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ニコライ一世の追加訓令(プチャーチン提督へ)(1853年)

「クリル諸島のうち,ロシアにぞくする最南端はウルップ島であり,
同島をロシアの南方における最終点と述べてかまわない。
これにより(今日事実上そうであるように)わが方は同島の南端が日本との国境になり,
日本側はエトロフ島の北端が国境となる」

ニコライ一世は,日本との交渉以前から択捉島以南を日本に与えよとの指令を出していたのである。