−法曹養成制度改革の出発点−
われわれ青年法律家協会弁護士学者合同部会は、これまで、わが国の法曹養成制度の根幹をなしてきた司法研修所のあり方について、国民のための司法の担い手である次代の法曹を養成する上での実質的な障害となっている様々な問題点につき、必要な批判と提言を繰り返し行ってきた。
そして現在、司法改革審議会において法曹養成制度、とりわけロースクール構想が具体的に論じられる一方で、司法研修所の姿も大きく変貌し、研修所の内部では本意見書で詳述する深刻で憂慮すべき多くの事態が進行している。
われわれは、現在進行中の司法改革論議も、本来、かかる現状の分析に基づくものでなければならないと考える。われわれは、そうした見地から、本意見書により司法研修所の現状の問題点を告発し、それを生み出す要因を分析することで、今行われている法曹養成の現実の改善を求める。さらには、法曹養成のあり方を抜本的にあらためる制度改革の提言を行い、現在行われている法曹養成制度改革論議に一石を投ずることを願うものである。
以下に記した事実は、必要な調査も行う過程で入手した修習生のアンケート等の資料、および修習生数名からの聞き取りに基づくものである。
1 本年6月に発生した3つの事件
本年6月、高松で実務修習中の53期修習生と、4月に研修所を卒業して任官したばかりの52期の裁判官が、あいついでくも膜下出血で死亡した。研修所教官が54期修習生に対して、前述の52期、53期の件を報告し、「あまり無理をしないで下さいね」と特に注意した。しかし、直後の6月13日には、前期修習中の54期修習生が、心不全で急死する悲劇に見舞われた。司法研修所付設のいずみ寮で倒れ、亡くなったといわれているが、研修所当局からの正式な説明は今のところ何もない。亡くなる数日前、教官と食事をした際、その修習生は「勉強が追いつかない、みんなよく飲み会に行く暇があるねえ」と漏らしていたとのことである。
2 54期修習生の声
この54期修習生と同じクラスの修習生は、悲劇の背景と研修所の対応について、次のように訴えている。
「僕には○○さんの死が、今の司法改革の流れで起きてしまったのではないか、という考えが拭えません。
競争をあおる流れの中で、任官・任検希望者のみならず、弁護士志望者も勉強と事務所訪問に追い立てられています。事務局長と所長が、講話で繰り返し繰り返し『今が頑張りどきだ、まじめに勉強しなさい。国民の税金で勉強しているのだからありがたいと思いなさい』という話をします。午後4時50分までの授業があり、授業が終わっても、次から次へと大量の宿題が与えられて、記録を読んだり調べ物をせねばなりません。
『いずみ菌』という言葉が生まれたように、いずみ寮入寮者を中心とする修習生の慢性的集団的な風邪、気管支炎が53期から始まっています。所内の診療所は、月、木、金にしか開かず、授業を抜け出さない限り、わずか十分という休み時間に行かねばなりません。事務局長は、講話の中で、『最近、いずみ菌という言葉があるようですが、その名前では研修所に責任があるように聞こえる。たしかに、修習が1年半になって大変なのは分かりますが、それは原因の10パーセントにすぎない。みなさんが風邪をひくのは、毎晩毎晩事務所訪問に行くからだ。』と述べていました。今でもそのような見解が変わらないものか、問いただしたい気持ちです。
こんなに次々と『死者の出る修習』は本当におかしいです。」
3 研修所の実態
こうした修習生の不安・疑問を生み出す研修所の状況は、和光市の隔離された場所に移転した48期から顕著になった。すなわち、47期以降の修習生の漸次的増員と、長引く不況のもとでの裁判官任官・検察官任官(以下、それぞれ「任官・任検」という)志望者の増大、和光市移転後の隔離された環境のもとで修習生の競争をあおるごとき研修所の姿勢などにより、体調が多少悪くても無理をして講義に出席するような状況が生み出されてきた。こうした中、49期前期中に任官志望の修習生が研修所の寮自室内で週末の勉強中に死亡し、週明けに発見されるという悲劇が起きた。死因は胃穿孔であり、無理な勉強に起因するストレス性のものであると言われた。
そして、53期からの修習期間1年半への短縮、54期からの修習生1000名時代の到来により、後述するとおり司法修習のカリキュラムは従前よりはるかに過密化され、また任官・任検競争の一層の激化による競争意識の蔓延により、真面目な修習生の健康が破壊され、一般的には「過労死」「突然死」に分類されることの多い病名で死亡する修習生が、毎年のように続いているのである。
4 緊急にとられるべき対策について
修習生が学習に勤しむのは当然であるが、現状は異常である。研修所におけるこうした事態を改善するために、速やかに以下の対策をとる必要がある。
@ 風邪・気管支炎の蔓延等により、研修所内の診療所は休み時間に満員になることが多い。54期修習生有志のアンケート(後述)でも指摘されたとおり、診療所の診療時間の延長を実施することが急務である。
A 52期まで最高裁判所で統一して行われていた入所前の健康診断は、53期からは各自が自主的に受け、健康診断書を司法研修所に提出することとされ、同じく52期まで行われていた研修所内での前期修習中の健康診断は、53期からは実施されなくなったのである。修習生の増員に伴う予算削減の一環であろうが、まず健康面の予算を切り捨てることは到底許されない。ただちに、これらの健康診断を最高裁・研修所の責任で復活することが急務である。
B 修習生の健康問題に関する情報を公開しない司法研修所の秘密主義的対応は、修習生の間に不安と疑惑を深めさせる要因の一つである。54期修習生の死亡に関して、研修所当局は問題として何ら取りあげず、クラスメイトや友人からの度重なる要望があったにもかかわらず、死亡した修習生の父親が既に明かしている死亡原因をはじめ、死亡時刻、死亡場所すらプライバシーを理由に一切説明しようとしない。わずかに、裁判所共済組合が設置する「健康ダイアル」なる電話相談のパンフ一片が配布されただけである。こうした研修所の対応に対して、多くの修習生が怒りの声を挙げており、54期修習生アンケートには、「研修所はもう少し人間的な対応をしてほしい(同期の修習生が亡くなったのに、黙祷の時間も持たないというのは変だと思う)」「すべての情報開示」といった切実な声が寄せられている。
したがって、現に多くの修習生が不安を感じている健康問題については、研修所はできる限りの情報を開示する義務と修習生に対する説明義務を負っていると考える。
1 53期修習生に対するセクハラ
司法修習生、特に女性修習生に対する教官らによるセクシャル・ハラスメントは、以前から幾度か問題とされてきたが、近年では任官・任検志望の増大等が背景となって、問題が潜在化する危険性が指摘されていた。
こうした中、実務修習中の53期修習生が配属部の部総括裁判官に、差した傘の中に入り込まれ、手を握られ、肩を抱かれ、抗議してもなかなか止めてもらえなかったという事件が起きた。この事件は、被害を受けた修習生が泣き寝入りをせず、後日に裁判所所長に正式に訴え、裁判官本人をして謝罪させたことで一応の解決をみているが、こうした修習生の勇気ある姿勢は、むしろ例外的な事例であるといえよう。
2 研修所現職最高幹部によるセクハラ発言疑惑
そして、今日の研修所をめぐっては、前記のような個々の教官による修習の現場におけるセクハラ事例ばかりでなく、研修所の最高幹部によるセクハラ発言の疑惑が、複数の修習生から指摘されるという深刻な状況が存在している。
すなわち、54期前記の修習生アンケートには、「○○○○(この幹部)の施設見学旅行セクハラ発言に対する弁明をせよ。修習生に社会人として恥ずかしくない行動を求めるなら、まず範を自ら示せ」との意見が寄せられている。これは、この最高幹部が日頃から公式の場で多くの修習生に対して、「社会人としてのあるべき振る舞い」を説いてきているだけに、見逃すことのできない問題である。
また、この最高幹部がかつて裁判教官として51期修習生を担当していたときには、教官宅訪問に来た女性修習生に対して、「ホテルエアポートに行こう」「上に部屋をとってあるから」などの発言をしたことが複数の証言から明らかとなっている。
3 緊急にとられるべき対策について
研修所におけるセクハラ発言・行為の頻発は、許すことのできない重大な人権侵害である。わが国の法曹養成制度において決定的な重要性と独占的立場を有する司法研修所においては、修習生からセクハラ発言・行為の疑念を持たれるような人物が権限を行使することは許されないのであり、研修所及び最高裁はただちに修習生から指摘されたセクハラ事例についての徹底した調査を行ない、その結果を公表すべきである。
なお、大学内での教員の学生に対するセクハラ(アカデミック・ハラスメント)が問題となっている。セクハラを受けながらも、教員の成績評価権限の前に泣き寝入りを余儀なくされている学生が多くいるのが問題とされている。ある意味では、研修所教官と修習生との特殊な関係性において、アカデミックハラスメント同様の現象が生じているといえる。さらにいえば、現在急速に現実味を帯びているロースクール構想において、司法修習及び大学教育の現場で指摘されているセクハラ問題につき、十分に検討・考慮がなされていないようである。ロースクールへの入学に、大学での成績を考慮するとの見解もあるが、それは、前日の大学内でのセクハラ横行の原因に鑑みればかかるアカデミックハラスメントを増幅させることにつながりかねない危険がある。
これまで述べてきたような司法研修所の異常な実態は、修習の本来あるべき姿からは、およそかけ離れたものである。では、そもそも、司法修習は如何にあるべきか。
最高裁が制定した「司法修習生に関する規則」四条によれば、「司法修習生の修習については、高い識見と円満な常識を養い、法律に関する理論と実務を身につけ、裁判官、検察官または弁護士にふさわしい品位と能力を備えるように努めなければならない。」と規定されている。
そもそも、在野の立場である弁護士はもちろん、裁判官も憲法上独立が求められるし、検察官も独任制であり、いずれも、人権保障機関たる司法の担い手でる。従って、法曹は、上意に従うよりも、人権擁護の観点から批判的視座をもって自律的に行動することこそが憲法上求められるのである。法曹養成も、国民の税金を支出してなされる以上、かかる人権擁護と批判的視座を持った国民のための法曹養成を旨として行われなければならない。
司法研修所は、司法が戦争に荷担したことへの反省に基づき、右のような法曹養成をなす事を目的として創設されたものなのである。
ユネスコは、1998年10月に「二一世紀に向けての高等教育世界宣言」を採択し、「高等教育の変革と発展のための優先的行動の枠組み」を提起した。それは、今後の社会の発展のためには高等教育の充実が重要であるとの認識に立ち、「世界的な展望を持って、市民性の獲得と社会への能動的参加のための、内発的能力開発のための、さらには社会正義の観点から、人権と持続可能な開発、民主主義及び平和の強化のための教育」を高等教育の使命として掲げている。また、こうした使命実現のために、人種や性別や貧富の差なく、すべての人に高等教育を受ける権利を保障し、批判的思考力と創造性を高め、高等教育の改革の中心に学生の要求を置くよう、求めている。さらに、国家に対しては学問の自由と高等教育機関の自治のための条件整備と財政支援を「優先行動」として要請している。
上記ユネスコ宣言の掲げる高等教育の使命は、人権擁護と社会正義の実現を目的とする法律家の養成にもそのまま該当するものである。
したがって、わが国の司法研修所教育も、上記の国際的観点に立脚すべきであり、修習生の側はそれを批判的・自主的に受け止めるべきであって、法律家の卵たる修習生が当局が設定する教育枠組みに無批判的に追随することは、こうした高等教育の国際的理念に大きく立ち後れる懸念すら生じる。
ところが、現状は右の国際的理念に逆行しており、前記の懸念は現実のものとなっているのである。
1 53期修習生アンケートの内容
現在、後期修習中の53期修習生は、今年三月に東京で行われた「春の集会」(実務修習中の全国の修習生が一堂に会する自主的な研究交流集会)にあたり、53期修習生を対象とするアンケートを発表したが、ここには現在の司法修習に対する率直な意見が集約されている。
まず修習期間について、回答数315名のうち、「長い」(13名)、「やや長い」(28名)、ちょうどいい(122名)、やや短い(103名)、短い(49名)となっており、短いという意見が多い。
また、「やや短い」あるいは「短い」とする理由は、「一日のカリキュラムが多すぎる」(127名)、「同じクラスの修習生や教官と十分なつきあいができなかった」(64名)等が多く、「前期修習が四か月であれば充分だったと思う」(131名)が「思わない」(27名)を大きく上回った。
2 54期修習生アンケートの内容
前期修習中の54期修習生有志は、司法研修所のカリキュラムや施設に関するアンケートを約360人の修習生から集め、本年6月30日に司法研修所事務局に提出した。このアンケートにも、カリキュラムの過密さを示す修習生の生の意見が述べられている。
すなわち、回答数360名のうち、カリキュラムの分量について、ちょうどよい量である(82名)、もっとたくさん勉強したい(7名)、盛りだくさんすぎて十分に理解が出来ない(142名)、宿題が多いので体力的にきつい(139名)との結果で、過密だとの意見が多数にのぼっているのである。そして、カリキュラムの過密さを訴える具体的な意見として、次のとおりである。
「量自体はこの程度必要であろうが、三ヶ月に収めるところに無理がある」
「ゆとりがない、三ヶ月サイクルでは慣れた頃に異動で身が持たない」
「不必要にプレッシャーがかかる」
「詰込みすぎで幅の狭い人間が出来てしまう」
「精神面のストレスが病気に直結している」
「拘束時間や通勤時間の長さ・講義・内容のレベル・宿題(グループ討論も含め)の多さが複合的な原因となって、体力的にきついものとなっている」
「 期間を短くしたのは間違いだと思う。就職活動を行わなければならない現実があり、それを考えると現在のスケジュールでは、十分な勉強をすることができる時間をとることができないことは明らかである。
かりに就職活動をしなかったとしても、予習・復習を十分にやろうと思ったら夜2時3時になるのはあたりまえである。これは、一日に受け取る情報が多い上、修習が終わった後の時間が短くなったのであるから、当然である。
修習期間を短くしたことには相応の理由があったものと考えるが、やはり、何の為の修習か、という点から、今一度考え直すべきである。教官の先生方、多くの弁護士の方々も口をそろえて「きつすぎる」と言っている。修習の期間は、法曹としての第一歩であり、非常に重要な時間であるにもかかわらずこのようにゆとりがなく何事も中途半端に終わりかねない今のスケジュールには大きな問題があるのではないか。
私は修習に入ってから常に体調が思わしくなく、聞けば53期の修習生は過労によるくも膜下出血で亡くなられたというし、54期の修習生も亡くなられてしまった。私の周囲の修習生も身体を壊しているものは大勢いる。
今一度、何の為の修習か、と言っておきたい。予算の問題など、いろいろな事情はあるとは思うが、制度を変えるにあたり、他の方策はなかったのか。そもそも、国家予算における司法の割合が少な過ぎることこそ問題ではないのだろうか。大多数の者が疑問を抱きつづけるカリキュラムが正しいものとは思えない。二年でこなす仕事を一年半でこなさなければならないとするのは、相当な無理を必要とするものである。この修習期間の短縮は「改悪」であり、決して「改正」ではないと考える。」
3 カリキュラム過密化と健康被害の原因−−修習期間の短縮
以上のように、期間短縮以降の53期・54期によるアンケートの結果は、修習カリキュラムが過密であり、その原因は修習のコスト切り下げのためになされた修習期間短縮にあることを示している。
さらにアンケート結果は、過密化の程度が、たんに内容を消化しきれないというレベルを超え、過重な肉体的・精神的負荷となっていることを示している。こうした過密カリキュラムは、後述する研修所当局による統制によるストレスと相まって、いくつかの修習生死亡事例が過労死でないかと疑わせるだけの客観的な条件をなしている。
これまで述べてきたような異常事態のもう一つの原因は、以下に述べるさまざまな手段により修習生全体が統制され、萎縮させられて、過密カリキュラムの押しつけを受容してしまう状況にあることである。
1 罷免
最大の制裁は、修習生の身分剥奪を意味する罷免である。研修所では、修習生を罷免する実質的権限は、裁判教官から選ばれる事務局長に握られている。罷免事由も幅広く、「品位を汚す行為」といった不明確なものである。この罷免制度による脅しも、研修所が修習生を統制する道具として機能してきたものである。
2 任官志望者の選別
最高裁の管理の下にある研修所では、任官志望者の選別が容易になされるため、多くの任官志望者が自主的活動を抑制し、成績競争に駆り立てられている。この任官志望者の選別により、司法研修所は最高裁が裁判官に対する官僚的統制を行うにあたってその入り口としての役割を果たしていることは重大である。これらの任官志望者に巻き込まれる形で、他の多くの修習生も萎縮しやすい傾向が生じている。
@ 任官拒否
修習生に対する隠然たる制裁として、任官拒否がある。先ほど一審判決が出された、神坂直樹氏の任官拒否についての国賠訴訟では、判決文中で、神坂氏に対するその自主的活動を理由とする任官拒否の事実も認定された。この任官拒否は、近時余り行われていないが、それは次に述べる逆肩たたきによって既に選別がすんでしまっているからである。
A 逆肩たたき
前記の神坂直樹氏の任官拒否についての国賠訴訟では、判決文中で、クラスの民裁教官の執拗な逆肩たたき=任官希望撤回の勧奨が、明確に認定された。
裁判官志望者にたいしては、修習前期のうちから選別が行われるため、裁判官志望者の自粛と不安は著しいものがある。裁判官への志望をあきらめさせるための「逆肩たたき」は、修習生の自主的活動への参加を抑制する研修所教官の言動とあわせて古くから行なわれてきた。特に近年では、長引く不況と合格者増の影響による任官志望者数の増大が続くなか、前期のうちに「君は始めから裁判官は無理だよ」といった形での門前払い的な形態をとって大量に行なわれている。50期前期のあるクラスでは、最初の志望アンケートで半数以上の者が任官志望ないしその可能性を答えていたにもかかわらず、民裁教官が「有望な」修習生だけを秘密のうちに自宅訪問に誘い、多くの志望者をはじめから無視する態度を示して問題となった。また、51期前期では、裁判教官がクラスで「裁判官に30才以上の人はいらない」と公言したり、起案前日に飲み会をよびかけた教官が、乾杯直後に「起案前日に飲み会に来るような者は裁判官にさせない」とあいさつして参加者を唖然とさせた。
B 女性任検者クラス枠
さらに、48期ころからあらわれた傾向として、検察官志望者、特に女性の任検志望者について、「1クラス1名の女性枠」なる不文律の存在が問題とされている。これは、47期ころに生じた検察官志望者飽和化とともに、女性の検察官への進出を抑制しようとする目的で、何の合理性もないクラス別割り当てを強制するものである。明らかに憲法14条及び女性差別撤廃条約違反である。このクラス枠により、何人もの女性修習生が志望を変更せざるをえなくなった、との証言が多数ある。
3 入寮選考
司法研修所いずみ寮への入寮選考権限も、修習生に対する統制の手段となっている。
埼玉県和光市にある司法研修所に通うためには、いずみ寮への入寮の必要性は、極めて高い。ところが、53期修習生について、前期中に寮談話室利用の時間超過について始末書を書かされ、これを理由に後期の入寮まで拒否されるといった対応がなされている。入寮を拒否されたもののうちには、関東地方に住所を有せず、かつ関東で就職する予定もない修習生も含まれており、後期の僅か三ヶ月のためにマンション等を借りなければならないといった状況になっている。しかも、入寮できない修習生には住居手当も払われないため、実質的には減給処分となり、あまりに重い処分と言える。
1 自主的研究活動への施設利用不許可
修習生がさまざまな人権課題や実務的問題について自主的な研究会や講演会等を企画する場合、弁護士・学者・当事者など研修所外部の講師を招いて協力してもらうことが不可欠だが、研修所は一貫して外部講師を含む企画に研修所施設を使用することに許可を与えていない。かかる態度は湯島研修所時代から貫かれてきたが、最寄りの東武東上線和光市駅まで徒歩で約30分かかる和光研修所の地理的環境から、湯島時代と比較して修習生の都内へのアクセスには相当のブレーキがかかっており、研修所近くに適当な公共施設が少ないこととあわせ、施設利用不許可による自主的活動の制約効果はより顕著になっている。
最後の湯島前期と最初の和光後期を経験した47期は、施設利用の弾力化を求める224名(この中には相当教の任官・任検者も含む)の署名を集めて当局と交渉したが、当局のかたくなな態度は変わらなかった。
2 「クラス連絡会」「修習生の会」の消滅
前述のような自主的活動を行ったり、当局と交渉したりする自治団体を従来修習生は組織してきた。かかる自治団体での活動経験が、後の弁護士自治を支えるものともなってきた。
即ち、これまで、研修所の前期においては、各クラスにクラスの代表者たるクラス連絡委員がおかれ、修習生全体の自治組織たる「修習生の会」の執行部あるいは「クラス連絡委員会」を形成してきた。ところが、54期前期からは、突如として研修所当局がクラス連絡委員を週直制としたため、委員がクラス代表たる性格を失い、クラス連絡委員会等を形成することが出来なくなった。
3 いずみ祭への施設利用不許可
53期以降、研修所は施設利用許可権限に基づいて、修習生の活動に対するあらたな抑圧を行なっている。
伝統的な修習生恒例の行事として、前期中の土曜日に、寮施設を利用した「寮祭」が数十年以上にわたって開催されてきたことはよく知られている。各クラスが出し物や模擬店を開き、教官もともに修習生と交流し、楽しむという数少ない修習生全体のイベントであり、和光市移転後は、研修所内の寮名をとった「いずみ祭」の名で、この伝統が継承されていた。
ところが、53期前期に至り、当局はさまざまな理由を付けて施設の使用許可を出さず、いずみ祭が中止に追い込まれた。
そして、本年の54期前期においては、入所式の事務局長講話で、修習生が自主的に開催してきたいずみ祭について「昨年からいずみ祭は行わないことになりました」と修習生の自主性を全く踏みにじる発言がなされ、結局いずみ祭は開かれなかった。
4 入所パーティーの妨害
さらに研修所当局は、30期台からの恒例行事であり、毎年数ヶ月の期間、多数の修習予定者が準備して入所式後に開かれる入所パーティーすら、妨害の対象とするようになっている。すなわち、本年4月の54期入所パーティーに対し、わざわざ入所式当日に修習生と教官との「会食」を企画し、クラスの3分の1の修習生を、午後5時以降も研修所内に強制的に残した。そのため、多くの修習生が時間とおり入所パーティーに参加できず、大混乱を生じたのである。修習生に対する事前通知はなく、「会食」と称しつつ食事の用意もなかったうえ、翌日以降の昼食を「会食」の時間とすればこと足りることは明らかだったから、当局の措置は入所パーティーの混乱と妨害を意図していたと考えざるをえない。
5 講演会・スポーツ大会
こうして、全修習生規模の自主的活動が困難になる中で、52期まで行われてきたクラ連等主催の法律家や文化人を呼んでの講演会が53期以降は行われず、53期まで行われてきた自主スポーツ大会も、54期では行われなかった。雨天で中止された研修所当局主催のソフトボール大会を、自主的に再開催するというのが精一杯であった。
1 所長・事務局長講話の特徴と問題点
君たちは、国民の税金で養ってもらっているのだから、修習に専念しないとダメだ、修習期間が短くなったのだから、従来以上にがんばらないと質が落ちる、との趣旨の事務局長講話が、54期修習の前期には毎月繰り返し行われた。同趣旨の所長講話も、4月中に行われている。
いずれの講話も、修習本来のカリキュラムが終了した午後5時から約1時間程度の時間を割いて実施されており、欠席・途中退席は許されない。53期では講話が急遽設定されることもあった。講話の終了時間は特定されず、そのことを事務局長自身が講話の中で公言して、司法研修所への修習生の無条件の服従を求めていた。
これに対して、54期修習生アンケートでは、「事務局長講話の終了時間を(目安だけでも)知りたい。遊びの約束などではなく、保育園に迎えにいえるかどうかの目安なんです!」との切実な声が寄せられている。
われわれは、こうした内容と方法による事務局長講話を繰り返す研修所当局の動機は、期間短縮・増員による過密カリキュラムのしわ寄せを修習生に覚悟させるだけでなく、前述したような研修所当局の修習生に対するさまざまな統制・権力的支配が強化されていることと直結していると考える。
53期修習生アンケートでは、この所長・事務局長講話が問題視され、これについて一項を設けてある。肯定的意見が68人であるのに対し、否定的意見は114人とほぼ倍近い。
2 いわゆる修習専念義務の問題点
現行法上、公務員に準ずる地位が与えられている司法修習生には、公務員の職務専念義務と同質とされる「修習専念義務」が課せられている(司法修習生に関する規則1条、2条参照)。前の事務局長講話の中で語られるのもこれである。この修習専念義務は、その内容が抽象的であいまいであり、次のとおり研修所による修習生の過度の統制・自主的活動の抑圧を正当化する法的・理念的根拠とされている。われわれは、今後の法曹養成制度改革論議において、修習専念義務の内容と限界につき、あらたな見直しが不可欠であると考えるものである。
@ 修習生には労働時間の概念はないため、つきつめれば1日24時間を修習に専念することが求められている。これにより、研修時間終了後の講話も容易に正当化される。
A 修習期間が一年半に短縮された53期からは、自宅で判決などを起案をするいわゆる自宅起案のために、平日に時間をとることがほとんどなくなり、多くの場合、土曜・日曜日に起案して月曜日の朝に提出する形となった。したがって、実質的に休日は保障されないのだが、こうしたことも修習専念義務によって可能となるのである。
B 修習専念義務の下で、研修所から50キロメートル以上離れる場合は、たとえその目的が帰省であっても届出が必要とされ、さらに海外渡航については、最高裁の許可が必要とされている。
@、A、Bのとおり、土日もなく修習すべきであるとの建前があるため、50期修習生に対し、修習専念義務を理由として修習生主催の「春の集会」(土日にかけて行われる)への参加を牽制する教官がいた。また、後述する53期におけるいずみ祭(土曜日に行われる)の中止理由の一つに、やはり修習専念義務の存在があげられた。
たしかに、公務員に準ずる身分を有する修習生には、平日の一定時間、修習に専念すべきとの意味での修習専念義務は認められるべきであろう。しかし、休日の自主的活動すら保障されず、いつ、どこででも修習すべきであるとの規範を含みうる現行の修習専念義務の観念は、あまりにも広汎に過ぎるであろう。
では、修習生に課されている研修所の過密教育の質はいかなるものか。
1 一般的評価と詰込み教室
54期修習生アンケートによれば、「一流の教官による高度な講義で満足している」との回答が155名である(360名中、複数回答可)。教官に対する感謝の声も多く寄せられている。現在、司法研修所は一クラス70人にも達しているが、それでも一人一人の答案をまめに添削する教官が多く、その努力は、賞賛されるべきである。しかし、修習生一人一人に十分な教育をするうえでは、もはや限界に達しており、教官の間からも悲鳴の声が挙がっている。司法研修所の教育の特色は、ソクラテス方式とグループ討論とされてきたが、現状ではそうした特色が機能しない客観的教育条件となっている。
2 刑事科目の問題点
講義内容の一般的評価がある一方で、個々の教官の講義内容について、満足や感謝の声ばかりでなく、次のような不満の声も寄せられている。
「眠たい教官が多い」
「刑弁・検察をもっと実のある授業にしてほしい」
「刑弁と検察でもっと議論して欲しい。建前的な議論が多い」
「講義が雑な教官もいる」
「検察と刑弁がわかりづらい。講義が抽象的すぎでは。検察はもっと演習が欲しい」
「一部の教官にあってはミスもあり、指摘しても必ずしも適切な回答はなかったこともあった」
「本当にいい実務家を作り上げようとしているのは、5人の教官中1人だけ」
「教官の能力が皆無の者を教官に選ばないで欲しい」
「尻切れとんぼの授業が多いと思う。教え方がうまくない先生がいる(講義が回りくどい、やる気がない)」
なお、これらの声にも反映されているが、特に刑事弁護については、刑事弁護の経験豊富な弁護士が推薦されながらも教官になれず、一方で余り刑事弁護経験のない弁護士が教官になっているとの声がよく聞かれる。弁護教官であるにもかかわらず、弁護士会の推薦に対して裁判所が許可せねば任官できないことが問題であると考えられる。
3 問題点の多い一般講演
修習生から不要なカリキュラムの筆頭にあげられるのが、大講堂に修習生全員を集めて行われる特別講演である。
54期前期の特別講演では、住友化学取締役の諸石氏が、法曹人口について、企業のために働く弁護士が必要だから法律家を増やすべきとの話をし、これからの弁護士像について、司法研修所を出てからも競争なのだから、今からその準備で英語や経済的感覚が必要だと語り、修習生の競争をあおった。また、更に、「企業でいえば不良品を世に出すことは許されない、法曹養成においても二回試験を厳しくすべき」と修習生を不良品あつかいした。二回試験による成績評価が、修習生を萎縮させ統制手段となっている現状に拍車をかける発言であった。この講演を基に、各クラスで討論が行われ、教官が子細にメモを取ることが行われた。その際、ある教官から、修習生が萎縮し自己抑制的になっていることを懸念して、わざわざ、「これは思想統制ではないので自由に発言するように」といった趣旨の発言が行われたそうである。
同じく54期の特別講演で「徳川家康に学ぶ指導者の資質」という講義が行われた。指導者たるものこうあらねばと、徳川家康の逸話や格言を紹介し、エリートとしての意識を過度に強調するものであり、司法研修所におけるエリート教育偏重の傾向を示すものと言えよう。
これらの特別講演が、五一期までは、最先端の科学の知識や哲学など、教養教育としてなされていたことと比較すると、ずいぶんな様変わりである。研修所がどのような意図で特別講演の内容や講師を選択したのかは不明であるが、アンケートでの評価は概して低い。
4 選択制講座の新設
53期修習生から、民事共通選択制講座・刑事共通特別講義が導入された。それ以前のセミナーに相当するものだが、各コマから一講座は必ず受けなければならないという選択必修になっている。
この選択制科目については、玉石混淆であるとの声が寄せられている。
特に注目すべきは、民事共通選択制講座科目中、企業法務科目の比重が大きいことである。『講座一』は「企業をめぐる法律問題」であり、商法改正以前から「企業分割に伴う会社設立の法務」が講義内容として用意されている準備の良さである。「倒産事件処理」も、企業倒産に関するものが多いし、『講座三』は、「知的財産・独禁法等の実務」である。『講座五』は、外国法だが、英米法中心で渉外を対象としたもののようである。『講座六』、『講座七』は、諸法分野だが、労働法、行政法については、裁判官と学者しか講師になっていないのが気になる点である。54期修習生アンケートにも、「(選択制講座は)企業法務中心で、もっと身近な実務の話(一般民事、家事事件)も聞きたい」との声が寄せられている。
そうしたカリキュラムの傾向は、司法研修所は法廷実務、要件事実中心で企業法務に対応できないとの財界からの批判に答え、最高裁が「自己改革」の努力をした結果と思える。ロースクールの姿を先取りしたものではないだろうか。
5 求められる実践的な権利擁護の講義
以上、現行カリキュラムの内容的問題点についていくつかの指摘をしたが、国民のための法曹養成にとって、司法研修所におけるいかなる講義内容が求められるのであろうか。
54期修習生アンケートに寄せられた声としては、以下のようなものがある。「(聞いてみたい話)少年法、子供の権利、DV、虐待、薬物犯罪、家裁調査官の話、孫正義を呼んで欲しい!犯罪被害者について聴きたかった。えらい人ではなく、現場の人がよい。・・・・」「弁護士もいろいろだが、現場の様子を情熱を持って話してくれると、聞いて良かったと思う。子供の人権の坪井先生の話が良かった。」(この坪井節子弁護士の話は、多くの修習生から感動をもって受け止められ、好評であった。事実実例に基づいた実践的な権利擁護の話しが多くの修習生を引きつけたのであろう。)
いうまでもなく近代国家における司法は、民衆の権利擁護の機関であり、人権の砦と位置づけられるのである。そのため、わが国の法曹を養成する研修所では、人権擁護の取り組みに関する現場からの経験と技術を伝える講義こそが最も求められるし、修習生の間からもそうした声があがっている事実を、研修所は謙虚に受け止めなければならない。
昨年合格の54期から修習生数が1000人に増員されたが、司法研修所はこれに見合った人的物的設備の改善措置を十分とっておらず、司法研修所は人的・物的にも過密な状況にある。
1 入寮問題
52期までは、東京・横浜・千葉・浦和の各地方裁判所で実務修習を受ける者は自宅から通所し、それ以外は原則として入寮が許可されていた。横浜・千葉修習の者でも、通所時間が長い者は、二次的に入寮を許可された。
現在修習生は1000人に増員された(54期)が、研修所の入寮定員は依然として修習生が700人だった47期の約400名から増員されていない。そのため、関東地方の修習生は原則として入寮できず、神奈川県から2時間以上かけて司法研修所まで通うといった事態も起きている。
また、54期修習生に対して、「後期に研修所に戻ってくる場合には、関東に弁護士として就職する予定の者は入寮が許可されないことがある」との通知があった。これによれば、入寮できない者は住居費を負担せねばならず、入寮許可者との間に不合理な格差が生じる。弁護士志望の者が区別されるのも不合理である。実際、53期後期修習で入寮が許可されなかった者は、住居手当も受け取れず、全てを自己で負担している。
2 忙しすぎる職員
司法研修所の職員も修習生増員に見合うだけの人員補充がなされておらず、過重な労働を強いられている。いきおい、職員の修習生に対する対応も官僚的になってきている。また、職員の負担が、修習生の自主的活動に研修所の施設を利用させないことの口実とされている現状がある。
3 1クラス70名の詰め込み教室については、前述のとおりである。
4 設備不足改善の必要性について
以上のように、人的・物的設備不足の主な原因は、研修所の容量を考慮せず、いたずらに修習生数を増員したことにあるのは明白である。そのしわ寄せを受けているのは、そこで学ぶ修習生及び職員である。人的・物的設備が全体として不足している状況で、修習生の学習効果のレベルが下がるのは当然である。この責任は、第一義的に最高裁及び研修所当局にあるというべきである。にもかかわらず、この構造的責任を無視して修習生に過密なカリキュラムを押しつけ、レベル低下は修習生自身の学習意欲の問題だと強調するだけに終始するのが、残念ながら現在の研修所の姿勢である。研修所及び最高裁は、修習生のレベルを問題視する以前に、設備のレベルを合格者増員前のレベルにまで高める努力をしなければならない。
なお、研修所のかかる現状を踏まえると、かりにロースクールが実現した場合にも、その教育レベルが維持される保障は全くないであろう。なぜなら、各大学が自前で従前の研修所に匹敵する人的・物的設備を備えることは不可能であるし、研修の現状をもたらした国が、ロースクールのためにあらたな抜本的予算を割く可能性はほとんどないからである。法曹養成制度改革論議において、声高に叫ばれている「質の高い法曹の養成」は、必要な予算措置を伴わなければ、空虚な絵空事にすぎない。現場の教官と修習生の努力だけでは、もはや限界に近い。
1 これまで述べてきた統制と管理を強化し様々な問題を有する司法修習を自ら改善する自治と自律の確立の必要性を訴える声が修習生の間から起きている。
@ 53期修習生アンケートでは、事務局長講話について「これは修習生内部で解決すべき問題であって、事務局から持ちかけられるべき話ではないはず。また、修習生の間にも、これらの問題について議論する場がないのが問題だと思う」との意見が寄せられている。
また、53期でも前期に結成されなかった「修習生の会」について、332名中268名と圧倒的多数が、「修習生の会」の存在をアンケートに接するまで知らなかったにもかかわらず、半数近くの153名が後期には「修習生の会」が必要だとの回答を寄せている。その理由としては、「司法改革が進む中、修習のあり方もいろいろ議論されており、当事者たる修習生がもっと積極的に声を挙げ、改革に反映させるべきだから」「修習生同士の交流、情報交換」「いずみ祭不開催の理由が不透明であり、同様のことが起こりうる可能性があるから」「事務局との折衝の窓口」「修習生の自治」などの積極的な意見があげられた。さらに、修習生の会に期待する活動としては、修習カリキュラムやいずみ寮についての不満・意見を事務局に伝えるというのが最も多かった。そもそも、こうしたアンケートを集めて春の集会で発表すること自体が、修習生の自治へむけての大きな取り組みである。
A 54期修習生は、アンケート結果を基に、自宅課題を中心とするカリキュラムの過密の緩和、大講堂での特別講義のテーマ選択の改善、バス、食堂、売店の混雑解消、食事改善、図書館と診療所の時間延長を申し入れた。さらに、研修所の統制を批判し、修習生の自由・自治に信頼するよう要望した。
B 以上に述べたような、自治と自律を求める共同の営みの中でこそ、真に独立した法律家にふさわしい人格が涵養されるのである。司法研修所は、本来、かかる営みを促進することこそあれ、抑圧することがあってはならない。偉人・英雄伝の類の説教によっては、民主的な社会におけるリーダーシップを発揮する人材は育たないのである。
2 カリキュラム改善についての修習生の意見
54期修習生アンケートには、積極的な授業改善の意見が寄せられている。こうした修習生の声に耳を傾けることで、国民のための、より質の高い研修所教育を提供していくことが可能となるであろう。
基本的には「もう少し分かりやすい講義にしてほしい」との回答が103名、「もっと実務的なことを教えてほしい」との回答が45名にのぼっており、講義のわかりにくさに関する批判的意見が多く寄せられている。これらは、前述の期間短縮・増員による過密化に起因するものとみることができよう。具体的意見は次のとおりである。
「もう少し個別的な対応・指導をして欲しい」
「アウトプットよりインプットを増やしてほしい。体系的にしてほしい」
「自習しやすいよう、練習問題を増やしてほしい(特に民裁)」
「講評ではレジメを切って欲しい」
「授業時間が少なすぎる。理解するにはもっと長い時間の授業が必要」
「事実認定等は実戦で学ぶものかも知れないが、もう少し体系的に教えて欲しい」
「当日、講義する内容につき、概要を示したレジメを毎回配布して欲しい(民弁教官室がやっているように)」
「もっと参加型のソクラテスメソッドを導入して」
「ノートにまとめられるよう、書くべきことが分かる講義をして」
「基本の講義のコマ数を増やしてほしい」
1 過密修習の緩和
修習生の過労死すら話題となるような研修所の現状における焦眉の課題である。深夜及び休日利用を前提としない修習のカリキュラムを組むべきである。
2 セクハラ問題
事実であるとすれば、極めて由々しき事態である。この点について早急に研修所当局が責任を持って調査し、修習生に対して結果を報告をすべきでありる。
1 修習専念義務論の見直し
修習生の自立性、人権感覚を摩滅させるあまりに広汎な現在の修習専念義務は、その制度的理念にさかのぼって見直されるべきであり、これに基づくさまざまな不合理な制約は撤廃すべきである。
2 自主的活動の尊重
修習生の自主的活動をできる限り尊重し、原則として研修所施設の利用権を認めるべきである。また、そのための物的・人的条件整備の措置をとるべきである。
3 自治団体の承認
司法研修所は、修習生の自治団体設立を妨害せず、修習生の利益を代表する団体として公認すべきである。修習生自治団体の要請に応じて、研修所施設・運営に関する諸問題についての団体交渉を行い、そこで提起された修習生の要求を、研修所運営へ反映することに努めるべきである。
4 不利益処分に関する公正な基準と手続の確立
個々の修習生の問題のある行動については、原則として修習生相互の自治的解決や、クラスの教官の人間的指導に委ねるべきである。
修習生に罷免、注意、入寮拒否といった不利益処分を科す際にも、その基準を明確にし、修習生に告知聴聞の機会を与え、修習生の自治団体や教官会議に諮るなど、手続を公正なものとすべきである。
1 修習生による授業評価システムの採用
学生による授業評価システムは、今日幾つかの大学で取り入れられており、機能している。学生よりも年齢の高い修習生に適切な授業評価がなし得ることは疑いない。54期修習生アンケートを見ても、修習生が講義改善の強い意欲を持っていることが分かる。与えられた授業をこなすだけの修習よりも、修習生自ら授業を評価し改善していってこそ、充実した修習がなし得るのである。
2 人権感覚と批判的視座を養うカリキュラムの導入
研修所のカリキュラムにおいて、実務を批判的に学ぶことを可能にする方策の導入や、行政訴訟・人権問題など司法の人権擁護機能に関わる課題についての修習の機会を充実させるべきである。国連の規約人権委員会が1998年報告書において日本の「裁判官の人権教育の強化」を求めたことは、司法研修所における人権教育の欠如を示すものである。
3 一クラス四〇人の実現
現在、小学校は40人を割って30人を目指している。にもかかわらず、司法をになう法曹を要請する司法研修所において、一クラスが70人となっていることは、法曹として望ましい質を確保する観点からは問題である。
ソクラテス方式での講義実現など、研修所教育の充実のためには、一クラスは40人程度に減少させる必要がある。
また、一クラスの人数が70人と多すぎることが、修習生の自治活動を不活性化し、ストレスを増大させる原因となっているのである。
1 法曹三者共同の研修所運営
そもそも、法曹三者の養成機関の運営を最高裁が独占する必然性は存在しない。本来、司法研修所を最高裁から独立させ、もっとも多くの修習修了者を受け入れる弁護士会が中心になって、法曹三者の合議による運営がなされるべきである。
その点からすれば、所長、事務局長といった重要なポストを最高裁が独占している体制は直ちに改められるべきであり、弁護士会からの登用を認めるべきである。
さらに、司法研修所の通常の意思決定は、所長・事務局長の独断でなく、教官会議によってなされるべきである。
2 弁護士会の弁護科目に関する権限
弁護教官の選任権は、弁護士会に付与すべきであり、これを最高裁が決定する現行システムは論外である。弁護実務に関するカリキュラムについては、弁護士会の関与を認めるべきである。
裁判官任用制度を現在の最高裁独占から、裁判官推薦委員会による任用に移行させるなど民主的な任用制度を実現することが修習生の自主性確立のうえでも不可欠である。また、事実行為としての逆肩たたき、女性任検者クラス枠などの不当な諸「制度」をただちに撤廃すべきである。
現在、司法改革審議会では、法曹養成制度改革が重要な論点とされ、ロースクール(法科大学院)構想具体化へ向け、文部省の「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議」において、具体的な制度設計が論じられている。
日弁連執行部は、弁護士の大幅増員とロースクール(法科大学院)の設置を承認する決議を採択するための臨時総会を、本年11月1日に開催する方針を固めた。また、各大学も生き残りを賭けてさまざまなロースクール案を出しており、ロースクール導入をいわば既定の路線として、いかなるロースクールを実現するのか、活発な議論が行われている。
しかしながら、私たちが憂慮するのは、将来の構想について議論されている間に、現在の司法修習生の置かれた司法研修所の深刻な状況が完全に見過ごされてしまっていることである。この現状を踏まえず、問題点に手を差し伸べないまま、あたかもロースクールが実現すれば法曹養成に関わる諸問題が解決するかのような議論の仕方は、誤りである。
およそ改革というものは、現状の問題点の分析の上に立ってその改善のために行われなければならない。法曹養成制度の改革も、現行司法修習制度の意義とその問題点を見つめるところから出発しなければならないはずである。そして、こうした視点にたつ分析と検討のうえに、問題点の改革にとってのロースクールの有効性を、十分に吟味しなければならないであろう。
本稿の我々の検討によれば、司法研修所の現状を招いた原因は、@修習生増員に伴うコストを切り下げて安上がりな修習を実現するための修習期間短縮と物的人的設備の不整備、A裁判官検察官任用権限と成績評価権限をテコにした修習生に対する管理・統制にある。
ところが、現在「法科大学院(仮称)構想に関する検討会議」等で検討されているロースクール構想は、@と同一の発想に立ち、Aの裁判官任用権限を改革する展望を示さないばかりか、ロースクール入試に際しての学部段階の成績の考慮、ロースクールでの「プロセス重視」、個々のロースクールに対する文部省・法務省関係者を含む第三者評価機関による業績評価を唱えることにより、いっそうの管理統制の強化をもたらす危険性を有するものである。
ロースクールになれば司法研修所のような管理統制のもとでの法曹養成が転換できるとの見方は、幻想に過ぎないと言えよう。
これでは、何ら現状の改革と結びつかず、大学の生き残りと財界が使いやすい弁護士の安価量産のためのロースクールが生まれるだけという結果になりかねない。