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#657/700 本会議場 市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********) 03/ 6/20(Fri.) 21:54 ( 42)
小泉流 ? 一久
★内容
例によって、マスコミに登場する無責任な人士は、あいまいだの
まる投げだの、先送りだのと言っているようだが、現実の政治とい
うものは、リスクやコストや反発が常にあるものなのだから、漫画
の主人公みたく、バッサバッサと悪を切るという訳にはいかない。
小泉氏の判断が実りあるものになるかどうかは、これからの世論
にかかっているのであるが、さて、これらのマスコミ雀たちにその自
覚があるのかどうか。
「抜け穴だらけ」「実効のないもの」に、するもしないも、マスコミと
世論の監視の強度と正しさによって決まる。最大の責任はマスコミ
にこそある、ということを認識しているようには思えないのだが。
小泉氏への責任感の無さ、「人ごとみたい」という批判、それはそ
のまま、マスコミ関係者にも言えることであろう。
明治日本は、いわゆる勤皇の志士たちが国政を操るべく作られた
組織であった。志士たちが生き残っているうちはそれでも良かったの
だが、彼らが死に絶えると、誰が責任者か判らなくなってしまった。
国家中枢の狂牛病みたいなものだ。
天皇は立憲君主制の建前から実権を要求しなかった。
薩摩・長州の旧軍閥は有名無実となった。
議会は形骸にすぎない。
どこにも、真に国家を代表し責任を負う者はいなくなってしまったのだ。
かろうじて、その任を意識したもの、それが軍人であった。
現代の日本には、それさえもない。
自衛隊員が226事件の再発を計画することはあり得ない。彼らは旧
軍人とは違って、国家を担うエリートとしての任務を与えられていないか
らである。
日本がどうなろうとも、それは政治家と国民の責任。我々は戦えと言わ
れれば戦うだけ。それが文民統制というものであり、文官に威張られるの
はシャクだけど、いっそ気楽というものだ。
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