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#897/900 本会議場  市民の討論広場 メイン会場
★タイトル (********)  04/ 1/12(Mon.)  19:58  ( 89)
革新の急所     一久
★内容
推考中の論文


 シュンペーターの資本主義衰亡論について考えている。

 シュンペーターは、資本主義が進むにつれて大企業化し、官僚化
 するとしている。

 が、現実には、逆に小企業が大企業を打ち破る例も少なくない。

 これは小企業が、大企業の見逃していたアイディアを実現する
 ことによって起こる現象である。

 だから、資本主義がもっと進み、予見性が高まれば、もはや大企
 業が新しいアイディアを見逃すことはなくなるはずである。

 そうなれば、シュンペーターの言うとおりになるだろう。

 しかし、本当にそうなるのだろうか?

 シュンペーターのいう「企業者」が、合理的な動機によって起業する
 のであればその通りなのであるが、そうでなかったらどうだろう。

 企業者は、目的合理性を持っていなければならない。

 がしかし、目的自体は合理的でないということは有り得ないのだろうか?

 例えば、明治の日本人は、日本を富国強兵の国にしようとしたが、
 それは世界的にみれば、合理的な考えだとは言えないのではないか。

 もしも、合理的な考えをするならば、日本は絹織物だの金だの銀だの、
 比較優位にあるものの生産に特化すべきだ、となるべきはずだ。

 ところが、資源もなにもないくせに、日本は鉄鋼や鉄道、造船、軍需
 産業、紡績等を発展させた。

 これはまったく、合理的ではないではないか。

 しかし、この非合理的な欲求あればこそ、今日の日本があるのである。

 そうすると、ここで奇妙な推論が成り立つことになる。

 資本主義の担い手たる「企業者」の資質に、新たな条件を加えなけれ
 ばならないようだ。

 それは、企業者たるもの、合理的でない(と他人に思われるような)目的
 もしくは動機を持っていなければならない、とうことである。

 そのような非合理的な動機こそが革新の真の原動力なのである。

 この条件を企業者が満たすかぎり、シュンペーターのいうような衰亡は
 起こらない。

 なぜならば、合理的でない動機を持ったものは、大企業に受け入れられ
 ることはないし、自らも近づかないからである。

 もしも、大企業がこのような非合理的なアイディアを受け入れるようになれ
 ば、その大企業の内部において無限大の起業がなされることになる。

 それは、共産主義そのものである。


 ウェーバーのいう資本主義の精神は、

 1、 労働そのものを目的とし、救済の手段として尊重する精神

 2、 目的合理的な精神

 3、 利子・利潤を倫理的に正当化する精神

 である。そして、

 シュンペーターがいう革新者たる企業者は、それに加えて、

 「非合理的な動機」

 を必要とするのである。 というのが私の結論である。

 経済に限らず、すべての革新は非合理的な動機を原動力にしている。

 いや、革新だけではなく、すべての人間社会の出来事は、これを核に
 しているように思える。

 劉備が曹操よりも人気があるのは、非合理的動機の部分において、
 劉備のほうが曹操よりも気高いからである。

 無冠の劉邦が絶大な人気を持っていたのも、そのあっけらかんとした
 非合理性にある。



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