インドで英語が出世の手段になるということは、
  言い換えれば、英語の出来ない落伍者が多数存在するということ。

  そうであればこそ、英語を習得して出世できるし、そういう”人材”
  を抱えることで企業も有利商売できる。

  これに対して、政治制度としてのそれは、多くの落伍者のことを考
  えざるを得ない。

  早い話が、沖縄県の高校では、地元の良い所に就職するには英語が
  必要だ、として勉強するように促しているし、本土よりは現実の場
  で使う機会も多いはずだが、にも関わらず、少なからぬ県民が低所
  得か本土への出稼ぎかを余儀なくされる。

  これは、旧植民地国の国民と旧宗主国の関係と同じだ。沖縄県民が
  救われるのは、日本が外国ではないからにすぎない。

  逆に言えば、英語のできることがさほどメリットにならない社会で
  こそ、英語公用語化による落伍者のことを考えずに済む。たとえば、
  ヨーロッパの小国のような場合だ。

  しかしこれは、日本と英語の関係において可能であろうか?インド
  でさえ出来ない、ヨーロッパ型の”公用語”化が、日本において可
  能であろうか。

  インド型を受け入れる土壌は、日本にはないだろうし・・・



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