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五味川純平『人間の条件』(文春文庫)再読
五味川純平の『人間の条件』を25年振りに読んだ。 今、読まれるべき本だと思った。 若い人達に読み継いでほしい本だと思った。 この本を初めて手にしたのは15歳の頃だ。文字通り寝食を忘れて週末を読み 耽ったのを覚えている。戦後世代の、しかも戦争をほとんど教えない時代に教育 を受けた私は歴史的背景も戦争の性格もほとんど知らなかったが、作者が戦争を 憎む気持ちに圧倒された。侵略戦争の歯車の一つになりながら、正しく生きよう とする必死の努力が死の結果しか生まなかったことに当時の僕は象徴的な意味を 見ていた。あの戦争が何の正当性もない侵略戦争であったことを知ったのも、戦 争を実感として憎む気持ちがはっきりしたのも多分、この本の影響に違いない。 心にいつもひっかかっていたこの本が、現在は文春文庫で出版されていることを知り、さっそく読み返した。読み急ぐ必要はないのに、読み出したら全6巻を一気に読んでしまった。まるで15歳の頃と同じように。 40年以上も前に書かれたこの小説は決して古くなっていない。まるで今書かれたかのように新しい。 あの戦争が侵略戦争であり、大義名分のない戦争であることを作者はいささかの迷いもなく告発する。だから、その戦争に巻き込まれた主人公が、被侵略国の国民に人間としての良心を発揮して接するために命懸けの抵抗をしようが、そのことが加害責任を免責することにはならないという透徹した視点に貫かれている。この作品が発表された昭和31年という時代を踏まえれば、いまだに議論のある戦争の侵略性に明確にし、また、いまだに共通認識の確立していない「国民の戦争責任」の問題にここまで肉薄しているのは驚異である。 軍隊に対する批判も徹底している。軍隊組織がいかなる正義も通用しない暴力 装置であることを鋭く告発している。弱い構成員にいかに残虐に襲いかかるもの か、自分の意見を持とうとする者をいかに押し潰そうとするか、その理不尽さを 渾身の力で告発している。要領のよい者、利権のある者、地位の高い者だけが生 き残り、兵卒は全て捨て石とされる不正義が執拗に告発されている。 この本には、戦争責任論もなければ、侵略の歴史的な跡付けもない。しかし、 それでもこれほど多面的に、しかも執拗にあの戦争の本質に迫る作品を私は知ら ない。軍需を担う鉱山での中国人労働者の労務管理から始まり、軍隊の末端で行 なわれる凶暴で理不尽な圧制、虫けらのように捨て石にされた戦闘、そして、敗 残兵として追われ、生きるために殺人機械になり下がり、ソ連軍の抑留から逃亡 して死に果てるまで、作者の筆は緩みがない。しかも、この体験の流れの冒頭に 侵略国の軍需産業を担う者としての加害性を明確に据え、その因果の流れとして 結末がある。中国人の「捕虜」を鉄条網の中に閉じ込め管理していた主人公が、 最後にはソ連軍の捕虜としてシベリアに抑留される逆転は、明確に侵略の報いと しての結末を暗示している。論じていなくても、そこへ追いやった者があり、ま た主人公自らも戦争に協力した責任があるのだという追及がある。 戦争の必然の流れに巻き込まれた主人公に、可能な限りの人間としての抵抗や 人間としての尊厳の追及をさせる。現代に通用する強く普遍性のある主人公の個 性と問い掛けがこの作品を決して古くはしないのだ。そして、人間として生き抜 こうとする正しい意思を戦争の必然は押し潰し、破滅をもって報いるという結末 にやはり僕は重い意味を見ざるを得ない。 40歳を超えた自分は、ただ作品にのめり込んだ15歳と異なり、作品が書かれた時代を考え、読んでいる自分を考えるゆとりができた。 昭和31年という時代を思う。おそらく軍隊経験のある人たちが自らを正当化しながら、社会を支配していた時代に、軍隊を徹底して批判し、「犬死に」以下の「報いとしての死」を与えたことの、すごさに鳥肌が立つ。 この小説は1300万部を売るベストセラーになった。作者自身が言うように「面白い」小説になっているのだ。女性観がいかにも古臭いのだけを我慢すれば、こんな面白い小説はなかなかないと思う。 何千万の日本人の戦争体験の中でたった一つでもこうした小説が生まれたことに感謝したい。 ガイドライン改定などを通じて日本の軍事化がますます進み、日本の参戦とそのための有事法制が現実化しつつある今、戦争とは何かを考えるためにも改めて読み返されてよい本だ。 ![]() |
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1997.11
1997.7 |
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