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#461/500 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  02/10/30(Wed.)  20:40  ( 61)
市場原理を     一久
★内容
銀行国有化

 銀行を実質国有化して、銀行経営者の経営責任を問うという姿勢
 は理解できないではない。

 しかし、その結果、現在の銀行家よりも官僚的な人間が経営者に
 なり、より日本経済を悪化させる可能性が強い。

 国家に管理された銀行に、進取の気概を望むことは不可能だから
 である。

 ではどうすればよいのかというと、市場原理を働かせればよいので
 ある。

 市場原理とは、成績のいい銀行には預金が集まり、悪い銀行から
 は預金者が逃げ出すという状態をいう。

 いまでも自由ではないか、などと寝言を言ってもらっては困る。

 現在、預金者の銀行選択権は、ないに等しい。

 選択権がある、ということは、新規参入する銀行が常にあり、既存の
 銀行がおかしなことをすれば、新規に参入した銀行によって淘汰され
 るという状態を意味するからである。

 たんに既存の銀行間で預金を動かせるということだけでは、自由が
 あるとはいえないのである。

 これが有名な「みえざる神の手」というやつである。

 みえざる神の手は、企業をほったらかしにしていれば自然に作動す
 るものではない。

 常に細心の注意を払い、新規参入が可能な状態を維持するべく、政
 治介入をしなければ、たちまち働かなくなるものなのである。

 というのは、自由には、他人の自由を排除し、自分が得た既得権を
 独占しようとする本能が内包されているからである。

 現在、都市銀行の業務に対して、新規参入がないのも、既存の銀行
 がグルになって、それを阻止しているからである。

 もしも新規参入しようなどという企業があれば、たちまちその企業に
 融資している銀行から圧力がかかることは誰にでも容易に想像できる。

 ゆえに、銀行というものには、市場原理が働かない。

 だから、預金者には自由がない。

 自由のないものには、自己責任なんぞあるわけもない。

 選択の自由がない状態でなした選択に、責任を問われる理由はない。

 なのに、自己責任で金融機関を選べという。 あきれ返ってしまう。

 自己責任をいうのであれば、政府が出資して新規参入する銀行を作
 ってみる必要がある。

 そうやって市場原理が働く環境を整えたのち、はじめて自己責任を預
 金者に問うことができるのである。



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