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1)国土 2)政治・外交 3)経済・財政 4)保健・教育・マスコミ 5)ラオスの歴史 6)ラオス料理(ニャムガイヤーン)の紹介 7)ラオスの気温と降水量 8)ラオス人民民主共和国の位置 前へ戻る Indexへ戻る正式国名 |
ラオス人民民主共和国 Lao People's Democratic Republic(英語) lkmk]tot]afxt-kmyxtw8xt-k-qo]k; (ラオス語)(Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao) |
人口 |
4,975,772 (July 1996) |
国土面積 |
23万6800ku (日本の本州の面積にほぼ相当) |
日本との時差 |
差 -2時間 |
位置 |
タイの北 |
気候 |
熱帯性モンスーン気候。 雨期(5月から11月)、乾期(12月から4月) |
地形 |
大部分は険しい山。平地や高原がいくつかある。 |
言語 |
ラオ語(公用語)、フランス語、英語、さまざまな少数民族の言語 |
通貨 |
キープ(Kip) US$≒2500Kip(Jan 1998) タイ・バーツ、US$も一般に使えていたが、昨年のタイ・バーツ下落によりキープ以外の通貨は使用不可になった。 紙幣1000,500,100,50,20,5,1(Kip) |
首都 |
ビエンチャン(日本語) 44万人 Vientiane(英語) ;P'9ao (ラオス語) |
主要都市 |
ルアン・パパーン、フォンサリー、サワンナケット、パクセ |
主要民族 |
ラオ族 Lao Loum (低地) 68%、ラオ族 Lao Theung (高地) 22%、 ラオ族Lao Soung(山地/ モン族(メオ族) およびヤオ族 (Mien)を含む) 9%、 ベトナム・中国系1% |
主要宗教 |
仏教 95% (小乗仏教) |
寺院総数 |
約2000寺院 |
独立年月日 |
1949年7月19日 (フランスから) 1975年12月2日(社会主義体制移動) |
国連加盟年月 |
1955年12月14日 |
電気 |
220V/50Hz |
住居 |
杭上住居 |
政治 |
人民民主共和制 |
元首 |
大統領ヌハク・プームサワン (NOUHAK PHOUMSAVAN) (1992年11月25日より) |
首相 |
首相カムタイ・シパンドン (Gen. KHAMTAI SIPHANDON) (1991年8月15日より) |
議会 |
一院制。最高人民議会(85議席) |
政党 |
人民革命党 |
外交関係樹立年月 |
1952年6月20日(対日平和条約発効) |
日本から輸入品目月 |
自動車、鉄鋼製品、機械 |
日本へ輸出品目 |
木材 |
領海 |
内陸国 |
憲法 |
1991年8月新憲法制定(80条から成る新憲法を制定した。憲法はマルクス・レーニン主義を掲げた 人民革命党の指導的役割(1党独裁)と社会主義の堅持 を明記し、従来の閣評議会を政府に、最高人民議会を国会にそれ ぞれ改称した。 |
国民総生産(GNP) |
US$348('94)(一人当たり)、GDPの世界ランキング: 151位 |
主要産業 |
国土の42%が森林、国民の90%が農民で国内総生産(GDP)の 60%を農林産物が占める。工業は森林加工業と水力発電で、ナムグム水力発電所が85年全面操業。89年生産は6億9800万キロ ワット時で大部分をタイに輸出。このほか6州で水力発電プロジェクトが進行。 |
計画・重点政策 |
公共投資5カ年計画実施中社会主義経済の建設、食糧自給、国内交通運輸網、流通機構の整備 |
年間人口増加率 |
2.8%出生率45人 死亡率16人 |
出生児平均余命 |
50歳 |
教育制度 |
義務教育年限8年初等教育5年・中等教育(中高等学校)6年 |
成人識字率 |
男性92%、女性76% |
徴兵制 |
あり 兵役は最低18ケ月。総兵力5万5000人 |
軍事費 |
1億0500万ドル、 GDPの 8.1% (92/93年) |
主要機関 |
「カオサン・パテト・ラーオ」(国営)「パサーソン」(党機関誌)など |
放送関係 |
ラジオ10局(AM 10, FM 0, shortwave 0)、テレビ2局 |
13世紀初頭 |
元(1271〜1368)の軍勢に追われて更に南に大移動しいた。その時メコン河に沿って下ったのが現在のラオス人になり、メナム河を下ったのがタイ人となった。 |
14世紀後半 |
スコータイ王国とラーンナー・タイ王国の国威が低下し、ラオ族(タイ族)のもう一つの分派である、メコン河上流のサワー(現在のルアン・プラバーン)の一帯において、シェントーンを形成していた一族の発展が促されるようになる。 |
1353 |
シェントーン王の息子 ファー・グム がシェントーンを基礎としてラーンサーン王国(「百万頭の象」の意)を建国。ちなみに現在、中国語ではラオスの首都・ビエンチャンを「万象」(WanXiang)と表記する。 |
1707-1893 |
ラーンサーン三王国時代 |
1707 |
ラーンサーン王国がヴィエンチャン王国とルアン・プラバーン王国の二王国に分裂 |
1713 |
ヴィエンチャン王国からチャンパー・サック王国が分離、独立 |
1893-1949 |
フランス植民地時代 |
1945.3 |
日本軍がラオスに進駐開始 |
1945.8 |
日本の敗戦で第二次世界大戦が終わる |
1953 |
ラオス王国として独立 |
1954.7 |
ジュネーブ会議で、完全独立と統一を国際的に保障されるが、政情不安定でクーデターと内線がつづく |
1964.4 |
プーマ首相は右派と結び、左派のパテト=ラオとの抗争が始まる |
1945 |
ラオス左派勢力、ラオス愛国戦線(パテト=ラオ)Pathet Laoが結成。通称"自由ラオス"。右派や右派を支援する米軍と戦いつつ農民解放を進めた。 |
1971.2 |
アメリカ軍、ラオス侵攻。ヴェトナム戦争で苦戦していたアメリカ軍は局面打開をねらい、右派の支援と称してラオスに侵攻。内線はヴェトナム戦争の一環となる。 |
1965-73 |
ベトナム戦争---アメリカの侵略に対するベトナムの防衛・解放戦争。南ベトナム解放軍・北ベトナム軍は主に中・ソの支援で善戦。米軍は泥沼化に苦しみ、世界の平和勢力から非難を受ける。68年から平和会談に入り、その途中でラオス・カンボジアにまで戦火が拡大した。 |
1973 |
パリ協定により米軍は撤兵 |
1973.11 |
ラオス愛国戦線が首都ヴィエンチャンを包囲 |
1974 |
プーマ首相と合意し、ラオス民族連合政府を樹立 |
1975 |
ベトナムの支援下に全土を制圧 |
1975.12 |
全国人民代表大会で王政を廃止、ラオス人民民主共和国成立 |
1994.4 |
ラオスとタイにまたがる「タイ・ラオス友好橋」完成 |
1997 |
ASEAN加盟 |
ニャムガイヤーンの材料と作り方(約10人分) | |
材料 |
分量 |
鶏肉 |
3Kg |
レモン |
6個 |
ピーナッツ |
300g |
タイ製チリソース |
200ml |
ネギ |
300g |
タマネギ |
5個 |
ナンプラー(タイ式魚醤油) |
200ml |
パクチー(タイのハーブ) |
200g |
鶏肉をオーブンで焼き薄く切ります。
レモン、ピーナッツ、タイ製チリソース、ネギ、タマネギ、ナンプラー(タイ式魚醤油)で味付けした
タイ式のソースに刻んだパクチー(タイのハーブ)を添えます。
先ほど作ったタイ式のソースに鶏肉を浸し、味がしみれば食べ頃です。
・上記分量は大まかな目安程度です。
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