忍路環状列石、フゴッペ洞窟、手宮洞窟

2003.8.4

忍路環状列石
忍路環状列石の造られた時期は今から約3,500年前の縄文時代の後期。
文久元(1861)年、小高い山の麓に大きな石をいくつも円形に建て並べた遺構(ストーンサークル)が発見された。
大きさは現在の指定の面積で821平方メートル、直径は南北約33m・東西約22mの楕円形で
サークルは2〜3mの幅に高さ10〜20cmの小石を環状に重ね置き、その内側に高さ100〜200cmの大石を配置されいる。

忍路環状列石








フゴッペ洞窟

昭和25年発見の洞窟遺跡
内部の壁画に仮装した人物、動物等200以上の続縄文時代の刻画が描かれている。
フゴッペ洞窟














手宮洞窟
手宮洞窟は1866年(慶応2年)相模国(現在の神奈川県)の小田原から、朝里地区の鰊番屋の建設に来ていた
石工の長兵衛によって 発見された。
手宮洞窟周辺は、小樽軟石と呼ばれる凝灰岩が露出しているところで、長兵衛は建築用の石を探している途中で偶然、
洞 窟内の岩壁に様々な模様が刻まれている事を発見しました。
この彫刻は1878年(明治11年)、榎本武揚(えのもとたけあき)によっ て学会に紹介され、
さらにジョン・ミルン(J.Milne:英国人:地震、地学者)によって初めて学術的な観察と報告がなされました。
今からおよそ1600年前頃の続縄文時代中頃〜後半の時代
国内では、手宮洞窟のような彫刻は、現在のところ、フゴッペ洞窟にしか発見されていない。
手宮洞窟























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