院長 栗原哲也
2013年3月 リニューアルにあたってのご挨拶
1998年に栗原歯科医院を開院してから15年もの月日が流れました。
医療はどこまで人間に介入するべきか、迷いながら悩みながらの15年だったと思います。
これからも患者さんその人その人に適応した介入の程度を探りつつ治療をしていきたいと考えております。
いじり過ぎないよう、いじりなさ過ぎないよう、その加減を計りつつやっていきます。
息長く出来るよう、患者さんも家族も自分も幸せでいられるよう、
無理をせず、根気よく、いつも笑顔で元気よくやっていきたいと思っています。
5人の子供たちも大きくなりました。長女は成人し、待合室をハイハイしていた一番下の娘ももうすぐ小学校6年生です。
長いこと書いていた育児日誌も子供たちのプライバシーのこともあり書きづらくなってきましたし、今更ながら以前に書き綴った日誌を読むのは本当に恥ずかしさで冷や汗が出るほどです。このリニューアルを機会に消去しようかと思いましたが、若い頃の私の未熟さをさらけ出す意味でも、写真は消去しますが文章だけ残させていただきました。
私の人となりのがわかっていただければ、初めて来院されるにあたっての緊張が少しでも和らいでいただければ幸いです。
大きな広告や宣伝もせず、安請け合いもせず、予約も長いこと待っていただいて、医院の規模も最小限にとどめ、支出を抑えることで自分の治療方針を維持しております。何かとご不便をおかけしますが、何卒ご理解くださいますようよろしくお願いいたします。
2013年3月14日 栗原 哲也
2001年 プロフィール
栗原歯科医院院長 栗原哲也は昭和38年8月生まれ、うさぎ年、血液型B型、獅子座の男であります。群馬県に生まれ、地元の小学校、中学校を卒業し、隣町の群馬県立太田高校に入り、そこから松本歯科大学へ行きました。信州で7年暮らし、卒業して群馬県太田市に住みながら桐生市にある「中島歯科医院」に勤めて8年間たくさんのことを学びました。中島先生には大変感謝しております。そしてそこで働いている間にインターネット上で「自然歯科診療所」の松村文英先生に出会い、その考え方に感動し、中島歯科を退職し松村先生のもとへ押し掛け、無理矢理働かせていただきました。そこでもたくさんの事を学び、平成9年12月12日に妻順子の実家である滋賀県大津市にて独立開業となりました。
小さい頃から病弱で、生まれて数カ月で腎臓に腫瘍が見つかり、当時はそれほど小さい赤ちゃんの腫瘍摘出など難しかったのにも関わらず東京にて大手術していただいたが、その後いくつまで生きられるかは判らない状況だったと聞いています。母は医者である叔父に「哲也は今年も元気にしています」と定期報告をしていたようです。だから私のお腹には胸の下から脇腹までの大きな傷跡が残っています。3歳まで生きられるか、5歳までは生きられるかという中で両親も苦しんだことと思います。今でも何はなくとも身体だけは大切にしろと言います。その後も風邪をこじらせたり何だりと病院通い、大学時代には自律神経失調症になり精神科でカウンセリングを受けたり精神安定剤を服用したり、悪性黒色腫(ガン)の疑いが掛かり「死」を身近に感じたり、結婚して子供も出来てマイホームを買うぞという段階になって今度は大腸癌の疑いが掛かり、今度も「死」というものをいろいろ考えさせられました。病気って何だろう、なぜ病気になるのだろう、この病気のある人生の意味って何だろうと小さい頃から考えていたような気がします。
中島歯科医院で働かせてもらっている時から、現在の歯科治療ってこれで良いのかなと思っていました。それでもそのように大学で学んで来ましたからそうやるしか知らなかった。でも神経を取る事、むやみに歯を抜く事、実際の虫歯よりかなり大きく削る事、ブリッジを入れることなどはどうしても納得がいかないところがありました。その頃から自然的な治療に興味を持ちはじめ、医科においてはそのようなことが言われて来たのに歯科にはどうして当てはまらないのかと思うようになり、毎日やっている治療が嫌になりました。様子をみましょうということが多くなり、出来るだけ削らないでやっていました。しかし削ってナンボの歯科治療では収入が以前の半分どころか1/3くらいにまで落ち込みどうにも生活が難しくなってきて、治療のこと、収入のことで悩みを抱え迷っていた時にインターネットの自然歯科のHPに出会い目からウロコが落ちました。思わず松村先生にメールを書き、返事をもらい、また疑問をぶつけて、また丁寧にお返事をもらってとくり返し、松村先生に「栗原先生の考え方の方が正しい、今の歯科治療の方が間違っている」と言っていただいてから私の人生が変わりました。そうなんだこれでいいんだ!と思える事、これは人生のうちでそれほどないと思いますが、じ~んと来た瞬間でした。
歯医者を辞めようかと思っていました。歯医者をやめたら両親が悲しむだろうな、周りの人は何というかな、自分から歯医者の免許を取ったら何が残るのだろうか、もうまったく価値のない人間になってしまうような気がしました。自分に価値がないと思うと自然と「死」という言葉が思い浮かびます。生きていても意味がないと思ってしまいます。そんな時に出会った松村先生は私の命の恩人だと今でも思っています。松村先生にも師匠にあたる先生がおられます。それは現在私が自宅で教えを受けている「市波治人」先生です。以前は東京方面で講習会をやっておられましたが、現在ではそれはやっておられないとのこと、もう市波先生には直接教えていただけないのだなと思った時に、自宅で教えてくださるということを聞き、現在私の大学の先輩でもある先生とやはり松村先生経由で縁をもたせてもらった大阪の大学病院の先生と3人で毎月1回泊まり掛けで2日間缶詰め状態で学ばさせてもらっています。まだまだ実力はありませんが、基本的な考え方が他とは違います。
名医だなんてまったく思っていません。名医はそれぞれ自分の身体の中にもっているものです。本当の名医はその身体の中の名医とよく相談して協力して身体を良い方向へ導く事が出来る人だと思います。肉体だけでなく精神的にも健康でなければなりません。それを自分ではどうにもコントロール出来なくなりバランスを失ってしまった時にどれだけ手助けが出来るか。医者がすべてを治そうと思わず身体が治ろうとすることを邪魔しないで手伝えたらそれで素晴らしい医者、歯医者であると思います。出来るだけ最小限にいじることで治ってくれれば一番良い訳で、欲を言えばまったくいじらずに治せたらそれがまさしくベストの治療な訳です。それでもいじらなければ治らない時もあります。現在ではそうするしか方法がない時は最小限にいじります。もちろん神経を取ったり、歯を抜いたりする時もあります。それでも出来る限り1度に2本3本とはやらないようにしよう、時間が掛かってもゆっくりその入れた歯を身体になじませながらやっていこうと思っています。変な歯医者でもいい。貧乏でもいい。納得のいかぬ人生ほど苦しいものはないと思います。心配性で気が小さくていつもくよくよ悩んでいる。それでも何とか毎日生きている。どろどろに悩む事ばかりだけど、楽しいことも少しはあるもんです。生かされているだから、まだ何かやることがあると思う。やるべきことがあるかと思う。たいしたことは出来ないけど少しでも私に手伝えることがあればやっていきたいと思います。
2001年2月22日 栗原哲也