回天という特攻兵器について


回天記念館にある回天のレプリカ



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 「回天」というのは、ようするに「人間魚雷」(人間が魚雷の中に入って操縦しながら敵艦に体当たりしていく特攻兵器)のことです。
 制作者が「人間魚雷」という言葉(兵器)をはじめて知った時の驚きは今でも強烈に覚えていて(たしか小学3年の夏頃だったと思います)、その時は、「僕は何があってもこんなものだけでは絶対に死にたくない」、と子供心に真剣に思ったものでした。
 しかし今では、1945年大戦末期当時、毎日が空爆で、何百何千人と人々が死んでいく状況であったことを考えれば、若者達が最後にとった一つの選択(決断)として、理解納得出来る思いとなっています。
若い人達は、好きな仲間や異性のために、何かをして役立ちたい、またその人を守りたいと、時にいろいろ考えて、必死に頑張ることがあるかと思いますが、当時の状況では、いつ好きな人が敵の爆撃で殺されるかわからない、それで敵と戦おうにもすでに兵器も燃料も底をついている、敵はどんどん日本に近づいてくる、空爆は日に日に熾烈を極め次々と同胞が殺されていく、もはや通常の戦法では到底たちうち出来ないところまで追い込まれてしまっている・・。そのような時に、そこに置かれた若者たちが、今の(どの時代でも変わらない)若者と同じ気持ちで、好きな人のために、大切な人のために、何とかしたいと思って出来た最大、そして最後のことが、魚雷に乗り込んで、敵艦に向かって突進していくことであった、ということになるのではないでしょうか。( *1

 「人間魚雷」という言葉は、少なからず人を一歩引かせてしまうものがありますが、もう少し踏み込んで、これに乗って死んでいった若者たちの心情を理解してもらいたい、というのが、このホームページの大きな願いでもあります。
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構造





全    長 14.75 メートル  当時海軍が世界最高と誇っていた九三式酸素魚雷(全長 8.5m)を改良し、操縦席と大量の爆薬が装備された。 回天は潜水艦に最大6基まで搭載され、出撃していった。
全  重  量 8.3 トン  ハワイ真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇の重量 46トン、本土決戦に備えて作られた特殊潜航艇「海竜」の重量 19.3トン。 この数字から比べても、回天は小型・軽量の高速兵器であったことがわかる。
最 高 速 力 30 ノット  回天の水中での最高速力は、時速にして約56km。このスピードで敵のレーダーをかわした。また、航続距離は30ノット (約 56km/h)で 23km、10ノット(約 19km/h)で 78kmにも及んだ。
推 進 馬 力 550 馬力  一般的な路線バスが 230馬力。 回天は、この倍近くもの大きな力を持っていた。このパワーが高速潜航を可能にした。
搭載爆薬重量 1.55 トン  当時の魚雷の爆薬重量は、一般的に 0.3〜0.5トン(米国魚雷 0.3トン、九三式魚雷 0.5トン)。回天はこの約3倍以上の爆薬を搭載し、巨大戦艦も一撃で撃沈させる威力をもっていた。
直    径 1 メートル  回天に乗り込み、ハッチが閉められると、操縦する以外は身動きがとれないほどの空間であった。搭乗員は1名。 まさに、暗く狭い中での孤独な闘いであった。
搭 乗  員 1 名

>> 資料・周南市回天記念館より

 画像:Hyper Noguchi氏


( *1 一般に軍国主義と呼ばれた当時の日本の状況を考える場合、開国により日本が肌身で感じた帝国主義の現実、弱肉強食の列強国からかけられた外圧などにもしっかりと目を向けて、当時の若者が受けた教育等々を考えていく必要があるように思います。
*関連リンク (-2012.5.4-)
日本帝国主義 (ウィキペディア)
靖国神社 遊就館 (実戦に使用された回天一型改を展示)



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