〜*〜  本会議場 市民の討論広場 メイン会場  〜*〜

ログファイル >> 最新へもどる | 3101-3200 | 3001-3100 | 2901-3000 | 2801-2900 | 2701-2800 | 2601-2700 | 2501-2600 | 2401-2500 | 2301-2400 | 2201-2300 | 2101-2200 | 2001-2100 | 1901-2000 | 1801-1900 | 1701-1800 | 1601-1700 | 1501-1600 | 1401-1500 | 1301-1400 | 1201-1300 | 1101-1200 | 1001-1100 | 901-1000 | 801-900 | 701-800 | 601-700 | 501-600 | 401-500 | 301-400 | 201-300
[ 検索(RT) ] [ タイトル一覧 最新 | 最初 ] [ メッセージ(総数: 100) 最新 | 最初 ]

#421/500 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/10/ 3(Thu.)  21:43  (106)
我もし首相なりせば     一久
★内容
我もし首相なりせば

 現実的ではない大言壮語ではなく、今の小泉氏ぐらいの影響力
 しかない首相であると仮定してのもの。

 だから、いつも私が言っているような、「札束の大量印刷」や「国民
 マンションの建設」などというものは対象外とする。

 さて、そうすると、なにができるだろうか?

 まずは、これも以前から述べているが、電子情報による教育システム
 の構築がある。これは金がかからないので、そのまま実現できよう。

 デジタルビデオによる高等教育ビデオの制作、パソコンソフトによる練
 習問題とその解説、そして、これらと連動した国家試験による単位認定。


 これだけでも、実は大変な効果があると私は思っている。

 というのは、これによって、誰もが学びたいことを自由に学ぶことがで
 きるようになる。

 これは単に、教育問題の解決を意味するだけではない。

 教育にかかる費用が大幅に減るので、可処分所得を増やす結果にもなる。

 それでは教育産業が打撃を受けることになるかというと、そうでもない。

 教育産業は、ビデオ・パソコンを超えた、より実践的な教育機関として
 生まれ変われば良いのである。

 日本においては、学校で習ったことは実践で役にたたないものだ、という
 変な「常識」がある。

 それを修正するべきときが来たのである。 現にアメリカの専門学校な
 どは、徹底したプロ養成機関となっている。
 
 そのかわり、大学も専門学校も、結構な大金を授業料として要求している。

 教育にかかる費用が軽減される、と上に述べたが、このような即戦力の
 実践的教育はその範疇にはない。

 実践せねばならないということは、電子情報による教育は不可能である
 からだ。

 ただし、このような実践教育を受ける為の投資は、即、収入につながる
 のであるから、一般的な教育費とは別物と考えるべきであろう。

 また、そうでない教育機関は、淘汰されることになるだろう。日本の大学も
 専門学校も、即実践の人材を育てることを要求されるようになるのである。

 そのさい、電子情報による教育システムを上手に活用するということが考
 えられる。

 つまり、実践課程にいたるまでの基礎学習は、電子情報システムで取得す
 ることを入学条件に指定するのである。

 例えば、航空工学科に入学する者は、入学時点ですでに航空工学に関する
 諸学問をマスターしていなければならない。

 その知識を持った者だけが、実践的な教育を大学で受けることになるのである。
 当然、大学で居眠りしているようなヒマはない。


 誰もが学びたいことを自由に学べるようになると、個々人のアイディアが社会
 に湧出しやすくなる。

 いまでも、誰でも学ぶことができるではないか、というかもしれないが、その敷
 居は決して低くない。

 航空工学の本は大きな書店にいけば売っているが、さて、誰にも教わらずに
 あの内容を理解することは容易なことであろうか?

 学生達は教授に教わりながら、四苦八苦しながら学んでいるというのに、それ
 と同じ内容を、師匠も持たない社会人が限られた時間で消化できるというので
 あろうか。

 あるいは、社会人を止めて大学に入り直せ、とでもいうのであろうか?

 このように、現実の社会は、今だ坂本龍馬のいうような「誰もが学びたいことを
 学べる社会」ではないのだ。

 だが、学問の電子情報化はそれを現実のものにすることができる。我々はその
 理想社会をすでに間合いに捕らえているのである。

 菓子折りなどを持って、大学の教授に個人的に教わりにいく、という行為は、多
 くの起業家がやってきたことである。

 しかし、このような行為は、一部の余裕のある人間にしかできない。一般人もマ
 ネをすれば、教授のほうが身が持たないだろうし。

 しかし、ビデオ教材の充実は、誰もがそれに近いことができるようになる、という
 ことを意味する。

 竹ひご細工の職人の見習いが、航空工学をかじって、竹ひご飛行機を作る、な
 んてことも、可能になるのである。

 天才は、どこに現れるか、誰にも予測できない。

 しかし、天才が現れたとき、それに応え得る社会を整備することならできる。

 これを、「人事を尽くして、天才を待つ」という。
 

 



[ ( タイトル一覧#402-421 | メッセージ#420 ) 前 << 昇順 >> 次 ( メッセージ#422 | タイトル一覧#422-441 ) ]

番号またはコマンド=