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  <<<<<<【メール講座】日本固有の領土「北方領土」>>>>>>
                        谷 和樹
 NO. 2_________________________★☆★彡

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■■■■■2 「北方領土問題」の歴史的経緯(その2)■■■■■■
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 歴史的経緯の本題に入る前に、北方領土の地理についてごく基本的な
ところを確認しておきたい。

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(3) 日本の境域と北方領土の様子

 現在、日本政府の行政権がおこなわれている国土の境域は以下のとお
りである。

┌──────────────────────────────┐
│北端→北海道稚内市の弁天島(北緯45度31分)       │
│南端→東京都小笠原諸島沖ノ鳥島(北緯20度25分)     │
│東端→東京都、太平洋上の南鳥島(東経153度58分)    │
│西端→西端は沖縄県与那国島(東経122度56分)      │
└──────────────────────────────┘
 ただし私の小学校で使われている地図(東京書籍)では、北方領土で
ある択捉島の北に明確に国境線が引かれており、北緯45度33分と記
されている。
 その上、宗谷海峡にも国境線があるが、その北の樺太にも国境線があ
るし、カムチャッカ半島の南端にも国境線がある。
 そうなると千島列島と樺太の南半分はいったいどこの国なのだと思っ
てしまう。
(この国境線の不自然さから授業に入ることも考えられる。)

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 では、北方四島の大きさはどれくらいか。

 日本を構成する島は6852である。
 北方四島の大きさは、その中でどのくらいの位置にあるのだろう。
 たとえば北方四島で一番大きい択捉島の面積はどれくらいだろうか。

 実は択捉島は日本で最も大きい島であり、国後島は二番目に大きい島
である。 

┌──────────────────────────────┐
│1 択捉島  3182.7平方キロメートル         │
│(参考)鳥取県=3492平方キロメートル          │
│2 国後島  1498.6                 │
│(参考)香川県=1859                  │
│3 沖縄本島 1201.0                 │
│4 佐渡島   853.8                 │
│5 奄美大島  712.1                 │
│6 対馬    696.0                 │
│7 淡路島   591.3                 │
└──────────────────────────────┘

 また、本土より一番近い島は歯舞諸島の貝殻島である。
 統計によれば本土から2番目に近い島は兵庫の淡路島である。
┌──────────────────────────────┐
│1歯舞群島貝殻島 3.7km                 │
│2淡路島     4km                   │
└──────────────────────────────┘
 ただし、兵庫「むしあなごS」の松本俊樹氏によれば、もっと小さな
島では、より近いものがあるそうだ。

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 1992年から北方四島ビザなし相互交流が始まった。
 現在までに述べ4500人が行き交っている。
 1991年の国民投票では国後島住民の20%、色丹島住民の25%
が日本への返還に賛成。
 最近の民間の調査では44%が返還を希望するという数字になってい
る。
 土地を賃貸しして日本の投資家が進出してくるのを待っている色丹の
住民もいる。
 すべては経済的理由からである。
 水産加工工場が破綻し、生活のために密漁を余儀なくされ、日本に海
産物を売って円を蓄え、必需品を買っている現状である。 

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(4) 北方領土問題の争点

ア 歴史的な先占

 (ア) 最初の地図
┌──────────────────────────────┐
│「北方領土、千島列島と樺太を先に認識していたのは日本かロシア│
│ か。」                          │
└──────────────────────────────┘
 「正保御国絵図」(1644)は樺太・千島列島が日本人の手によっ
て描かれた現存する最古の地図である。 
 ロシア側の千島への探検は1711年に開始された。
 その一人コズイレフスキーが1713年に提出した「松前までの地図」
が非日本人の手になる全千島列島についての初めての地図である。
 「正保御国絵図」に遅れること67年後であった。
 単純にこの記録の上で考えれば日本人が先であろう。
 もちろん、当時はアイヌ人が住んでいて、アイヌは松前藩と交易をして
いた記録がある。 
 間宮林蔵は藩命によって樺太を探検し、1808年に樺太が狭い水道で
大陸から分けられている島であることを発見した。
 これは、1849年ロシアの探検家ゲンナージ・ネヴェリスコイが同一
の発見を行うに先立つこと42年前のことである。 

(この項続く)
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第2回ここまで

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