about Toivo Kuula


 トイヴォ・クーラって、誰? …とお聞きになる方は多いと思います。まだまだ、彼の名は、広くは知られていないかと思いますから。しかし、フィンランドの音楽を語る時、彼の名は必ず挙がってくるはずです。即ち、レーヴィ・マデトヤと並ぶ、西フィンランド出身の作曲家として、また、マデトヤをはじめ、オスカー・メリカント、セルゲイ・パルムグレン等、かのシベリウスを次ぐ世代の作曲家の一人として、そして、合唱作品を数多く残している作曲家として、重要な位置を占めているからです。

 そのようなトイヴォ・クーラは、1883年、ヴァーサの町に生まれ、1918年、独立直後の騒然とした空気の中で、わずか35才にしてその命を落としたのでした。彼は、その短い生涯の中で、多くの魅力ある作品を残しており、特にその合唱曲には、フィンランド音楽の特徴を備えた、美しいものが多く残されているのです。

 そう、彼の作品の中の多くを占めるのは、合唱曲なのです。混声・女声・男声、い ろいろな形式で、実に美しい曲をいくつも残しているのです。その特徴はというと、 凛とした響きの和声に、精神的な奥の深さを合わせ持ち、彼独特の世界を形作ってい る、ということになりましょう。きらきらと、冷たい空気の中に光り輝く星のような きらめき、滔々と流れる川のような大きな流れ、緑あふれる森林をどっしりと支える 大地のような、ずっしりとした響き、それらは、まさに、フィンランドらしさという ものが、はっきりと表われていると言えます。そして、新鮮な響きでありながら、ど こかで聴いたことのあるような懐かしい感じがするのも、その特徴の一つと言えま しょう。


◆クーラ略年表

1883年 フィンランドの西海岸オストロボスニア地方のヴァーサにて誕生
1900年 ヘルシンキ音楽学校に入学、ヴァイオリンと音楽理論を学ぶ
1903年 父親の反対により、音楽の勉強を一時断念、ヴァーサに帰る
1904年 最初の合唱作品を発表
1906年 再び音楽学校に入学
1907年 シベリウスの最初の作曲の生徒になる
1908年 イタリアのボローニャに留学、エンリコ・ボッシに学ぶ
     1回目の作品コンサートが行われる
1909年 ライプツィヒでハンス・ジットに学ぶ
     その後、パリへ渡り、フランス音楽の影響を受ける
1910年 オウルで指揮活動を始める
1912年 ヘルシンキで指揮活動を始める
1916年 ヴィボリで指揮活動を始める
1917年 (ロシア革命に次ぎ、フィンランド独立)
1918年 フィンランド内戦のさなか、銃弾に倒れる


◯私とクーラ
 私がクーラという名を知ったのは、大学の3回生の時。たまたまラジオのFMのエ アチェックを行っていたら、耳に入ったのが、クーラの合唱曲だったのです。これは 一体、何? と、私の心の琴線に触れたのが、そのきっかけでした。当時、私は大学 合唱団の指揮者(正確には副指揮者)なんてのをやっており、次年度(つまり、4回 生で、正指揮者になる)の曲をどうしよう、ということで頭を悩ませていたのです が、これを聴いたその瞬間、これだ!と思ったのでした。私が振るのは、この曲しか ない、そう言うと、早速に、当時のパートリーダーがこの楽譜を取り寄せてくれて、 検討の結果、よし、これで行こう!となったのでした。そして、1年間の練習の成果 を定期演奏会で発表するわけですが、それなりに満足のいく演奏はできたと思いま す。やがて、大学を卒業、それ以後も、クーラをはじめ、フィンランド音楽に魅了さ れていくのでした…

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