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#767/800 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  03/ 9/22(Mon.)  19:52  ( 90)
北朝鮮と戦前の日本の違い     一久
★内容
北朝鮮と戦前の日本の違い

 君主制という点では似ているといえないこともないが、それで
いえばオランダもイギリスも北朝鮮と似ていることになる。

もっとも、北朝鮮は民主主義人民共和国であって、君主制国家
ではないはずなのであるが。。。。。

 社会的に言えば、北朝鮮は絶対君主制の国であり、戦前の日
本は立憲君主制の国であるという違いがある。

 立憲君主制においては、政府の決定に君主は逆らえないが、
政府が決定能力を持たない場合には、君主が決定をする義務を
持つ。

 東条内閣が開戦を決定したことに対してそれを拒否する権利は
立憲君主にはない。

 逆に、終戦のときのように政府が継続か降伏かを決められない
ときには君主が決める義務がある。ゆえに「止めたらどうか」とい
う昭和天皇の言によって降伏が決定された。

 このように、政府が機能している限り、君主は飾り物になっている
のが立憲君主制というものであり、実権は政府にある。

ゆえに、明治以来の日本は、この制度のもとで立憲政治をし、大正
期にはデモクラシーの興隆をみたのであった。

この点を評価したからこそ、戰後、米軍は日本に軍政を布かず、自
主再建を決定したのである。

これに対して、韓国・朝鮮 に対する米軍の感覚はまるで違っていた。

 コーンパイプ一本で厚木に降り立ったマッカーサーとは対照的に、
米軍は韓国に対して上陸作戦を敢行したのである。

 立憲政治のもと、まがりなりにも国家を運営してきた日本政府は信
用できるが、それを自前で持たなかった韓国・朝鮮の民は信用できな
かったのである。

 ずいぶんと話がずれてしまった。

 立憲君主制では、実質的に政治権力は政府が握っているのであって、
君主にあるのではない。従って、天皇自身が諸所の政策を指示するこ
とはほとんどない。

 北朝鮮の金親子がへんな指示を出して混乱を助長させたという話は
よく聞くが、こんなことは立憲君主制のもとではできることではない。

 明治以後はもちろん、徳川時代でも難しいだろう。

 江戸時代の武士道は、主君への忠誠を求める一方で、アホな君主は
「押し込め」て、座敷牢へ強制隠居させることも忠義であるとしていたの
であるから。

 それ以前の、織田信長や豊臣秀吉あたりならば、北朝鮮の現在と対
比できるかもしれない。晩年の惚けた秀吉とならば、金親子でもいい勝
負になるかも。

 もうひとつの違いは、明治移行の日本は、近代国民国家であり、北朝
鮮は前近代氏姓国家のままであるということだ。

 国家は国民の為にあるという前提のもとに政府が存在するのが近代
国民国家。

 支配者の個人的・血縁的利害が優先するのが前近代的氏姓国家。

 徳川時代は、両者の中間にあったといえよう。水戸黄門の日本外史を
はじめとする歴史観が江戸期を通じて下級武士層を中心に浸透していく
につれて、国民国家の意識が醸造され、幕末から明治期の近代国家へ
の変革を支えていくことになる。

 坂本竜馬のような志士達はみな、天下万民の為という意識のもとに回
天の業に挑んだのである。これに対して、戦国時代の武士にはそのよう
な意識は薄い。

 真田幸村にしても天下万民の為ではなく、自身の意地と名誉の為に戦
ったというべきだろう。

 あの時代に、天下万民の為に戦った武将といえば、竹中半兵衛ぐらい
ではなかろうか。信長を嫌いながらも天下統一のために協力したいとして
秀吉の配下になったのだから。

 このように、江戸時代を通じて、武士の意識は大きく変わっていく。

 春秋の筆法でいえば、水戸黄門よくぞ日本を救いけり、というところか。

 現代人は水戸黄門を正義の味方としてTV番組で讃えているが、この
功績に対する、日本国民の感謝の潜在意識がそうさせるのかもしれない。



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