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#362/400 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 02/ 8/ 1(Thu.) 22:36 ( 76)
社会主義の教訓 一久
★内容
社会主義の教訓
社会主義の残した最大の教訓は、新しいものは人知の外にある、
ということである。
いかなる優秀な集団も、合議によって新しいものを作ることはできない。
合議がもたらす正当な結論とは、つねに陳腐なものであるということだ
ということもできる。
だが、そうであるからこそ、国家のような、ただひとつしかないものを動
かす行為の場合には、合議制こそが尊重されなければならない。
国家を天才の恣意に任せれば、大成功することもあるが、大失敗する
危険も大きいからである。
いや、それ以前の問題として、誰が天才かを計る方法がない。
その結果、独裁を甘受する国家においては、権力闘争に秀でた人間が
国家運営の才能の有る無しに関わらず、政権の座につくことになるし、
そこに至るまでに、激烈な暗闘が繰り返されることになるのである。
つまり、国家に天才を招くことは、不可能なことなのである。
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天才のいるべき場所は、政権の中ではなく、自由競争の市場の中である。
ここにおいて、己の能力と才能をフルに使い、その天分をいかんなく発揮
すればよい。
この過程において、自称天才は淘汰され、真に市場が求める人間だけが
天才であることを実績によって示すことができる。
人知の外にあるものは、「自由競争の庭」においてしか見つけることはで
きないのである。
為政者は、自分達の考えの外に、自分達を超越する人々が現れることを
予見して政策を建てねばならない。
常に、自分達を上回る何者かがいることを創造できなければならないの
である。
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昔、SIMINの討論で、こんなことを言った人がいた。
「 自分は想像力が乏しいが、その自分が考えても、あなたのいうようなこ
とは想像しがたい」 と。
ヘンな言い分である。
想像力に強烈な自信を持っている人が、「想像しがたい」というのであれば
まだ意味が通じるのだが。
想像力が乏しい人が想像できないとしても、それは単にその人の想像力が
乏しいだけのことだろう。
しかし、あるいはこれで正しいのかもしれないのだ。
もしも、本当に想像力豊かな人であれば、自分が想像できないからといって、
その物事が想像不可能なものだとは、思わないはずだからである。
真に想像力豊かな人は、自分には想像できないことを想像できる人間が存
在することを、想像してしまうからである。
逆に、自分が想像できないことを以て、他人も同様であろうと考える人間は、
たしかに想像力が貧困な人間であるというべきなのだろう。
為政者は、このことをよく腹に納めていなければならない。
自分達に想像できないことを想像する何者かがいるということを。
それらの天才に仕事をさせることこそが、政治家の役目だということを。
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