媚薬香りはミステリー(媚薬)

古瀬 等(ふるせ ひとし)は香りの心理生理作用研究では知られた存在である。
体のニオイを研究していて興味深い発見をし、学会にも発表している。
男性のわきの下からの分泌物に微量のホルモン様物質、アンドロステノールを認めたのである。
ニオイ物質の採取方法は、実験協力者に数日間ガーゼのパッドを腋の下につけてもらい、においを吸収させたパッドを回収、溶剤で処理し、におい物質を得た。 
精密分析によりニオイ物質がアンドロステノールであることを突き止めたのは日本では古瀬がはじめてであるが、
発表された研究成果で面白いのはこの物質の心理生理作用である。
アンドロステノールを香水に微量添加したものとしないものを調製しテスト試料とする。
この成分を入れたことによる香りの差はほとんどない。
にもかかわらず心理的反応は男性と女性とでは全く異なったものであった。

女性パネルでアンケートをとると、添加したものは優位的に香りの嗜好性が高まった。
しかし男性パネルでは差がなくこれが女性に特有の反応であることが分かった。
さらにアンドロステノールを部屋に放った部屋と放たない部屋を用意し、映像を利用した異性の認知テストをおこなった。
その結果アンドロステノールのある部屋では女性のみに男性を意識しやすくなる傾向が認められた。
一連の実験で女性が好むこの物質は女性に男性を意識するフェロモンのようなものであることが推測された。

「俺、スゴイ男性コロンを見つけちゃったよ」
「においはよくあるフゼア系なんだけど、なんでもアランドロンとかいうほれ薬が入っているんだそうだ。」
「で、どうなのよ、ほんとに効くのかい?」
「最近のおれの成績みりゃわかるだろう。」
研究成果を応用した男性コロン「ムスクフェロン」は当初ホストクラブのホストたちのあいだで話題になった程度であったが
いつの間にか業界統計には載らない影のベストセラーに躍り出た。
1960年代にムスクオイルがサーファーの間で話題になり、大きな市場を形成するにいたったのに似ている。

現在、古瀬等はこんどは若い女性のニオイをテーマにした新しいプロジェクトリーダーをつとめている。
におい物質の抽出法は吸着パッドとしての下着を処理する方法をはじめ新たな方法も試みている。
すなわち、油脂を体に塗布してにおいを吸着させ、これを集めて抽出する方法である。
いまのところ男性にのみ作用して性的に奮い立たせるようなフェロモン物質の発見にはいたっていないが、
近い将来かならず成果を得てみせると日夜がんばっている。

関係者は古瀬たちの執念に驚嘆し、でもあきれかえって、古瀬を「ブルセ」、等を「ラ」というあだ名をつけたという。


この話は私がPOLAの香料研究室長をしていたときにおこなわれた「体の匂い研究」の成果にもとづくものです。
実験結果は、人の性フェロモンの存在が証明されたとまではいえませんが、巷で言う媚薬的な作用を示す物質があることを示すものでした。

体のにおい大研究

@ 男性のわきの下にアンドロステノール発見
ガーゼパッドを24時間貼付して採取
    ソックスレー抽出後GC-MS分析
A この物質は
女性に男性を意識させる効果がある
香水の嗜好性を高める(女性パネルのみ)

体のにおい大研究の概要を示します。 なおこの研究のリーダーはポーラ化成工業滑J発研究所の荒木徳博氏です。 研究成果は2つですが、
第1は「日本で初めて男性の脇の下の匂い成分のなかにホルモン様物質であるアンドロステノールを同定した。」こと
第2は「この物質の生理・心理作用として女性に男性を意識させる効果がある。」ことです。
また2に付随することですがこの物質を配合することで香水の嗜好性が高まることがわかりました。
@について補足すれば、わきの下の匂い物質はガーゼを貼り付けて吸着させたものを抽出して得ます。
それをGC-MSという分析にかけ、アンドロステノールを確認したものです。
Aの心理・生理作用については次のスライドで説明いたします。

男性認知率計測(写真法)
スライド
6種類の背景に9種類の人物(男、女、男女)を重ね焼きしたもの50枚を用意
左図は女性が分かりやすいスライドだが、
多くは風景にうもれて分かりにくい写真

パネラ
男女3各0名 計60名

実験
1/30sec間提示
男ボタンか女ボタンを押してもらう

アンドロステノールが女性に男性を意識させる効果があることを確かめた実験のひとつを紹介します。
写真法というもので、このような重ね焼き写真のスライドを提示し、被験者に男性が写っていたか、女性が写っていたか判定してもらう方法です。

この写真は比較的分かりやすいものですが、多くは風景などの映像に、よく見ないと判別できない程度の、男性あるいは女性の映像がかさねられたものです。 被験者には、1/30秒という短い時間でつぎつぎと映し出される映像を見ていて、男性が写っていたと思ったら男性のボタンを女性を認めたら女性のボタンをおしてもらいます。
部屋にアンドロステノールの香りを漂わせたときと、無臭のときで異性を認知する度合いに違いがでるかどうかがしらべられました。  結果は期待したとおり、被験者が女性の場合のみ”香りあり”のときは”香りなし”のときに比べ男性認知率が統計的に有意なほど高くなったのです。  女性被験者が男性と認知したスライドには、とても男性の映像とは分からないような、あいまいな映像を男性と判断しているものも含まれていました。 被験者が男性の場合はアンドロステノールのあるなしで差がなく、これは女性に対してのみ作用を及ぼすものであると考えてよいものです。


実験結果をグラフで示したものです。
上の棒は香りがないときで、ピンクが男性を判断した数、272例、クリーム色が女性と判断した数250でほぼ二分の一の確率で男性と判断されています。
それに対し、香りがあるときは男性298対女性224で、これは統計学的に有意に男性を認識しやすくなっているという結果です。

写真法は心理実験でしたが、こんどは脳波という生理反応がどうなるか実験してみました。
脳波計測にもいろいろな解析法があるのですが先ずはCNVという値に注目してみました。
CNVの測り方はこのスライドにしめしてあります。
「パソコンの画面を見ていてください。 ピーという合図のあと光が見えますから、見えたらすばやくボタンを押してください。」
という課題をやってもらうのですが、ピーの後の脳波を調べるとその人の覚醒状態、テンションが上がっているかどうかが分かるのです。

(随伴陰性変動)は一定間隔で一対の刺激を与え、第2刺激に対して一定の反応、たとえばボタン押しなどをさせる予期的反応時間課題を行わせることにより第1刺激と第2刺激の間にみられるゆっくりとした陰性変動です。

アンドロステノールがあるときの、女性5名(オレンジ)と男性2名(緑)の脳波計測(CNV)結果です。
女性は5人中4人が100%以上のCNVに対し男性は二人とも100%をしめしています。
先ほども言ったように、CNVは覚醒状態の指標ですから、アンドロステノールは女性には覚醒作用、男性では沈静作用をもたらすことがうかがえます。
もうひとつ脳波計測でP-300という方法もやってみました。
この方法はスライドに示すように、
「ピーという音とブーという音の2種類の音をバラバラにならしていきますから、ピーという音を心の中で数えてください」
というような課題を与えます。 そしてピーという音の後の脳波を調べるとその人の注意力、関心度合いが測れるというものです。
もちろん実験は音ではなく、男性の認知率にちがいがあるかを調べたいので、
画面に男と女の写真を映し、「男が写真を数えてください」という課題でやりました。

補足
P300とは、互いに識別可能な2種類以上の感覚刺激(聴覚・視覚・体性感覚・嗅覚。味覚など)をランダムに提示し、低頻度の刺激を選択的に注意させることによって、刺激後約250〜500msecという長潜時で出現する陽性電位です。(late positive componennt)

このチャートは、ある女性被験者の実際のデータです。
香り(アンドロステノール)を嗅ぎながら実験を行ったときは(左)、香りなしのとき(右)に比較して、チャートの谷の深さに差があります。
複数の被験者で、同様の実験を行った結果、女性被験者では、香りの有る場合は、有意に振幅(谷の深さ)が深くなりました。
一方、男性被験者では、そのような差は認められませんでした。


<考察>
アンドロステノールは、女性被験者に対し、標的刺激を男性顔に設定したときに、有意に振幅が高くなったことより、標的刺激である、男性顔の認知を高める作用が期待できると考えます。

P-300測定結果のグラフです。
上が香りあり、下がなしですが、統計的に有意に香りありのほうが振幅が大きく、つまり関心度が高いことが示されました。

女性に男性を意識させる丸秘物質を配合した男性コロンが商品化されています。
POLA化粧品のテスタルドというのがそれです。
どんな香りかご興味がおありかと思いますので、ここでその香りをかいでいただきましょう。
ちなみにこの香りのタイプはキムタクが愛用しているとして話題になった、ニコスのスカルプチュア(彫刻)と同じタイプです。