贔屓のひきたおし
                       
2006年09月18日 

第17回頒布
ボーリング
 この3年、ボーリングにはまっています。
年をとってから激しい運動はちょっとためらわれて久しぶりに近くのボーリング場に行ってシューズを買ってから
はまってしまいました。  始めたころはこんなにはまるとは想像できないほどの力の入れよう。
なかなか奥が深くって、しかも簡単にゲームが出来てなお且つ有酸素運動。 3ゲームほどで結構な汗をかきます。
ただ、右利きの場合だと左足と右腕に結構負担がかかります。
 始めてから3ヶ月ほどでマイボールを作り、もう4年目に入ります。
 
マイボール1号        2号で10ピンスペア用   3号ボール           現ボール4号
1号は海王星  スペア用は水の惑星  3号は火星  4号は木星 のイメージです。


第16回頒布
KittyのRoom
 妹家族と義理の弟夫婦がKittyの根付にはまっていた。たまたま土産にしたら大変喜んでくれた。旅行先の何処にでも売っておりその地その地の名物のkittyのコスプレと言う物でしょうか。さいさいKIoskなどで見てしまい買ってしまう。500円前後という価格でついつい買ってしまう。完全にサンリオの戦術にはまってしまいました。

第15回頒布
盆おどり 柏野じょんがらと珠洲ちょんがり
 今年の夏休みはおやじの初盆でもあり大阪に戻った。その帰り東京に戻るついでに前々から言ってみたかった能登へ行くことにした。大阪から能登の珠洲までの間に松任で一泊。そういえばここには大学時代からの友達が居て、ずっと年賀状のやり取りが続いてる。竹中さんが住んでいる。電話帳をみるが松任市がでて来ない。近くの店員さんに聞くと松任はいまは合併されて白山市になっているとの事でした。で28年ぶりの再会を果たすことが出来ました。
 再会の前夜たまたま立ち寄った柏野じょんがら。なかなか楽しく変わった踊りでいでたちもいろいろと凝っている。また、この唄のとても面白く。歌い手の声もすごくよい。いっぺんに気に入ってしまった。じょんがらといえば津軽じょんがら節を思い起こします 
が、「じょんがら」というのは2拍子5音階のことらしい。来年も機会があれば来て見たく出来れば踊りたい。
 もうひとつの珠洲ちょんがりはというと、能登の最北端の町狼煙で民宿を探していると盆踊りの準備をしていた。今日あるのかと止まってみるとちょうどその前が目的の民宿であった。8時から盆踊り大会があるとのことで、メシを食べてでてみるとまちの人が
バラバラとでてきた。踊りはとても簡単。すこし江州音頭に似ている。 ここはせっかくの盆踊り。楽しませていただきました。
「ちょんがり」というのは浪花節の意味。河内音頭ももともとは浪花節と江洲音頭がルーツ。で・・・この珠洲ちょんがりがひっとして
もともとのルーツだったのかなぁーなんて想いをめぐらせてしまいました。


第14回頒布
盆おどり 河内音頭
「テンテケテ、テンテンテ・・♪河内音頭と申しますぅ〜♪」とエレキギターと太鼓と三味線の楽曲が聞こえてくると
ワクワクする。関西生まれの盆踊りといえば河内音頭と江州音頭。河内は関西の南西部。江州は滋賀県。

2つとも味のある節の音頭です。中でも河内音頭はいろいろな音頭があり、聞かせてくれる。
踊りも昭和40年ごろから手踊り(正調)一本だった踊りから豆カチという踊りが流行し、
それまで盆踊りというと日本舞踊を思わせることが多かったがリズムになり跳ね回る踊りが若者の踊りの主流となった。
河内音頭のいいところは阿波踊りと同じように自由に個性のある踊りが表現できることでしょうか。
関西人の自由な発想と目だったろうという意識。豆カチはいろんな表現が出来る。踊りの切り替えしや、くるっと回ったり二人でペアーを組んでダンスのように踊ったり、マンボやツーステップ・・・踊りは多種多様になっている。

東京での盆踊りでなかなか河内音頭をやってくれるところがなく、不満に思っていたがやっと見つけることが出来ました。
JR錦糸町の南口・・丸井の裏側の飲み屋街の道路で立派なやぐらと生バンドの演奏。
東京に居る間はここに通いたい。
 


第13回頒布
釣雑誌 SHIZEN club
仙台の栢A斎堂という出版会社が発行。たまたま仙台出張中にコンビニで買ったのがきっかけ、定期購買も出来るのですが定期購買までもと思い近くの書店で取り寄せてもらった。その後、店頭にならぶようになりほぼ毎月購入。
私の好きなカレイ、アブラメの記事がとても多く。最近の釣雑誌では贔屓のひとつ。



第12回頒布
思い出の旅  30年後の那珂湊&村松虚空尊
 第7回の二十歳の思い出の場所 那珂湊と村松虚空を訪れるてみました。30年前の、淡い記憶を少しずつ拾い集めて美しい田んぼが多いと書く美田多町へ。たくさんの手紙のやり取りをしていたので住所を実際に書いてみるとどこかに感触が残っていました。2年前には思い出せなかったのですが今は美田多に住んでいたんだと確信を持っています。

 車で中根駅を訪問いたしました。近くの最寄り駅は小さな駅でした。田んぼの中にぽつんと駅があり、何故かほっとさせる風景です。

そこから美田多の町へ・・・一度だけ、30年前に阿字ヶ浦へ海水浴に行くために勝田の駅で待ち合わせをし、何かの忘れ物があり自宅に戻った時に見た家の記憶を頼りに探しましたが、やはり予想通りでまったくもってわかりませんでした。

 田舎だからすぐに分かるとタカをくくっていたのですが・・・確信があった美田多だったが「やっぱり美田多ではなかったのか」とあきらめかけていました。
ちょうど通りかかりの方にお聞きすることが出来てこのあたりにとお伺いすると「ここがご実家ですよ、○○に嫁がれたよ」と教えていただいたときはやっと見つけたといううれしさと安堵の気持ちで一杯した。
嫁ぎ先が良く聞き取れなかったのが残念でしたが・・・

ちょうど弟さんがお見えになられ、すごい懐かしさのあまりに訪ねてみましたと・・ 「お元気でしょうか。」ということのみをお聞きし手紙を託して離れることとしました。 弟さんには一度だけしかお会いしていないのですがあの時に自己紹介した在学中の大学名まで覚えて居てくれたのは少しうれしく感じたのと、なにかとても「消失感」を感じてしまいました。  
 
 その後阿字ヶ浦にとも思ったのですが一度車で走りながら風景を見たこともあり、よりもっと思い出の地の村松さんのほうへ行ってみることにいたしました。あの時は村松の虚空さんの規模も謂れもぜんぜん興味がなかったのですが境内に近づくと、「へぇーー、こんなに大きくって立派だったんだ」「こんないわれがあったんだ」・・私は何も見ていなかった。こんな大きなものも見逃していたということ・・・このころは彼女のことだけしか見ていなかったのでしょうね。
境内に入り本殿にお参りし30年前に引いたおみくじがありました。あの時は「大吉」だったが、今回はどうだろうと思い引いてみることとした。43番!なんと今回も「大吉」でした。

 奥にある神社(茨城のお伊勢さん)の渡り廊下をくぐると(これはくぐった記憶がある)村松海岸へという看板があり細い道がありそこを抜けると松林と白い砂浜を思い浮かべていたが、残念ながら大きな実験施設の建設中で工事のフェンスが無常に張られていた。なんかとてもさびしい気持ちになってしまいました。あと、3年後には完成するのでしょうがあのときの村松海岸ではなくなっているのは確かのようです。


30年という時間の流れは人も田舎の風景すらもかえようとしている。
 


第11回頒布
しじみラーメン
2002年に青森の津軽半島へ旅したときに十三湖の海岸沿いを走っていた。ちょうど昼時でおなかの虫が餌を要求しだした。沿道の看板にシジミラーメンという看板が目に入り何気なく立ち寄った。道路わきによくある土産店のようなドライブインのような一杯飯屋のような店で、よした方がよかったかなと思ったが、あまりの珍しさに、しかもシジミは嫌いでもないので物は試しと思い食べてみることとした。注文をして出てきたラーメンを一見したときは「あー、失敗した。」って思ってしまいました。
ほぼ透明の出汁で細めんの上にシジミが沢山乗せられて出てきました。あーあ、と思いつつスープをのんだ瞬間にその思いが吹き飛びました。細麺とスープもあっており、いままでいろいろ食べてきたラーメンの中でもっとも美味しいラーメンのひとつになりました。津軽半島の日本海側にある十三湖へ行かれたときはぜひご賞味ください。写真はありません。撮ってきたらよかった。

第10回頒布
ガイド本2

九州在住の折には釣春秋社の「近郊釣り場ガイド」シリーズを重宝させていただいた。
こちらへ着てからいろいろと見ましたがこの一冊がわたしの関東でのガイド本となりそうです。
「磯・投げ情報」社から出ている茨城〜福島-常磐道の釣り場ガイドです。

カレイ好きの私としてはどうしても湘南方面よりも茨城方向へ向かってしまいます。
釣もの、ポイント、投げ釣ではやはり必要な根やしもりの位置が書かれており、
トイレやパーキングの情報、投げ釣ターゲット別にベスト10の釣り場。
と情報が満載です。私には大事な一冊になりそうです。
価格は1500円、ちょっと高い目ですが価値ある1冊です。





第9回頒布
OUT DOORに欠かせないTOOL MICRA
 5年前にアメリカから研修に来た同年代の技術者とひょんなことから親しくなった。半年の研修期間だった。言葉はなかなか分かり合えなかったけど、どこかで分かり合えていた。生年月日も同じで体系もよく似ている。異国の地でなんとなく親近感を持っていただいたようだった。別れの日に私がOUT DOORが好きなことを知っていたようでLEATHERMANのMICRAをいただいた。ちょうどキーホルダーとして邪魔にならないサイズでとても使いやすい。特にはさみとナイフはいろいろと重宝しました。後になってOUT DOORの関連のSHOPで見てみると結構いい価格をつけていた。
値段のことを言うといやらしいのですがひょっとしてこの文章をみて購入したいと言う方が居ればと思い価格を記入してみた。インターネットで購入するNET購入は4200円が最低でしたが輸送費等が500円から700円ほどかかるようです。後、MONT-BELLでは5600円で販売していた。最近カラー版も出ていて店によっては7000円位の価格が付いているところもあるようです。
 また、BOUKEN CLUBから同じような形のものが2千数百円で出ていました。形はまるで異なりますが同等の用途のものがPOCKET FACTORYというものも2千数百円で販売されている。こちらははさみの機能がかなり弱いように思えるがプラスドライバが付いている。しかしやはり機能はMICRAがなんたって上でしょう。
 
LEATHERMANのMICRA

第8回頒布
とても面白いホームページ
最近、「あっ、こいつらおもしろいな!」と思うページを発見しました。「こいつら」って言って、もし作者の方が見られていたら決してさげすんだつもりではないことをお許しください。「この人たち」って書くよりもこちらの表現を使ったほうが自然だと思ったからです・・
なかなか良いページだなぁーというのは見つけられない昨今、textが中心ですがとてもひきつけられるページです。
 そのページは「松島漁業組合 」と「ドルフィンキック」の2つのページです。
2人は友人関係でいつも連れ持っている「ダチ」という関係なのでしょうか。たまたま海釣にのめりこみ、インターネットにのめりこみ、この2人と周りの友人との会話、日常がとてもユーモラスで知的にtext文中心で紹介されています。特に松漁の「釣果報告」は仲間と丁々発止と遣り合っているさまが目に浮かんできます。また、ドルフィンキックのtextに紹介されている短編物のなかには心から笑えるストリーがあり、思わずにっこりとさせられます。一度、訪問してみてください。


第7回頒布
茨城県 那珂川 那珂湊
遠い遠い昔のLove Story   〜20歳のめぐり逢い、そして22才の別れ〜

 そう、茨城にも那珂川があったんや。決して忘れていた訳でもない、福岡で那珂川で遊んでいたときにも時々思い出していた。でもそれはどうってことなかったのに、関東に来てからなにか縺れていた糸が解けていくように、深い記憶の底から次々と思い出が湧き出してくる。関西に居たとき、福岡に居たときにもそれほどおもいださなかったのに・・
ただ、ただ、距離が近くになったというだけで思い出してしまうものなのでしょうか。


20歳のめぐり逢い

 大学3年生のとき茨城で就職した友人が2人の女性から京都の案内を頼まれた。(頼まれたといっているが奴のことだからかなり強引に頼んだのではと思っている・・)2人の名前は確かK沢さんとC恵子さん。2人は今はもうなくなってしまった千○田生命の水戸のオフィスに勤務していた。京都の何処を案内したかは良くは覚えていてない・・多分銀閣寺あたりから詩仙堂を案内したのだろうか? お寺の名前を聞いてはその場所まで案内した。この写真は何処だったかなぁー?  多分、東山あたりのお寺で彼女が友人のK沢さんと僕の友人と僕を撮影してくれたもの。  そのときはたいして意識はしていなかった。少し天然パーマがかかった髪にポニーテールがとても似合うチャーミングでとても明るい人だなぁーっという印象でした。まさか僕みたいな3流私立大学の貧乏学生には興味を持ってもらえないだろうと思っていた。でも、2日間の案内で一緒に撮った写真を送るから住所をということから手紙のやり取りが始まった。 −−−何通も何通も手紙のやり取りをしていたはずなのに・・・何十回と住所を書いたのにその住所が今ははっきりと思い出せない。他の事は思い出すことができるのに!

 那珂郡那珂町額田南郷???  いや那珂湊市磯崎??? それとも那珂湊市美多田??

地図で処名を見ているとすべて正解のような気がしてくる。思い出そうとすればするほど判らなくなる。額田、磯崎という地名と久慈川が好きという言葉が断片的に残っている。やはり思い出せない。


  そして昭和51年のゴールデンウィーク、2回目の再会となった。
3泊4日で友人と旅すると言って一人で奈良に来てくれた。飛鳥路と春日・東大寺を旅をした。少しでも一緒に居たかった。楽しい刻は早く進むのは世の常。4日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。覚えているのは飛鳥のヒナゲシ畑と2月堂の裏道。姉の家にとめてもらった事。清く正しく別々の部屋でした。


 3度目のデートは僕が茨城・那珂湊の友人の寮に泊まりに行った。無料の宿を確保して夏休みのバイトが終わり8月20日あたりから数日間滞在した。大阪-茨城間の往復切符を買い、帰りは東京駅での所持金がもう数十円しかなかった。それでアンパンと牛乳を買いポケットの中には10円しか残っていなかった。大垣行きまでの夜間鈍行でその後快速網干行きの列車で大阪に帰ってきた。本当に貧乏な旅だった。

  彼女は車の免許を取っていた。「今日のために頑張って車の免許をとったのよ。」  (勝手にそう思ったのかも・・・?)っとにっこりと微笑みながら言った台詞が残っている。  クリーム色の中古のサニー(多分)でいろいろと回った。C恵子さんが撮影した海水浴場(私と彼女の弟さんと弟さんの彼女、残念ながら彼女の写っている写真がない)での写真。これが最後の一枚となってしまった。
勝田の夏祭りにも行った。浴衣姿の彼女と一緒に歩いた。仕事を早く終えて彼女の車で村松の虚空さんに行き、おみくじを引いた。大吉のおみくじだったのに・・・2人は手をつないで海へ向かっていた。


このときに行った笠間だったろうかそれとも奈良だっただろうか?多分笠間に間違いないと思う。2人の記念に買った夫婦の湯飲み茶碗、最近に思い出した事は下の第2回頒布の湯のみがそれだった。20年前ではなく26年前のものでした。なぜ大事にしていたかも忘れていた。そしてもうひとつの茶碗はのこっているだろうか ・・・??
 
アルバムのページから出てきた村松の虚空さんでひいたおみくじ 大吉だったが・・・


22歳の別れ
大学4年生の夏、就職活動・・・オイルショックの後遺症がまだ残っていた。東京への就職をと思い東京の会社を何社か受けてはみたがことごとく駄目だった。 那珂湊から帰えり、秋になっても就職はまだ決まって居なかった。いらいらしていた僕。彼女もさびしかったのだろうか・・・? 秋には名古屋で1泊2日の4度目のデート。 名古屋の何処を歩いてまわったのかも覚えていない。  一緒に来た友達の入浴中に彼女が僕の部屋に遊びに来てくれたことと彼女たちの部屋でトランプ遊びをしただけしか覚えていない。

 その後も就職はなかなか決まらなかった、いろいろと気づかってくれた彼女の気持ちなど解ろうとせず、いらだちと焦りが僕をわがままにしていた。結婚のことも考えた。考えた末に冬の夜に「さよなら」っと電話口で言ってしまった・・・・。
そして22歳の誕生日を迎えた。
卒業式がおわった1週間後に大阪で就職がきまっていた。何故かうれしさがなかった。

なぜ、こんなに断片的ながら鮮明に思いだしたんだろう?  50才前の今になって・・・薄れゆく記憶が「忘れないで!」ってまるで言ってるように思える。私の記憶の中でどんどん美化され(当時はもっと性欲もあってどろどろとしていただろうけど)風化されていくのでしょうか。  風化、老いに抵抗している私が今ここに居る。




第6回頒布
福岡市 那珂川
  この川では本当に2年間楽しませていただきました。
バードウォッチにブラックバス釣り、休みのときの散歩と
仕事で疲れたときのリフレッシュには最高でした。もう疲れて
へとへとの時はベランダから釣り人や犬の散歩や
白鷺や鴨やムクドリ、かわせみ、もずを見ているだけ楽しかった。
夏にも川風が吹いてきて暑さを緩めてくれたし・・ 
護岸工事での治水も大事だと思いますが自然のまんまの
部分をすこし残しておいてくれると動物や魚たちと川を
共有していけるのに・・・

そんなこんなの2年間でしたが最後に会社の連中と川辺に
咲いている花見をしながらバーベキューを楽しませて
いただきました。





第5回頒布
ガイド本
株式会社 釣春秋から出ている永久保存版 近郊釣り場ガイドマップです。九州の釣り人は
多分必ず1冊は持っているのではないでしょうか。数年前まだ、関西から嫁の里の阿久根の
周辺の釣り場を知りたいが為に鹿児島・熊本編を購入しました。昨年、福岡に転勤した折り
に嫁が気を利かせて福岡・北九州篇を、そして今回大分の釣り場を開拓する為に大分・宮崎
編を購入いたしました。それぞれのエリアで道程とポイントとシーズンのターゲットそして餌屋
さんと大事なトイレ情報も有り、重宝しています。このガイド本とGPSがあれば、どこでもOK
ですね。すこし場所によりデータがあっぷDATEされていないところも有りますが問題はない
ですね。関西は空撮の本が有りましたが結構な価格だったと思います。こちらは600円で手
軽で、釣り場の付属情報が満載ですね。






第4回頒布
音楽
秋の夜長です。こんな時に聞きたい曲を今回は選んでみました。秋の夜長一人聴きたい曲ナンバー1はずばり
John Coltraneの「Ballads」というアルバムです。特にカバー曲のSay it(Over and over again)
はお勧めです。サックスの色気をとても感じさせられ秋の夜長にはぴったりの曲です。


ちょっと同じバラードという事にはなっているようですがかなり感じが変わってしまいますが、日本人の浜田省吾にも
一時、とてもはまりました。j−boyはもとても良かったのですがどちらかというと反戦的なメッセージを感じられました
が1983年の「Sand Castle」と1989年の「Wasted tears」はひとりで夜から朝方にかけて車を走らせている時
はいつもフルボリュームに近い音量で聴いていました。「Sand Castle」の「君に会うまでは」に始まり「いつわりの日
々」「愛という名のもとに」「朝のシルエット」とても肩が凝ってくる「片想い」、「陽に当たる場所」最期の「愛しい人へ」
「Wasted tears」では「LONELY−−愛という約束事」、特にこのアルバムで好きな「SILENCE」。仕事が遅く
なり遠方から帰ってきた時にはずっぽりはまってしまいました。一時流行した「BREATHLESS LOVE」。「ロマンス
・ブルー」、クリスマスソングの「MIDNIGHT FLIGHT−−ひとりぼっちのクリスマス・イブ」、SAND CASTLEの
片想いより重い「傷心」、カラオケソングの「もうひとつの土曜日」、疲れ果てた時にきくと共感してしまう「防波堤の
上」。この2枚は濱田省吾の数あるアルバムのなかでとても好きな曲が満載されていてお得な気分です。
濱田省吾のサングラスを取った顔は想像せずに同世代のシンガーの曲を今も車の中で聞いています。



第3回頒布
福岡 春日市の花火大会
大阪に居た頃はlPLや淀川の花火とかが有名でした。福岡に越してきて8月の上旬に大濠公園での花火大会が
あり、ほとんど夏の終わりに春日市の春日公園で開催される。そんなに大きくないのですがこの花火大会が終わる
と、ああ夏も終わるのだなぁという気分になります。まだ、高々2回目ですが・・・。今回はベランダから見える花火を
皆様にプレゼント。


 

第2回頒布
このページの更新がなされていない。
昨年あたりから関西の漁組の一部の連中に焼き物がはやっているらし
い。私もやりたいのだが今は少し時間と土をこねる場所が無い。で、hp作
りやリビング、ご飯の後に出てくる私愛用のお茶の入れ物、そう、湯飲み
茶碗を紹介しましょう。
どうです。なかなかの姿でしょ。中島誠之助さんではないですが「なかなか
良い姿」をしていると思いませんか。この湯飲み茶碗は確か、私が20代前半
に茨城の友人のところへ遊びに行った時に笠間か益子へ一緒に行った時
に購入したものと記憶しています。多分笠間のものだと思います。で約20
数年間、割れずにつかっていて愛着が出てきました。




第1回頒布
今、自分が凝っているものや楽しいなぁーと思っているものを紹介しようと思ったがこれがなかなか難しい・・・
「面白いもの・・?」   やっぱ!マンガ!  
で、一発目はマンガでいくか!

      

第1位  一色まこと   花田少年史   
第2位  浦沢直樹・勝鹿北星  MASTER KEATON
第3位  一色まこと   出直しといで! 
第4位  浦沢直樹・工藤かずや  パイナップル ARMY

一色まことのこの2作は推奨ものです。書かれたのはもう10数年前ですが私のお勧めのマンガでありお勧めの作家
です。「出直しといで」は多分ビックコミック系で連載されていました。毎回、楽しみにしていましたが、
途中随分と休みとなったように記憶しています。途中長期の休みでストーリーが忘れた頃に再連載された為に
面白味が半減しましたが、単行本になり一気に読むと森下茜のファンになってしまいました。学園物のラブコメディー
でいわゆる3角関係なのですが、何かすごく自分達の若かりし頃を思い出させてくれて、ほんわかとした気持ちに
させてくれます。 「花田少年史」はその後に書かれたマンガのようで最近に発見しました。
多分、勝手な私の憶測ですが作者が「出直しといで」の執筆中に生死をさまようような事となり長期療養をされた
のではないかと思います。 途中未完の「出直しといで」を書き終え、入院中に暖めたもしくは体験した事を題材にして
この「少年史」が書かれたのではと勝手に推測しています。

ぜひぜひ読んで頂きたいマンガです。悲喜劇の真骨頂ではないでしょうか。笑って、泣いてください。時代は昭和40年
代と50年代前半の田舎の町でしょうか。本当に懐かしい懐かしいおもいがいっぱいです。


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