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前回は子どもの権利条約の草案検討までを述べましたが、それにはポーランドという国が大きく寄与していました。 それは、ポーランドがコルチャック先生という偉大な人物の出 身国であったからなのです。そこで、今回はやや趣を変えて、ポ ーランドという国とコルチャック先生について述べてみたいと思 います。 |
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ポーランドは東ヨーロッパの北側、ロシアとドイツに挟まれるような形で存在しています。このような地理的な条件のため、二 度も国が消滅したという歴史をもっています。また、二度の世界 大戦ではロシア(ソビエト連邦)とドイツによって国土が蹂躙さ れ、国民は多大な犠牲を被りました。 そのポーランドで、コルチャック先生は小児科医あるいは児童 作家として活躍していました。また、戦争孤児や投獄・迫害され た政治活動家の子どもたちを受け入れる養護施設を作ったりもしていました。 |
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折から、反ユダヤ主義の考え方が広まり、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる特別居住区に強制移住させられました。コルチャック先生もユダヤ人ではあったのですが、社会的地位があるため移住 を拒絶しようと思えばできました。 しかし、彼はユダヤ人の子どもたちとともにゲットーに入りました。ゲットーの生活は死と隣り合わせの苛酷なものでしたが、 そこでも彼は子どもたちに対して深い愛情を注ぎ、施設を開き、飢えた子どもたちのために食料の調達に奔走したのです。 |
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| しかし、そのゲットーも解体される時が来ました。ナチス・ドイツはユダヤ人を収容所に連れて行き、虐殺を始めたのです。子どもたちも例外ではありませんでした。ただ、ナチス・ドイツは コルチャック先生だけに救いの手をさしのべようとしましたが、彼はこれを拒絶し、愛する子どもたちとともに収容所(トレブリンカ絶滅収容所)に向かい、運命をともにしました。 | |
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| コルチャック先生と子どもたちの物語は、歴史上のエピソードで終わらせるにはあまりにも悲惨です。そこでポーランドは、コルチャック先生の勇気と愛情を称えるとともに、子どもたちに対して二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、子どもの権利条約制定のために尽力したのでした。 | |
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を参考にさせていただきました。 |