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#321/400 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 02/ 6/19(Wed.) 22:15 ( 64)
見えざる神の手 一久
★内容
見えざる神の手によって、自由競争のあるところでは、
市場は健全な方向へ収束していく。
有名言葉であるが、現実に自由な競争とはなにかといえば、
それは新規参入者の存在が可能になっているということで
あろう。
ぼろ儲けしているところがあれば、よその人間がやってき
て、同じことを始める。結果、値段が安くなる。
本来、利益があるはずの事業が赤字であれば、よその人間
がやってきて改良された方法を使って利益を挙げる。結果、
古い企業はつぶれるか、事業改善することになる。
さて、銀行であるが、、、、、
銀行もまた、新規参入する銀行があれば、見えざる神の手
によって、事態は収束することになる。
いまや、コンビニでATMが使えるのだ。銀行を立ち上げる
のに、たいした手間も資金も必要ではあるまい。
リストラされた金融関係者が中心になって、新規銀行を作れ
ばよい。
全国の低金利に怒れる国民から預金を集めればよいのだ。
不良債権を持っていないぶんだけでも、既存の銀行よりも有
利であるはずだ。
このような新規参入があれば、既存の銀行も、もっと危機感
を持つというものだ。
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さらに、この新規銀行に注文を付けるとすれば、
プロテスタンティズムに則った経営を、ということである。
つまり、金儲けのために仕事をするな、世間のために有益な
企業に貸し付け、適正な利潤だけを得るようにせよ、という
ことである。
儲かるなら、なにをしてもいい、というのは近代資本主義で
はない。
適正な利潤以外は認められないのである。
そこからしか、健全な企業経営というものは生まれないもの
だからである。
その資本主義の精神の砦こそが、バンカーなのである。
バンカーが儲かる為にならなんでもする、という状態になれ
ば、資本主義は死ぬ。
企業に投資するよりも、サラ金に貸したり、昔なら土地転がし
をすればよい、ということになるからだ。
司馬遼太郎は、オイルショック後の地価下落のとき、こう言った。
物を作って売るのが資本主義であり、土地の値上がりで赤字を
埋める、などというのは、なに主義でもないのである、と。
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