ログファイル >>
|
#3051/3100 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 10/10/ 4(Mon.) 19:51 ( 53)
私の楽殻論 一久
★内容
【楽殻論】
「まずカイより始めよ」政策によって、燕王はついに楽殻を得た。
その楽殻が大国・斉の最後の二城を落城させ得なかったのはなぜか?
出来なかったのか、しなかったのか、しなかったとすればなぜか?
有名な楽殻論である。
私もまた、これを論じてみよう。
【戦後の布石】
私の楽殻論は、極めて単純明快なものである。
楽殻は、斉を併呑したあとの対外戦略を考えていたのだ。そのために
二城を落とすまでに数年の時間を”掛けなければならなかった”のだ。
説明:
斉は秦に比肩する大国であった。燕もまた、斉と闘うために楽殻によって
強大な国に成長した国である。
この二国が合併したとなれば、他国の多大な脅威となる。
しかも、斉は楽殻との戦いによって軍事・経済ともに疲弊した。燕もまた
財政的・軍事的に消耗している。
それはつまり、他の五大国による介入を招きやすいという事態を意味する。
他国から見れば、斉を併呑した燕が戦争の損害から回復し強大化する前に、
疲弊した状態のときに叩いておくべきだ、と考えるに違いない。
斉・燕の国力が回復していれば、五大国が襲ってきても跳ね返すことがで
きる。そもそも、健全な状態の斉・燕に対して侵攻するほどの結束を五大
国は持っていない。それができるのは、ほかならぬ楽殻ぐらいであろう。
だが、疲弊した状態で合併した斉・燕になら、団結せずとも各個に侵略す
ることはできる。燕はともかく、旧・斉の土地は守りきれない。
楽殻が二城を落とさず、時間を稼いだのは、その間に斉の農地を回復し、
斉の国力を充実させる為であった。
この楽殻の政策は、楽殻が去ったのち、斉側の失地回復行動のさいに力を
発揮する。皮肉にもそれは、燕軍をあっというまに駆逐するという結果を
もって。
斉王が城で孤立している間に、楽殻によって斉の国力はそこまで回復して
いたのである。
[ ( タイトル一覧#3032-3051 | メッセージ#3050 ) 前 << 昇順 >> 次 ( メッセージ#3052 | タイトル一覧#3052-3071 ) ]