夜空に踊るは古鏡の月。籠の中の数匹の通火が、《通火の塔》の一室を仄かに照らしていた。
「シャミアナよ」
通火座の老魔道師アイゼルは言った。
「おまえは我が元でよく学んだ。今宵からはこれらの書を貸そう」
老人が差し出したのは一冊の魔道書。朱い上代語に薄青の装丁。辺りに漂う魔力の気。
「これは‥‥『ア・ルア・イーの魔道書』ですか、お師匠様?」
見習い魔道師シャミアナは目を大きく見開いた。通火の仄かな光が、彼女の多彩の瞳を照らし出す。
前に幾度か師匠の言い付けで赴いた大書庫の禁裏。封印の獅子の守る八弦琴の五段に、この異端の書の数々は並んでいた。
「色星の巡りに比べれば、人の子の一生など短い。我が瞳もさすがに衰えた。
だがシャミアナよ、そなたには未来がある。未来を見通せし万色の瞳を備えたそなたならば、この書に記されし真実を見通せよう。数々の知識も我が物とできよう」
アイゼルの前髪に混じる金色の一房は変わらない。だが、老人の髪には白いものが多くなっていた。
老魔道師は魔道書を差し出し、シャミアナは受け取った。彼女の指が、表紙に記された謎の上代語をなぞる。
「‥‥前から、不思議に思っていたのです。“人の心に夢を。彼方の世界に翼を。”。お師匠様、表紙に刻まれたこのことばはいったい何を‥‥?」
「その書に封ぜられし呪文の鍵よ」
アイゼルは言った。
「夢を見る力を持つ者がその書を開く時、その者の心は深淵を抜け、龍と夢魔たちの戦場をも抜け、遥かな彼方までも辿り着けるとも言う。そなたならば、できるはず」
窓から差し込む星明かり。十二とひとつの星座の光を吸い込み、見る間に魔道書は輝き始めた。
「今宵は八弦琴の聖刻の時。不思議な事が起こることもあろう。今こそ約定の時。星の力は満ちた」
万色の光を宿すシャミアナの瞳に、魔道書の放つ輝きが混じる。彼女はしばしためらい、師匠の顔を一度だけ見返した。
老魔道師は弟子を慈しむように微笑んだ。
「星々がわれらを導いて下さる。さあ、開きなさい」
シャミアナは頷くと、魔道書を開いた。
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